butubutu9

butubutu8

NO191 休止の理由 (2000/11/8)

 やっていることが、矛盾だらけだ。
「人に読んで欲しい」から、hpをしているはずなのに、雲がくれしての更新。

「本当は、心のままに書きたいのに、心が出ないように書いていること」

「私のページなんだから、自由に書きたいって思うのに、人目を気にすること」

「近づきたいって思うのに、近づき過ぎないように、遠ざかってしまったこと」

「いい人ぶっているのに、本当は、全然いい人じゃないこと認めたくないこと」

そして、何よりも、「人を傷つけても平気だ」と思う心をとめることができなかったのは、事実。心の暴走をコントロールできなかったことが怖かった。

あまりにも、やっていることに矛盾が多すぎるので、こんな気持ちのまま、hpはやっていけないと思った。


NO192 問題なのは、その人自身のスキル(2000/11/9)

 この前、兄が帰省していてるときに、いやあ、岩手っていうのコンプレックスじゃなくなったっていうの話をした。
 「地方」に住んでいることがコンプレックスっていうのは、たしかにわかる。私は地元にいて、ぬくぬくと暮らしているけど、兄は、札幌で増してや仕事柄もあるだろうし。
 でも、ひそかに私は、そういうのは、大学入るときに捨てたかもしれない。まあ東京の大学に落ちちゃって、結局、将来を考えた時に地元の大学に行くしかなかったんだけど、当時、友達は、結構東京に出ていたからね、やっぱり、羨ましかった。

 だけど、思うんだけど、「地方」にいることをコンプレックスに思っているうちは、それまでの人だと思うし、逆に「どこに住んでいる」ということは、問題じゃなくってその人が、どれだけの「スキル」を持っているかってことが問題なんだよ。

 大事なのは、ずっと学びつづけていく姿勢って思うのだけどいかがでしょうか。

NO193 ナイフのようなもの(2000/11/10)

 このごろ、私が上手になりたいなって思っているのは、「ナイフ」の使い方。ナイフって、いろんなものを作りだしたり、いざっていう時に、便利だし、熟練していろいろなものを産み出せたら、かっこいいと思う。

 ナイフは、使い方をあやまると、「自分の手を切る」だろうし、そして、相手を傷つけるこもとある。どちらも痛い。一歩まちがえれば、相手をずたずたにしてしまう。だからこそ、ナイフを持つ人は、そこに『理性』をコントロールできなければ、持つ資格がないと思う。

 だけど、ナイフがうまく使えるようになるためには、練習がいるし、そして、手も切るだろう、血も流すこともあるはずだ。ナイフの傷は、痛みは消えても残るかもしれない。でも、それは、「歴史」となって、手に刻みこまれるのだ。

 そうやって、上手に使えるようになるんだ。

 ネットは、「ナイフ」のようなものだ。自分で何かを生み出したり、困ったときに便利に使うものだ。絶対に、人に刃を向けてはいけないと肝に銘じよう。
そして、いつか、自分の手を傷つけることなく、そして、人も傷つけることなく、何かを生み出すことができたら、かっこいいではないか。

 そして、今、私は、刃をせっせと研いでいるところだ。

NO194 頼る(2000/11/13)

 人に頼りたくないって思ってた。今回のことがあって、いかに人に頼っている自分を本当に実感して、実は、「強くなりたいな」って思ってHPを始めたのにさ、私はどんどん弱くなっていた。
 人に頼らないで、ちゃんと自分で歩いていきたいって思っていた。なのに、全然人に頼らないと立っていられなかった。
 そのことをまざまざと痛感し、びっくりした。「依存」という言葉は好きじゃない。それなのに、私がこの2年近くの間、いかに人に頼っていたかを実感。
 このままでいいのかな。このままでいいのかなって思って、この2週間を過ごしていた。でも、今は、人に頼るのもいいのかもってちょっと思っている。
 背中をちょっと押されて、私は、一歩踏み出す。

NO195 勇気(2000/11/14)

 決心するには、勇気が入ります。そして、決心を翻すのも、また、勇気がいるんだね。でも、それが自分にとって、前向きになれることならば、決心を翻すことも時には必要なのかもしれないって、思う今日このごろ。

NO196 作り上げるだけじゃなくて・・・(2000/11/15)

 陶芸をしていて、どんなに慎重に作っていても、最後の瞬間、「あっ」という間に失敗してしまうときがある。まあ、それを壊してしまうのも手かもしれないけど、どう上手に修正できるかってことも、名人は、見せてくれる。
 失敗した器も、名人がちょっと手を入れて工夫すると、素敵な器になる。それは、それで味わい深い。だって、せっかく大切に作ってきたんだよ。壊せない。
 「作り上げる」ことだけが大事なんじゃなく、間違ったり、失敗したときに、どう修正していけるかってことの方が「名人芸」なのかもしれない。
 
 私は、実は、編物職人ですが、途中1目でも外してたり、模様を間違っていたときは、何段でもほどいてやり直す。毛糸がからまっても根気よく外す。「なおす」ことを面倒に思わないようにしている。だって、その外した一目が命とりになるんだもん。

 つまり、本当の実力っていうのは、「修正」や「修理」や「補修」がいかにできるかってとこにかかっているのかもしれない。

NO197 星に願いを(2000/11/19)

 しし座流星群が見れそうだったので、『星に願い』をかけようって思っていた。ちょっとだけ、かけをすることにした。「流れ星が見れたら、勇気を出そう」と。
 でも、その日は、雪。星なんかでていなかった。
 そこで、突然、ぱちんとはじけた。
 「星に願いなんてかけない、自分で願いは、叶えよう」そう思った。 
 
 ドアを蹴っとばして、前に進んでみた。

NO198 VISION(2000/11/20)

 つまり、どうしたらいいのかわからないのは、私に「どうしたい」っていうVISIONがないからだ。
 前は、もっと野心があった気がする。でも、今は、あんまりないのは、いいことなのか悪いことなのかわからないのだけど、もしかして、今の現状にすっかり浸かってしまっている証拠だ。「今のままで良い?」って自分に聞いてみれば、実は「今のままでいい」って答えてしまう。だって今が楽しいから。でも、これからずっと仕事を続けいく上で、本当にプラスになるかって言われたら、答えはNOだと思う。
 まず、最終的にどうなりたいのか、もっとしっかり考えよう。VISIONさえ持てれば、
方向だけは、間違えないで済むはず。結果は、今よりよくなくても、後悔はしないと思うから。
 分岐点、右に行っても、左に行っても結局、どちらに行っても、目指すところがあれば、辿りつけるのは、まちがいないことだから。
 今、1番しなくてはいけないことは、「どうしたい」のかをちゃんと自覚することだ。

NO199 ぜいたくな悩み(2000/11/21)

 昔、学級を荒らしたときに、「ああ、普通に生活できる毎日がくればなあ」と思っていた。その時の『願い』は、今、本当に叶っている。毎日、子どもたちと過ごす時間が本当に楽しいし、仕事も好き。今が、いい。今以上のことは、のぞんでいない。毎日、子どもたちとツーカーで遊んでいる日々が好き。
 これで充分って本当に心から思っているんだけど、もう一人の自分が、『本当にそれでいいの?』って言うんだよ。
 例えば、すごい実践とか、研究とか、そんなことは、あんまり望んでいなくて、『毎日子どもたちと笑える日々』さえあれば、充分なんだよ。

 でも、心のどこかで、もっと修行したいな〜って思っている自分がいて、のほほんと過ごしている私に喝を入れてくる。もう、どうしたらいいんだろうっ。

 きっと、これは、ぜいたくな悩みなんだろうな〜・・・

NO200 誠意(2000/11/23)

 わりと「誠意」を持って相手と接したいと心がけているのけど、忙しかったり、自分の気持ちが不安定だったり、相手の気持ちに気づかないでしまっていたり、実は相手の誠意を踏みにじってしまうことも多いなあと思う今日このごろ。
 昨日、亡くなったおまわりさんについて言えば、先週「わたしの街のおまわりさん」という作文の募集があったんだけど(私は、学校の各種のコンクールなどの応募担当)
他の作品募集とも重なっていたりして、断ってしまった。
 亡くなったということを聞いて、子どもたちと話したり、6年生の子どもたちのお別れの手紙を読んだりしていたら、本当にお世話になっていたんだよな〜と実感し、確かに忙しかったかもしれないけど、あの時、もし、私に誠意があれば、書けないこともなかったなんて、今更後悔。
 「どうして、こんな風になる前に、もっと誠意をもって接しなかったのか」という後悔の気持ちって、『どうしようもない』だけに、悲しくなりますね。
 でも、もうどうしようもないから、『これから』につなげていこうと思う。