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NO210 言葉が足りない・・・(2001/1/10)

 自分で毎日日記を書いていたり、文章を書いていたりして痛感するのは、「言葉が足りない・・・」ということ。
 こうじゃなくって、別なニュアンスなんだけどな〜、何ていうのかな〜何て言うのかな〜ってぴったりくる言葉が見つからない。何か句を詠みたいな〜と思っても、いい言葉が浮かばない。もっと、いい言葉、もっとぴったりって思うんだけど、わたしの引き出しには、言葉が少ないんだよ〜。
 普段、子ども相手で、6才に分かる言葉って思って使っていると、どんどん簡単になってて、まあさ、究極は、「ひらがな」言葉になっちゃう。
あーあ、わたしゃ、どんどん幼稚になっていきそうだな〜。。。。

NO211 美術館でネタゲット(2001/1/11) 

 今日は、北海道立近代美術館と三岸好太郎美術館に行ってきた。
近代美術館の方は、「エコール・ド・パリ群像」ということで、大戦時代のパリの芸術家たちの展示。マリー・ローランサンの本物は、初めてみた。それから、1番好きなシャガールもあったので、得した気分。
 企画展は、冬休みの子ども向けの「アート・体感・ミュージアム」をやっていた。これは、素材を活かした造形遊びっぽいものや、アートを五感で感じとるために、たとえば、見ないで触った感触をイメージして絵を書いたり、絵を万華鏡の鏡でみたり、ルーペで見たりなど、子どもたちがアートを楽しむ趣向がたくさんなされていて、自然とアートに親しめるようになっている。
 「三岸好太郎美術館」のおもしろいところは、小学生が美術館を楽しめるように、「たんけん美術館」というパンフレットを出し、子どもたちに絵をみるにあたって、質問をいくつかして、ウォークラリーみたいに問題を解きながら美術館をめぐるようになっている。
 受付の人に頼んで、低学年向きと高学年向きのパンフレットをもらったのだけど、これなら、子どもたちも楽しく絵をみることができるな〜と思った。
 実際、私もたくさん絵を観に行くけど、こうやって、問いかけられると観方が変わってくる。そうだね〜、鑑賞するときなんか、こんな風に子どもたちに問いかけをすると音楽でも美術でも、興味をもっと持ってくれるのかも。。。
 というわけで、今日もいいネタあったよ〜。まあ、こうやって、遊びつつ、ちょっとずつネタを集めてます。まあ、教育書とか読むのも大事なんだけど、私は、どちらかというと、「肉体派」なので〜、街に出て、お勉強・・・ということにしましょう。

NO212 たびのお話(2001/1/17)

 ネットのお友達から旅行の話のメールをもらった。とっても詳しく書いてて、臨場感あるれてる〜。わくわくっ。
 教頭先生から、タイ・ミャンマーの旅行話を聞いた。ゾウに乗った話とかタイ料理の話など聞く。
 真理ちゃんより、絵葉書が届いた。カンボジアの旅の話。遺跡の写真がすご〜いっ。
 この前の日記で、「楽しい気分」の話を書いたけど、周りの人のおみやげ話もすごく好き。楽しい気分、わけてくれてありがと〜。
 ガイドブックと違う届き方だよねっ。旅のお話聞くって楽しい〜。

No213 技っていいな〜(2001/1/17)

 北海道行って、いろんな人のいろんな技を見て、いいな〜ってつくづく。
例えば、北一硝子のグラス、一個一個の細かい模様とか、こだわりの形とかね。それから、ヒルトンや北一硝子のティールームで聴いたピアノとか、おすし屋サンの握りの技とか、カレー屋サンの研究とか・・・札幌の素晴らしい除雪とか(こっちに比べると、ものすごいきれいだと思った)、プロの仕事に感動〜。
 私もプロの仕事したいな〜って思ったんだね。だけど、小学校の先生の仕事って、「これっ」ていう自分のキメ技+細かい引きだしがね必要なの。
それが、あまりにも多岐にわたらないといけないので、結局、いつも付け焼刃になっちゃうから、本当のプロの技っていうのにあこがれるんだね。
 

NO214 ネタが・・・(2001/1/31)

 あたしは、いつも「ねた」を探す女〜(笑い)でも、今、ねた切れなの。
というか、浮かばない。
授業参観月曜日あるんだけど、何したらいいのか浮かばない。版画の題材もいいものが浮かばない。日記のネタも浮かばない。学級通信のねたも浮かばない〜。何にも浮かばない。。。。不調。
 仕事しなくちや、考えないとって思うのに、ぼ〜っとしちゃって。。。
 
 だけどさ、小樽の吉本劇場みたときにさ、あ〜、芸人もネタが命だよな〜なんて思って、すし屋もねたが命。
 でも、分かっているのは、「ねたを追い求める」と必ず手に入ることよ〜。
ファイトだ〜。

NO215 話し合い(2001/2/1)

 物事のいろんなことは、「話し合い」で、明らかになっていくことが多いと
思うんだけど、それは、自分が知りたいと思うことについて、いかに相手に問いかけていくかってことが大切だと思う。
 お互いがとにかく、おもっていることを話し合うことで、いろいろ見えてくるものだよね〜。だから、よい問いかけをしていきたいと思うし、相手の言っていることをちゃんと的確にとらえないとね〜。
 話し合いを高めるのって、難しい。
 
 いやあ、今日は、研究会の司会で・・・
 どう、受けて、どう発展させたらいいのかが、あんまり上手にできなかったので、がっかりしているところ。

NO216 作家はすごいね〜(2001/2/4)

 村上春樹の「シドニー」を読んでいる。これって、冷静に考えてみるとすごい本だよ〜。だって、毎日の見た試合や生活について23日間に渡って毎日原稿用紙25〜30枚書きつづけるなんて・・・。
 試合みたこと・ご飯食べたことだけで、それだけ書けるのね〜って感心。
でも、とにかくその「比喩」表現と人物に対する印象、一つの動作に対する印象を文章でなぞるってのは、実物をみるよりも、輪郭がはっきりするとこもあるなあって思った。さすが、村上春樹。
 
 同じく田辺聖子のエッセイは、お聖さんのお気に入りのものについて紹介するという形で書かれている。これもその「もの」についてのエピソードから、そこから連想されるものについて書いているんだけど、これだけ「思える」んだね〜と。つまり、たくさんの「できごと」もたくさんの「事件」もいらないのかもしれない。そこをいかに深く掘り下げるかだね。
 まあ、あたしは、作家じゃないから、深さ3cmくらいしか掘れないけど。
ほじほじ。わたしも、ネタがないけど、がんばろ〜。

No217 ビーズをつなげたような・・・(2001/2/5)

 HPは、ビーズを一個一個つなげたみたいなものだなあって、なんとなく思った。その一個一個は、本当に小さくて、そんな小さなかけら・・・それは、私自信の日常だったり、掲示板に書き込んでもらう言葉だったり、メールだったり、
それを一個一個つなげているんだなあって。ずいぶん長くつながった。
 で、来てくれる人がビーズをおいてってくれるの。それで、おいてってもらったいろんな色のいろんな形のビーズをつなげる。別に何を作ろうと思っているわけじゃないんだ。ただ、つなげるのがおもしろい。
 不器用だから、つなげる途中で糸を手から離しちゃったりして、もらったビーズばらばらにしちゃったり、こぼしてなくしちゃったりもしたりね。わざとじゃないんだけど、失敗もたくさん。でも、一緒に探してくれたり。拾ってくれたり。大丈夫だよって言ってくれたり。。。。
 ごめんね。ありがとう。

No218 世界のかかわり(201/2/15)

 ペイ・フォワードを見たせいではないけど、私にとってどこまでが世界とのつながりなんだろう。毎日、見るニュースを人ごとだと思っていないだろうか。すると、自分にかかわりのある生活の範囲なんて、今の私は、学校と家の10kmのだけで終わるんだろう。それでも、幸せに暮らせると思うし、その方が幸せに暮らせるのかもしれない。でも、やっぱり一個人として、ちゃんと世界とか、日本と関わっておく必要があるってこのごろ思ったりする。それは、生きている限りやっぱり『社会』なんだよ〜。うん。

 この前、アニが地下鉄乗っていた時に、盲人の人にぶつかって転ばせた若い女の人がいたそうだ。その女の人は、携帯で話しながら、あわてて走っていたらしく、転ばせたことにも気づかず立ち去ってしまった。アニ、その女の人をつかまえて、「おまえ、あやまれよ〜」と言うと、「あんたに関係ないでしょ」とその若いねーちゃんが言ったというのだ。アニは、「おめーの演説を聞く場じゃないんだ〜、とにかくここは、あの人(盲人)にあやまるのが筋だろう」みたいなことを言い、ちょっとした騒ぎになったという話。駅員さんにもたしなめられてその女の人は、あやまったらしいんだけど・・・

 つまり、ここでその女の人が言った「あんたには、関係ないでしょ」っていう台詞が問題なんだよ。その女の人と盲人の人に直接関わりがある・なしの問題ではなくて、例えば、地下鉄の中で、障害のある人がいたとしたら、社会のルールとしてその人たちが安全に構内を利用できるようにするのが健常者のルールだし、それが社会ってもんでしょ。それを無視して、それについて「許せない」って思う人がいたら、そこに関係が生じるんじゃないのかなあ。もし、周りの人が何も思わなかったら、関係は、生じない。でも、そのことについて無関心だったら、世の中住みずらいじゃん。で、そーいう、自分に直接関係あることやいろんなことに関心を持つことで、そこに「自分は、どういう行動をとるか」っていう選択をすることになる。そう、「わたしだったら、やらない」とか、「わたしだったらする」とか、そーいう個人の行動に関するルールがだんだんとモラルになっていくんだから、このまま、日本人ばかになっていって、(モラルという点では、やはりかなり後退していると思うから)、おばかな事件がどんどん増えて、住みにくくなるんだよね〜。

 もちろん、これは、一例で、例えばこの前、日テレのドキュメントで親の虐待により多重人格になっちゃった子どものドキュメントやってたけど、やっぱりみてて、あまりにいたいたしく、「虐待っていうのが、いかに人格を壊していくのか」ということをまざまざと実感した。そう、今、いろいろ虐待が多くなっているけどあ〜、こういうことになるんだ、とか、トラウマのこととか、考えてみれば、「私はやらないっ」て思う。

 モラルってことが言いたいんじゃないけど、もっとね、それぞれのつながりを考えられる子どもを育てたいって思っているところ。

 なんてえらそうなこと言っているけど、私が、できることって(家族の中では相変わらず役ただずですが)多分、そんなとこかなって。ぶつぶつ言ってみたくなったんだな。

NO219 過去の自分に負けていた・・・(2001/2/19)

 部屋の片付けをしている。とにかく、捨てようってことで、押入れの中、ファイルの中、捨てられるものは、じゃんじゃんと。出る出る過去の資料。。。でも、その中に、がんばっていた頃の自分がいた。
 初任の頃のレポートの山。何度も朱書きが入って、何度も直した指導案。本から大切なことを抜き出したノートの数々。片付けながら、がんばっていたな〜私って、しみじみ見ていた。それに比べて、今のわたしのていたらく・・・くすん。
 そう、確かに、楽になった。というか、楽している。2度目の同じ学年だし。学級落ちついているし。(初任のころは、学級荒れていた。脱走されてたし)今は、あのころの貯金で暮らしていてそれを使い潰している気がしてきた。
 やだなあ。こういうの。ということで、すべて捨てた。また、新しく、築こう。と思った。

No220 欲(2001/2/22)

 欲をもつのをやめようと思う。

 ただ「今」の自分の環境を大事にしたいと思う。
 変化することをおそれているわけじゃない。
 後ろに下がることを怖がっているわけじゃなく、
 前に進むことを否定しているわけじゃない。
 
 でも・・・
 欲は、持つものではないね。欲は、いつのまにか出てきてしまうものだ。
 
 欲を持つことをやめるってことは・・・
 実は、本当の気持ちを飲みこむことなんだろうか。