反駁の練習:解答4

文責:倉島

この意見に反論するときに重要なことは、T.I氏が挙げた例(「又は」、「即ち」、「おおい」)に反撃を加えても効果的でないということです。なぜなら、その反論に対して、T.I氏はすぐざま別の例をいくらでも出してくるでしょうから。

したがって、T.I氏の議論を支える基本的な部分を崩すのが最も効果的です。つまり以下の2点になるでしょう。

  1. 学校で教わったことは使って良い/使って悪いなら学校で教えるな
  2. 日本語は漢字を見なければ意味が通じない

このT.I氏の議論を支える基本的な部分を崩してから、補足的にT.I氏が挙げた例に反撃を加えるのが効果的でしょう。

第一の論点「学校で教えているのだから使って良い(使って悪いなら学校で教えるな)」におけるT.I氏の議論の欠陥は、時間軸を考慮していない点にあります。つまり、方針の変更があってから学校教育に変化が始まるわけです。したがって、まだ文部省が方針変更を発表しただけの段階では、その方針と現場の教育にギャップがあるのは当然です。このことを考慮すれば第一の論点においては以下のように反論できるでしょう。

「T.I氏は『学校で教えているのだから使っても良い。使って悪いなら学校で教えるな』というような趣旨のことを述べていますが、それは間違いです。なぜなら、方針の変更があってから学校教育に変化が始まるのであり、学校教育に変化があってから文部省の方針が変更になるわけではないからです。現在は文部省の方針が発表になったばかりであり、今後その方針にしたがって、学校教育が変化するわけです。現在はその過渡期にあたり、文部省の方針と学校教育が異なるのは当然です。したがって、現段階で学校教育が旧方針だからといって、新方針が不適切であるという根拠にはなりません。」

第二の論点の「日本語は漢字を見なければ意味が通じない」は、正論であり崩しにくいと感じるかも知れません。しかし、この主張自身は正しくても、このことがT.I氏の本来の主張の根拠にはなっていません。

では、T.I氏の本来の主張とは何でしょう? 本文を読むと、「行き過ぎた漢字制限はやめるべし」と思うかもしれませんが、実は違います。本来の主張は、「文部省の漢字制限は行き過ぎている」です。ここの部分を読み間違えると、T.I氏の主張を崩すことができません。

「行き過ぎた漢字制限はやめるべし」は、あえて言うほどもなく当たり前のことです。この主張の根拠として、「日本語は漢字を見なければ意味が通じない」はこれ以上のない立派な根拠です。しかし、ここで問題となっているのは、今回の文部省の漢字制限が行き過ぎているかどうかです。T.I氏は本来の主張である「文部省の漢字制限は行き過ぎている」を忘れ、論点を「行き過ぎた漢字制限はやめるべし」にすり替えてしまったのです。この点に気づけば反論は容易で、以下のようなものが考えられるでしょう。

「T.I氏は『日本語は漢字を見なければ意味が通じない』というような趣旨のことを述べています。このこと自身はもっともで、漢字制限が行き過ぎてはいけないのは誰もが認めるところです。しかし、だからといって、『文部省の今回の漢字制限が行き過ぎている』ということにはなりません。T.I氏は、本来の問題である『文部省の今回の漢字制限が行き過ぎているか』を棚上げし、『行き過ぎた漢字制限はやめるべし』というしごく当たり前のことに論点をすり替えているだけで、本来の論点である『文部省の今回の漢字制限が行き過ぎている』については何ら根拠を示していません。」

第二の論点のように、本来の主張と述べている根拠が合っていない場合は意外に多くあります。この点に気づかないと、反論も反論にならなくなります。相手の根拠を聞く場合は、相手の主張は何であるか(特にそのラベル)をしっかり頭に残しておかなくてはなりません。