●若さの美学

 今年も新人王戦の季節になった。12月17日には後楽園ホールで熱戦がくり広げら れ、各クラスの東日本新人王が誕生している。  すぐに興奮するくせに涙もろい方ではない僕が、後楽園ホールで感涙を流し続け た試合が1試合だけある。それもやはり新人王戦だった。1988年12月22日、東 日本新人王フライ級決勝。そう、ピューマ渡久地対川島郭志の一戦である。 御存 じの通り、87年度インターハイで渡久地隆人、鬼塚隆をアウトボックスし切ってフ ライ級の頂点に立った川島は、88年デビュー組の中で最も期待される選手だった。 プロ入り後もその華麗なアウトボクシングで牛若丸よろしく敵のパンチに空を切ら せ続ける姿を見て、僕は当時「これこそ天才だ」と、ジーンときていた覚えがある 。一方、アマ無冠でプロ入りした渡久地は川島ほど専門家の評価は得ていなかった ものの、ひたすらに攻撃的、暴力的なファイトでファンの熱烈な支持を集めつつあ った。 この2人の戦いは、まるで夢のようだった。飢えたライオンのように攻め 込む渡久地と、あらゆる動きを駆使してこれをかわし、闘牛士の剣で刺し貫こうと する川島。それはもう、もう、あらゆる瞬間が美しいスペタクルだった。  当時日本ボクシングは世界挑戦失敗ワースト記録更新の真最中。今と違って、日 本タイトル戦でもホールはがらがらだった。「それでも、見よ! 世間の人々よ。 ここに、かくも美しい戦いをくり広げるふたりの19才の少年がいる!こんな凄いも のがほかにあるか?」そんなことを胸の中で叫びながら、うるうる泣いていたので ある。  今思うと、渡久地−川島戦があんなにも美しかったのは、試合のレベルの高さや 両者の個性もあっただろうが、ふたりの「若さ」もあったような気がする。それは 例えば、あのレナード−ハーンズ第1戦も同じだ。秘術を尽くした死闘でありなが ら、同時にそのファイトのどこかに不思議なあどけなさが香っていたのである。若 き天才2人が、その若さゆえに時折、はっとするような拙さを見せつつも、またそ こで信じられないようなリカバーを見せる……。  再戦はありえるとしても、「川島−渡久地」は、あの時しか見られない、一瞬の 夢だったのだろう。