☆11月7日・両国国技館

▽WBA世界S・フライ級タイトルマッチ12回戦

○王者 戸高 秀樹  判定 ×挑戦者 名護 明彦

116−113

115−113

116−114

mario's scorecard

戸高 秀樹

10

10

9

9

10

10

9

10

10

9

10

9

115

名護 明彦

9

9

10

10

9

9

10

9

9

10

9

10

113

by mario kumekawa

 

まずは戸高の快勝と言っていいのだろう。名護はその持ち味のパワフルな右フックを空転されられ通しだったし、戸高は自分なりに考えていたボクシングができたようだ。

「いいのだろう」、「できたようだ」と、切れの悪い言葉を書いてしまうのは、何よりもクリンチがあまりに多くて、なんとも味わいにくい試合だったからだ。長い長いクリンチの時間の合間に、ちょこちょこっとどちらが何をしたか、それで勝負が分かれるのだとすれば、やはり戸高の小さなパンチのヒット数の方が、名護の巨大なフックよりははっきり多かった。

だが、このはっきりとした結果を見てなお、僕には割り切れない思いが残る。いや、この試合を見てなおさら、僕は名護の素質がいかに大変なものだったのかを知っ らされたような気さえする。名護は、僕が思っていたよりもはるかに戦略的でないボクサーだったのだ。

戸高の完勝だったが、僕にはむしろ名護のとんでもない無策が印象に残った。名護には、僕が当初思っていたよりもはるかにさまざまな勝利の手段がありえたのだ。そして、色々あったはずの勝利の可能性をことごとく放棄した試合運びをしてしまった。

プレビューでは、僕は名護のアッパーがヒットしてビッグラウンドを作るのではないか、と書いた。事実、3回あたりはちょっとリズムが出て、名護のアッパーが生きてくる気配もあった。だが、4回に戸高がサウスポー殺しの右を強引に入れてくると、たちまち名護の攻撃リズムはかき消されてしまった。

とにかく名護はリズムがなく、戦略がなかった。僕は、名護のペース把握には左ストレートが働くだろうと予想していた。右フックはそれほど当たるまいと思っていた。たしかに必殺パンチだが、これほど有名になった大振りパンチをまともに食らう世界王者はいないだろうと思ったからだ。実際、山口圭司には当たらなかった。それよりは、 松倉を沈め、山口をぐらつかせた左ストレートが有効だと思った。右利きの名護の左はたしかに抜群にシャープと言うわけではないが、あのど迫力の右との組み合わせの中では、相当の存在感をもっているパンチだ。威力もじつは十分にある。

この左ストレートは、リードブローとしても大きな役割を果たさねばならないパンチだった。名護は右ジャブをリードブローとして駆使するタイプではない。事実今回も、少しだけ右ジャブを打ってみたものの、戸高の反応がよく、かわされると見ると、ぜんぜん打たなくなってしまった。しかしそれなら、他のパンチを打たねばならなかったはずだ。右フックに勝負をかけるなら、あの自在な角度を駆使して上下に打ち分けるべきだった。もしくは、ジョー・フレージャーばりにリズムをつけた波状攻撃がほしかった。

だが、なんといっても左ストレートをリードブローとして使うことが王道だったような気がする。これは、右利きのサウスポーがしばしば使う手だ。実際、左ストレートがある程度出たラウンドは、他のパンチもスムースに出て、良い雰囲気になりかけた。

だが結局、いかなるチャンスもふくらませることなく、名護は大振りのフックをぶんぶん振りまわしながら、結果から見るとおどろくほど幼稚な敗戦を迎えてしまった。

もちろん、戸高の気迫、基本に忠実なサウスポー対策が、名護を崩したのだろう。戸高の集中とリラックスの見事な両立、凄みはないがリアリスティックなビジョンのある右中心の攻めは、難しいとされる初防衛戦であったことを考えると称えてあまりある。やはり戸高はビッグハートだ。名護は「チキン」と言われても仕方ない。 しかし、それにしてもあまりに他愛なく、名護のボクシングは底が割れた。接近戦でのブロッキングができない名護は、ボクシングにならない距離に飛び去るか、クリンチするしかなかった。「攻防」という次元の戦いにならなかったのだ。抱きつくか、飛び去るか、当たらぬパンチをぶん回すか。僕たちが「天才的」とたたえたボクサーは、実はこれほどまでに未完成な選手だった。それでも、松倉、山口といった恐るべきライバルたちを撃破してきたのだ。名護の素質が思ったよりも凄いと思ったというのは、皮肉じみているが、そういう意味だ。

この「完敗」で名護を見限るファンも多いだろうが、僕はむしろますます興味が出てきた。その才能をほとんど「天才的」とまで称えられながら、これほど稚拙な敗北を喫したボクサーはいない。名護のユニークなトレーニング態度が、このような事態を招いたのだろうか。

ボクサーがその才能を十全に開花させるためには、トレーナーの存在が不可欠だ。どれほどの天才ボクサーといえど、二人三脚を組めるトレーナーの存在なしに世界王座にたどり着くことはほとんどありえない。また、世界王者を育てることのできるトレーナーは、世界王者同様特別な「何か」の持ち主であるようだ。

世界王者を育てたことがあるトレーナーがごく一握りであるのは、ことの難しさから言って当然としても、ひとたび世界王者を生み出したトレーナーは複数名のチャンプを作り出すことが多いのも事実だ。世界チャンピオンは作れる人には作れ、作れない人にはなかなか作れないという、厳然たる能力の「差」がそこにはある(基本的に天才たちのものであるプロスポーツは特別なものとすれば、アマチュアや学生スポーツの世界を見れば指導者こそほとんどすべてであることがわかる)。

白井具志堅スポーツジムにとって、今回の試合はきわめて大きな「試験」であったと言えるだろう。名護の素質は、日本ボクシング史上でも屈指のものであることはほとんど全てのウォッチャーが認めるところだ。この「玉」を磨ききることができるか、この一例で新興ジムの指導力が大いに問われるところだった。そういう意味では、「痛い」星を落としたわけだ。

特に、名護とともにトレーナーとしてデビューしたと言っていい杉谷満トレーナーにとって、今回の世界戦は千載一遇のチャンスであり、また試練でもあった。もちろん、名護のような駿馬と出会うことは、トレーナーとして僥倖である。だが、かつて猛打の世界フェザー級ランカーだったのが嘘のような柔らかな物腰の杉谷だけに、周囲に「新米トレーナーが天才児名護をもてあますのではないか」と心配の声があったのも事実だ。

実際名護は、自分のボクシングスタイルやファイトプランについて、ほとんど自分一人で決定するという。杉谷の存在は、通常のトレーナーのような「作戦参謀」、「指導者」といったものではなく、「兄貴分」に近いものであり、あくまでも名護のボクシングの核心部は、本人が孤独の中で作り上げたものである、というようなことが言われていた。

だが、もしこのことが事実なら、名護は戸高に対して大きなハンディを持っていたことになるかもしれない。マック・クリハラを心底信頼することで、急成長をとげ、勝負強さを身につけたのが戸高というボクサーだったからだ。ヘスス・ロハスにダウンを与えたワンツーは、コーナーからのクリハラの声に瞬間的に応えたものだった。リング内の戦いでは、意識的に行なっているだけでなく、無意識の部分も大きなファクターになることは明らかだ。その部分を信頼できる人物に預けることで、ボクサーは一周りもふた周りも強くなる。

杉谷に対して名護が抱いている「信頼」は、そういう類のものではないように見えた。むしろ、貴重な話し相手、時に救いようもなく孤独な作業となりかねないトレーニングをリラックスしたものにしてくれる潤滑剤のような存在。杉谷は名護にとって、自分を追い込む存在ではなく、ガスを抜いてくれる友だちのような存在ではなかっただろうか。

敗戦後の控え室、取材陣が引き上げた後、肩を落として椅子に座っている名護に、杉谷はやわらかな口調で「どこが悪かったと思う? 」と話しはじめた。あくまでも「鬼軍曹」ではなく、コミュニケーション・パートナーとしてのトレーナーなのか。マイク・タイソンは口うるさいケビン・ルーニーを解雇し、トレーナーと延々「議論」を重ねつつ、力を落としてしまった。だが、寡黙で内省的な印象のある名護にとっては、杉谷の方針は絶対のベストかどうかは知らず、けして間違ってはいないように思う。

痛恨の敗北を喫した若い師弟が、「どこが悪かったか」を十分に話し合い、今度こそそのありあまる才能を十全にリングに花開かせる日を待ちたい。


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