サイト管理者の前置き
これまで、本サイトではパワフル本望選手をはじめとする3選手の周辺から発せられる情報をもとに、移籍問題を考えてきました。したがって、一貫してオサムジムには批判的な記事を掲載し続けてきたことは事実です。
今回、「オサムジムのトレーナーと友人関係にある」という高橋信行さんという方から、「オサムジムの立場に立った反論をさせていただきたい」というメールをいただきました。僕としては、本望選手たちの移籍を支持しつつも、こういう反論をしくてくださる方を求めていましたので、大変喜んでいるところです。「欠席裁判」によってオサムジムを一方的に断罪することはまったく本意ではありません。
以下に掲載した高橋さんの文章には、本望選手や金子選手のお話とは矛盾する事柄も記されています。僕が本望選手や尾崎恵一さんを信頼する立場を取っていることは、これまで表明してきた通りですが、高橋さんからいただいたメールにも大変真剣な姿勢を感じ取ることができました。本サイトは裁判所でもなんでもありませんから、最終的に「これが真実」とか「こっちが間違い」と言うことはできないでしょう。それでも、視点を可能な限りクールかつ多角化し、事実に近づきたいと思います。心情的には本望選手寄りの僕ですが、「事実」をめぐる議論においては可能な限り中立・公正であろうと思います。
サイトをご訪問いただいた皆さんも、高橋さんの「反論」をぜひじっくりお読みいただいと思います。高橋さんからいただいた文章を、行間を開ける以外はすべてそのまま載せてあります。高橋さん、あるいは本望選手たちへのご質問等ありましたら、僕宛てにメールでお送りください。それをまとめ、それぞれの方にあらためて話を聞いて、ふたたび本サイトでご報告したいと思います。(粂川 麻里生)
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初めまして、私は本望選手をこの間応援していて、約3年前のB級トーナメントあたりからほとんどの試合を観戦している高橋信行という者です。また、激励賞も出させてもらっていて、尼崎の洲鎌戦も当日応援に行っています。もちろん本望選手も私の事は知っていますし、一緒に移籍を希望している金子選手、元吉選手も私の事は知っていると思います。
さて、インターネットの「2ちゃんねる」掲示板などで「パワフル本望事件発生!」の論議が盛んにされていますが、オサムジム側からの反論がないという意見もあり、私なりにオサム会長、奥さん、トレーナーなどに話を聞きながら、誤解されていると思われる部分も含めまとめてみました。全てが網羅されているわけではありませんが、この文章の責任は高橋自身にあり、間違い等は指摘していただければ調査し、訂正させていただきます。私はボクシングに関してはの素人で単なる一ボクシングファンです。オサムジム関係者とはもちろん面識はありますが、オサムジムとの利害関係は全くありません。今回の意見を載せるに当たっては私の個人の判断と責任で行っていることをご理解下さい。
また、この文章を粂川氏のホームページに公開しようと判断したのは、長文になるため現在論議が進んでいる「2ちゃんねる」掲示板ではなじまないのではないかということと、本望選手のメールも粂川氏のホームページに載せてあるのでオサムジムの立場も載せて頂けると思ってからです。「2チャンネル」掲示板の多くが匿名で展開されていることに対しては私がどうこう言う立場ではありませんが、私自身が名前を公開するため同等の条件の場所が良いと思いました。粂川氏には私を信用していただくために私のメールアドレス等をお知らせしています。
さて前置きが長くなりましたが、まず結論としてはオサムジム・オサム会長は本望選手の移籍を拒否しているのではないし、お金目的で長引かせているわけでもないということです。本望選手が黙ってオサムジムに来なくなり、角海老宝石ジムで練習をし、その後かなり経って移籍をしたいと言ってきたので、会長が「やってはいけないこと(移籍の事ではなく、順番が違うということ)をやっているのでちゃんと謝ってからにしろ」と言ったそうですが、本望選手らは「殴るなら殴れ」という態度を取ったそうで、その事が許せないとオサム会長は言っていました。このことが解決を長引かせる原因になっている可能性は大きいと思いますが、ジムの立場としては正当なものだと思います。オサムジムから見た経過に関しては下記に記載しました。
また、移籍に関しては最終的にはジムの会長同士が移籍金も含めて決める問題なので、「選手だけでお願いに来ても話にならない」というのが一般的なジムの会長の考え方のようです。角海老宝石ジムの鈴木会長とは2度会って話をしていますが、鈴木会長からの積極的な移籍要求はなかったようです。
しかし、選手とジムの間で意見が合わずもめているのは事実です。選手の気持ちを十分に分かってあげられなかったこと、オサムジムの考え方を正確に選手に伝えられなかったことは反省すべきことだと思います。オサム会長は「選手に誤解を与える発言もあり、自分も反省しないといけない部分もある」という発言もしています。
現在、オサムジムにはプロ選手が9名(本望選手ら3人を除いて)と練習生が約80名ほど登録されています。17日や20日はお盆明けにもかかわらず30名以上の選手が練習していました。本望選手らが来なくなった昨年暮れはやはり選手らに動揺がありましたが、今は「オサムジムで強くなったのでオサムジムに骨を埋めよう」と一致団結して頑張っています。もし、オサムジムが選手に対してひどいことを行っていたり、金もうけのための搾取行為を行っているとすれば選手は全員いなくなるはずです。しかし現実は皆頑張って強くなるために努力をしています。
では、以下が本望選手らの移籍前後からのオサムジムからみた経過です。
2000年10月18日
大阪・尼崎で洲鎌戦
2000年11月 4日
トレーナーとの練習の約束時間に本望選手が来なかった。結果的に2000年11月
2日までで本望選手がジムに来なくなったようです。
2000年11月 5日
オサムジムの奥さんが本望選手のお母さんに電話連絡をとる。お母さんからは「悩みがあるようだ」と言われたので「悩んだほうが強くなるよ。考えさせたほうが強くなるんじゃない」と奥さんは答えたようです(この時は移籍のことは当然知りませんでした)。
2000年11月 9日
トレーナーが本望選手に電話連絡をする。 2000年11月14日
本望選手から「木村・ゴメスとの勝者に挑戦状をしてほしい」という手紙が届いた。本人の気持ちだと思い電話で本人をジムに呼んで、挑戦状にサインと印鑑を押してもらいコミッションに提出した。
2000年11・12月頃
角海老宝石ジムのマネージャーからオサム会長に電話があり「本望選手達3人がトレーニングに来ていて移籍したいと言っているが…。うちにはフェザー級のランカー選手が2人もいるので要らないんだけど」と言われた。その後、オサムジムから角海老宝石ジムに電話で「選手達を返してほしい」と電話しているが、角海老宝石ジムからは「本人達は帰らない」と言われたので、オサムジムから「ほっといてくれ」と伝えた。この時点では本望選手らからはオサム会長には何も言われていなかった。
2000年12月 5日
本望選手がオサムジムに来た。この間コミッションの指導により全選手から誓約書(注1)を書いてもらっていた。本望選手にも書いてもらおうと手渡したが、もって帰ったままジムにには来なかった。
2000年12月28日
本望選手からオサムジムに電話があり「まだ迷っている」ということが言われた。 2001年 1月 4日
オサムジムトレーナーが本望選手から移籍の相談を受ける(注2)。
2001年 1月26日
本望選手のお母さんがオサムジムを訪れる。本望選手がオサムジムの鍵を預かっていたのでとりあえず返しに来たようです。お母さんからは「悪いことをしているのですぐにはジムには来れないが、ジムには戻します。時間がかかるかもしれませんが待ってて下さい」と言われた。
2001年 1月30日
本望選手の件でコミッションに電話をする。 2001年 2月14日
角海老宝石ジムの鈴木会長とオサム会長が後楽園ホールで3選手の移籍の件で話す(注3)。アメリカ遠征など手塩にかけていることを聞いた鈴木会長は「3人はお返しします」との返事があった。
2001年 2月18日
本望選手、金子選手、元吉選手がオサムジムに来て、角海老宝石ジムに移籍したいとの要望を伝える。この時点で初めて本人からオサムジムに正式に意志が伝わった。
2001年 3月 5日
洲鎌選手の会長から洲鎌選手とのリターンマッチの申し出があった。オサム会長が本望選手に電話をする。当日の午後本望選手がオサムジムに来た。本望選手からは「2〜3日考えさせてほしい」と言われる。
2001年 3月 6日
本望選手から断りの連絡がある。
2001年 3月14日
ゴメス選手の中屋会長からタイトル戦の打診があった。この時点で本望がオサムジムに来ていないのと洲鎌選手とのリターンマッチを断った経過もあるので中屋会長にはタイトル戦は断って、ゴメス選手の相手には洲鎌選手を推薦した(注4)。
2001年 3月16日
角海老宝石ジムの鈴木会長がコミッションに中に入ってほしいという手紙を出した。
2001年 4月 7日
元吉選手からオサムジムに電話があり、「移籍したい」と言われた。奥さんは「やることが違うんじゃない。自分達だけの主張だけじゃ通用しないよ」と言った。
2001年 4月25日
3選手がオサムジムに来て「移籍しますから」と言ってきた。奥さんの感想では「喧嘩を売りに来た感じだった」と言っていました。このとき前記の「殴るなら、殴れ」という会話があったそうです。
2001年 5月14日
弁護士の横堀氏から本望選手のことでFAXが入る。オサム会長は「角海老の鈴木会長と話をしているから入らないでくれ」と伝えた。
2001年 5月18日
横堀氏から角海老宝石ジムの鈴木会長の立場を書いたFAXが入る(注5)。
2001年 6月 6日
角海老宝石ジムの鈴木会長がオサムジムを訪れ、オサム会長と話をする。その時も「3人にはオサムジムに戻るよう説得する」との返事があった。
2001年 7月
本望・金子・元吉の弁護士からコミッションと話をつけてほしいという内容のFAXが入る。
2001年 7月23日
コミッションの呼びかけで後楽園ホールに試合前に会談を行う(注6)。
2001年 8月 3日
本望・金子・元吉の弁護士から郵送で「解約書」の入った内容証明書が届く。オサムジムは顧問弁護士と相談をする。
注釈−高橋
注1:誓約書は本望選手が今後オサムジムで選手生活を進めていくか確認のためのもののようです。コミッションの契約書とは別です。オサムジムの選手はプロテスト合格後や契約更新時に本人と保護者(親御さん)のサインと印鑑もらっています。「いかなる怪我または事故等があっても、オサムボクシングジム及び関係者に対して一切の責任を負わせない」との記述はプロとしての自覚を促すもので、「試合のキャンセル金は本人が払う」との記述もあるが、過去に個人的な事情(スキーで骨折した、バイクで怪我をしたなど)でもオサムジムがキャンセル料を払っていたのでそれをはっきりさせるためのようです。現実的な運用としては、練習などでの怪我の場合のキャンセル料は選手と話し合って決めているようです。
なお、問題とされている5年契約の期間に関しては洋介山選手の件があったのでJBC小島事務局長の進言で5年としたそうです。なお、この誓約書があってもコミッションの契約書が優先することはオサムジムも確認しています。
「白紙にサインだけして後から文章をワープロ書きする」ことは選手本人と親御さんのサイン・印鑑を両方必要とするので有り得ないことだと思います。実際の誓約書を見せてもらいましたが、両方のサインと印鑑が全てありました。また、この誓約書の用紙は原本を何度かコピーしたもので後からワープロ書きされたものではありません。そもそもオサムジムにはパソコンというものはなく、今回のインターネットの書込みも他のジムの方から情報をもらって知った経過があります。オサムジム・会長には失礼ですが、後からワープロで書き込むという発想すら浮かばないと思います。
注2:本望選手とトレーナーの会話は以下の内容だそうです。 本望「移籍は出来ませんか」
トレーナー「移籍は難しんだよ」
本望の体がしまっていたので「角海老で練習してるの?」とトレーナーが聞くと本望選手は「していません」と答えた。
トレーナー「会長と3人で良く話し合おう。会長にそういうように言おうか?」
本望「もう少し考えたい。今はそういう気持ちになれない」
注3:オサムジムの立場(多くのジムがそう考えているそうですが)としては、選手の移籍問題は両方のジムの会長の意志と話し合いで決めるものと考えているようです。コミッションも基本的には介入すべきではないという立場です。まして選手の希望だけで決まるものではないと思います。プロ野球の移籍もエージェント資格がない選手は本人の希望とは関係なく決まるし(良いかどうかは別)、プロサッカーでは必ずクラブへの移籍金が話題になります。
注4:当時は洲鎌選手も先に試合が決まっていたため実現しなかったようです。
注5:横堀氏のFAXの内容は、「角海老宝石ジム鈴木会長によれば、自らパワフル本望選手外2名を希望することはない。本人とオサムジムが円満に解決できるならば、後に受け入れても良いという態度の事だそうです」というもので、金額は200万円までなら出せるというものだそうです。
注6:オサム会長はコミッションの呼びかけがあったので相手方も弁護士が来ると思い参加したようですが、立ち会いは尾崎氏一人で驚いたようです。「声を荒げた」と書かれているのはこのことも原因だったかもしれませんが、当日の録音テープを聞く限りでは声は荒げていないそうです。当日は3時の約束でしたが、「替玉問題」の件もあり4時からの会談になってしまったそうです。このあと選手の試合があるため退席したそうです。
ゴメスへの挑戦状を出したのは本望選手から手紙を貰ってからなので、ワールドボクシング8月号の「出している」という表現は間違いのようです。洲鎌選手とのリターンマッチは10月の試合後にリターンマッチをやるという約束を向こうの会長としていて、本望選手にも伝えてあったようです。
「こいつはわがままなんだ。嘘ばっかり言っている」という発言は、本望選手の「オサム会長から指導を受けていない」ということが事実でないからだそうです。本望選手は他の誰よりも指導を受けていないと不安になるタイプです。実際、A級トーナメントでは会長が作った練習メニューをこなして優勝出来たし、朝の練習は本望選手がプロになってからずっと会長が面倒を見ていました。私がジムに見に行った時もトレーナーの意見を聞いて一生懸命練習していました。
以上がオサムジムからみた経過と私の注釈です。
上記の経過のなかでオサムジムは本望選手はすぐに戻ってくると思っていたようです。「移籍をしたい」と正式に本人達から伝えられたのがジムに来なくなってから3ヶ月以上が過ぎてからで、その後角海老の鈴木会長のとの話し合いや横堀氏のFAXの内容から移籍は難しいと思っていたようです(移籍をさせないというのではなく、状況として移籍は難しいので戻ってくると思っていたようです)。オサムジムは事をわざと長引かせている訳ではないのです。
「試合を組んでくれなかった」という意見もありますが、相手があることで必ずしも希望通りにはなりません。しかし、今年3月に洲鎌選手とのリターンマッチ(10月の試合後にリターンマッチをやりたいとの意向があり、その後オファーがあったもの。約束の経過もあり、本人に伝えた)の話がありましたが本人が結果的に翌日断っています。この時も「発つ鳥後を濁さず」で洲鎌選手とリターンマッチを行ってから移籍の事を話そうという予定でした(オサム会長は洲鎌選手と試合をしたら本当に移籍料なしで移籍させるつもりでいたようです)。また、ゴメス選手とのタイトル戦も本人不在で断らざるを得ませんでした。本望選手の戦績を確認していただければわかりますが、年に3回〜4回は試合を行っています。間隔が半年くらい開いた時がありましたが、バッティングで目の上を切った時の治療のためのようです。
「洲鎌選手に勝ったら日本では試合ができない」という内容のコメントはタイトルマッチをねらう洲鎌選手に勝ったという自信をさらに深めさせるための発言(本望選手には伝わらなかったようですが)で、「アメリカに行け」という発言はアメリカに行って世界ランカーになり、世界と闘ってほしいという気持ちがオサム会長にはあったからだそうです。ただ、トレーナーとしては本望選手の減量は厳しいものがあり、スーパーフェザーで試合をさせたかったようです。特に強豪がひしめくフェザー級より1ランク上の方が減量も楽でチャンピオンになれる可能性があると判断していたようです。しかし、本望選手は日本のフェザー級に固執したようです。これが最初に書いた「選手に誤解を与える発言もあり、自分も反省しないといけない部分もある」ということで、本望選手とオサムジム側の十分な意思疎通が出来なかった結果かも知れません。
また、金子選手の言う「7キロの減量」は事実と違うようです。
アメリカでマッチメイクを行った堀内氏に確認しましたが、金子選手が言っている「7キロ」は「7ポンド(約3.18kg)」ではないかということです。アメリカの体重計はポンドでキロの体重計はないそうです。そもそも1日で7キロの減量ができるかどうか疑問で、仮にできたとしても金子選手の言う腰痛であったならば7キロの減量をするためには余程の努力が必要になるわけです。
アメリカでの試合は本人のサインがないと成立しないので金子選手本人がアメリカの堀内氏とともにドクターの許可のもとサインをしているようです。当時、会長の奥さんが金子選手に電話で話した時は「B級トーナメントがあるから試合をするな」と言ったそうですが、本人は「勝つから大丈夫」と言っていたそうです(同じB級の試合が予定されていた朝山選手は試合をしなかった)。腰痛に関しては会長は「あったかもしれないがドクターがついているのでドクターと相談しろ」と指示をしたそうです。ドクターがOKだったので当日の試合も成立したようです。
無断での試合の件はアメリカでの試合はいつ試合が決まるかわからないので事前にコミッションには相談できないそうです。事実、日本に帰ってきてからコミッションにアメリカでの試合を報告しています(安河内氏に報告)。これはKO負けした場合90日間試合をしてはいけない規定があるため、アメリカでのKO負け後90日以内にB級トーナメントがあるため欠場届を出したそうです。これは金子選手も合意していることだそうです。なお、戦績が入っていないのはオサムジムの問題ではなくコミッションの問題です。試合会場や相手が結局確認できず戦績が記録されていない可能性はあります。
上記のようにオサムジムは選手の事を常に考え、試合を決める場合も選手と相談をして決めて、勝手には決めたりはしていないそうです。本望選手のメールで「試合が無茶な間隔で試合をさせようとしたり、半年以上もあいたりしました」とありますが、本望選手の場合はバッティングが激しく試合間隔を開けないと直らないであり、他の選手の場合も体調を気にしてマッチングを考えているそうです。
さらにオサム会長は「金の亡者で選手から金を巻き上げている」風の意見もありますが、実際は逆のようです。むしろ選手に多く出しているようです。洋介山選手に関しては67%の選手の取り分を洋介山選手に渡した上で、相手の選手の交通費、食事代、スパーリングパートナーの費用もオサムジムから払ってたようです。洋介山選手とは金銭面でもめたので洋介山選手への振り込みは全て銀行口座にして(以前は現金で本人に払っていた)、プロモータからの振り込みと洋介山選手への振り込みをはっきりとさせたそうです。調べれば入った金額と支払った金額はわかるそうです。当時オサムジムの顧問弁護士からは「なぜ洋介山選手がいるのにジムが赤字になっているのか」とも言われたそうです。当然ジムを経営するためにはお金は必要ですが、日本では一人しかいないヘビー級の洋介山選手には期待も含め先行投資と考えていたようですが、結果的には洋介山選手に裏切られた形になったようです。
本望選手に関してもA級トーナメントで優勝した時の祝勝会(私も参加して一緒に写真を撮ってもらいましたが)もオサムジムは赤字を出してまで本望選手にお祝いを出しているそうです。
現在でも33%のジムの取り分は一旦もらって、13%程度は選手に還元しているそうです。ファイトマネーをチケットで配布することは行っていますが、これは選手がプロになるとき「うちはファイトマネーをチケットで渡しているがいいか」と確認した上でプロテストを受けてもらっているようです。ファイトマネーは現金で払いたいのはやまやまですが、現実的には現金で払えないためチケットで渡しているそうです。なお、正確ではないかもしれませんが、チケットの場合は現金よりも多くの額で来るそうです(プロモーターによってかなり違うそうですが)。たとえばファイトマネーが10万円の場合は20万円分のチケットが届くそうです。選手らも割引で販売しても全部売れれば決して下回らないそうです。少なくともオサムジムではそうしているそうです。
オサムジムの経理に関しては税理士にもチェックをしてもらっているので全く不正はないそうです。もしあれば当然税務署から調査が入るわけで、そのような事実は全くないそうです。
以上、私がオサムジムの会長、奥さん、トレーナーに話を聞いて私なりにまとめた内容です。本望選手とは昨年10月以降会っていないので本人の意見は載せられませんが、インタビューやメールを参照して下さい。
私は本望選手をずっと応援してきたので試合に出れない状態はとてもつらいですし、チャンピオンも夢ではないと思っています。ただ、オサムジムとオサム会長が不合理に本望選手達を貶めているわけではありません。結果的にこういう状態になってしまったのです。
ボクシングはまだまだマイナーなスポーツで不条理な部分が多くあると思います。これらはJBCを含めて、またマスコミやファンを含めて解決していかなければいけないと思います。しかし、これらをオサムジムだけの責任としてとらえて良いのでしょうか?オサムジムや会長に対して個人的な感情を持っている方もいるとは思いますが、もっと大きな視野で見てほしいものです。
ちなみにホームページ上で本望選手のインタビューに書いてあった大阪でのコンビニの話は事実です。たしか試合の当日に本望選手本人からそのことを聞きました。しかしこれはコンビニだと栄養ドリンク剤があったり、消化に良いものを本人の意思で選べるため連れていったそうです。オサム会長は選手の体調を管理し心配して本人の意思で選ばせているとのことです。ただ、本望選手にはこの考えは受け入れられなかったようです。
ただ、試合が終わってから4人で寿司を食べました。その時はオサム会長がおごってくれました。また、以前に一緒に銚子に試合に行った時(田鍋選手が試合で本望選手はセコンドでした)もお昼と夕飯はおごってもらいました。私が自分の分を払おうとすると「高橋さんは払わなくていい」と会長の奥さんに怒られました。決してオサム会長や奥さんはケチではありません、むしろ逆です。しつこいですが念のため。 |