☆11月22日・大阪

▽WBC世界バンタム級タイトルマッチ12回戦

○挑戦者  辰吉丈一郎 VS ● チャンピオン シリモンコン・ナコントンパークビュー

TKO 7回1分54秒

 

[Mario's scorecard ]

シリモンコン

9

9

9

9

7

10

53

辰 吉

10

10

10

10

10

9

59

by mario kumekawa

 奇跡だ。日本リングにも久々に奇跡の風が吹いた。さすが辰吉丈一郎だ。彼は

天才だとは思っていたが、天才という言葉の前に「終わった」をつけることに、

もうずいぶん前からためらいはなかった。しかし、いまだに辰吉は天才だったの

だ。しかし、たとえそうだとしても、もはや辰吉に「天才」の語は似合わない。

単なる天才だったころの辰吉だったら、今夜の試合は勝てていなかったかもしれ

ない。この勝利は、修羅場をくぐったファイターだからこそ手にしえた、「男の

勲章」である。

 

 5回までは、天才辰吉の試合だった。だが、押しに押しながら、体力に優るシ

リモンコンを倒し切れない辰吉はガス欠に陥った。両者とも濡れ落ち葉のように

なった7回、むしろ勝利の女神はシリモンコンに気を移したようにさえ見えた。

辰吉の息は完全に上がり、目が点になっている。シリモンコンのゴージャスな巨

体から、重く強いパンチが繰り出され始める。悲しい逆転劇の始まりと見えた−。

 

 辰吉は絶好の立ち上がりだった。初回のジャブは、スロースターターのシリモ

ンコンの出鼻を完全にくじいた(私が期待した「ファイティング原田戦法とは違

うが、むしろもっといい、ジャブさえ外しながら接近する理想的な立ち上がりだっ

た)。思うように前進させなければ、シリモンコンはやや鈍重なボクサーにさえ

見える。

 だが、辰吉のスタイリッシュなボクシングは、やはり長持ちはしなかった。2、

3回はジャブが少なくなり、より大きなパンチ主体のボクシングになってしまう。

シリモンコンのヘビーなパンチも少しづつ入り始め、冷汗が出そうなシーンもち

らほらと見え始める。

 

 ただ、ジャブのかわりに辰吉はボディブローが入り始めた。4回以降、そのボ

ディーブローの効果が現れてきた。シリモンコンの弱点がボディーではないか、

というのは、戦前から言われてきたことだが、それにしても、まさにてきめんの

効果だ。往年の矢尾板貞雄か沼田義明を思わせるシリモンコンのボディーの弱さ。

しかもボディーブローはもとより辰吉得意の攻撃だ。一気に光明が見えてくる。

 5回、辰吉は思うように攻めまくった。完全にボディーの効いたシリモンコン

の顔面に右強打を返し、コーナー下に吹っ飛ばすダウンを奪う。

 

 だが、全盛期を思わせる辰吉が全力の猛攻をかけても、シリモンコンにとどめ

を刺すことはできなかった。6回、辰吉の動きが止まった。若い頃でさえ、一通

りの攻撃をしのがれると、逆に相手の連打を浴びるのは辰吉のパターンだ。サミュ

エル・デュラン戦の第6ラウンドが脳裏をよぎる。たとえダメージを受けていよ

うと、シリモンコンの攻撃力はデュランの比ではない。辰吉の動きが止まったら、

一気にフィニッシュされてしまうだろう。ここまで追いつめたのに……。せつな

い思いが胸をよぎる。

 しかし7回、逆転への攻撃をしかけてくるシリモンコンに、瀕死の辰吉が右ボ

ディーブローを再度叩き込んだ。へたりこむシリモンコン。立ち上がったが、体

に力が入らないようだ。行け、辰吉! レフェリーはリチャード・スティールだ!

止めてくれ!

 

 1分54秒、スティール・レフェリーはストップをかけた。けして早すぎるストッ

プではない。しかし、あとシリモンコンが1分数秒ほど耐えれば(それは容易で

はなかったろうが)、試合は次のラウンドに入り、趨勢はまだわからなかったか

もしれない。ポイントは圧倒的に辰吉だったろうが、勝敗は紙一重だったように

も思える。

 そんな試合を、辰吉がものにした。これは天才とは関係ない。ガッツだ。修羅

場で何度も地獄に落ち、そこから這い上がってきた男の強さだ。ボクサーがこん

なことをするのは本当に稀なことだ。「何度も地獄に落ちた」ら、ボクサーは普

通心身のどちらかが再帰不能になってしまう。だから、これは奇跡だ。アリやレ

ナードがやったようなことを、辰吉はしでかしたのだ。

 

 辰吉はこの勝利でほんものの伝説になった。