☆3月13日・両国国技館

▽WBA世界ライト級タイトルマッチ12回戦

○王者 ヒルベルト・セラーノVS●挑戦者 坂本 博之

TKO5回

by mario kumekawa

 

坂本としては、何も初回にあんな大チャンスがこなくてもよかった……。というより、結果論的には、初回に2度もダウンを奪ったことで、あらゆるプランが狂ってしまったとさえ言えるだろう。

試合前、坂本は必ずしも好調が伝えられていたわけではなかった。減量苦が伝えられ、実際ジムでの動きも生彩にあふれていたわけではない。サラス・トレーナーとのコンビネーションも、やはり即席コンビということもあり、必ずしもすべてが噛み合っているわけではない、とも伝えられた。

しかし、坂本はあまりにも見事な立ちあがりを見せた。もともとセラーノにもろさがあったとはいえ、いきなり右フックでダウンを奪ったのは、膝を使って懐に入り込む鋭さがいままでにないほどだったからだ。

過去の世界戦においては、坂本は主としてボディーパンチャーとして戦い、顔面を打って山場を作れるような試合はできなかった。ステップインの鋭さがなく、世界王者たちがまともに顔面に食らうようなパンチは打っていなかったのだ。

それが今回のセラーノ戦では、かなりなめらかに膝を使い、いともあっさりと自分の距離を作ることに成功した。それなくしては、いやしくも世界王者がいきなりもんどりうって倒れるような攻撃にはならない。これは、星飛雄馬ばりの「世界王者養成ギブス」をつけて、膝を曲げたままでの動きを散々練習した成果だと見るべきだ。“サラス・マジック”は、たしかに坂本のボクシングスタイルにも洗練を与えていた。

しかし、初回のあまりに大きなチャンスは、結果的には坂本に不運を呼んでしまった。坂本本人は(おそらく後半勝負だったであろう)作戦にはない戦いをすることになったし、セラーノはなりふり構わず延命作戦に出た。2回、セラーノが何度か放った力任せの左アッパーが、坂本の顔面をこすりあげた。

初回で左目を軽くカットしていた坂本だが、2回開始後わずか30秒で右瞼が別人のように腫れあがった。僕は「サミングだ」と思った。パンチ一発では、わずか1分足らずの間にまぶたがあれほど腫れることはない。坂本の変形した形相は、眼に直接、しかもえぐりこむような外傷を受けたことを物語っていた。

ビデオで確認すると、サミングではなかった。2回早々に坂本のアゴにヒットしたアッパーが、そのまま顔の表面をこすり上げていったのだ。その際、グローブの一部が坂本のまぶたをめくり上げ、さらに強くこすった。坂本が半歩後退し、一瞬動きが止まる。サミング以上の、ダメージが瞼に与えられたことだろう。

なんという不運! あんな「目こすりアッパー」は、打とうと思って打てるものではあるまい。坂本は天国から地獄に一気に転げ落ちてしまった……。

試合が進むほどに「目さえ見えていれば……」と思わずにはいられない展開になっていった。セラーノはたしかにカミソリ・パンチャーだが、やはりS・フェザーでも戦っていたこともあり、パンチの「芯」の強さはない。セラーノのパンチを受けて、たしかに動きの止まるシーンもあった坂本だが、次の瞬間には「なんだ、この程度か。いける、いける」という表情が見て取れた。

タフネス度においても、セラーノはライト級としてはひ弱いところがあった。視界を半分失った坂本が多少の被弾を覚悟で前進し、距離をつめたところで左右のボディーを打つと、王者は明らかに弱っていった。

「これは、目の負傷との追いかけっこだ」と思ったのは僕だけではあるまい。坂本はセラーノのパンチでは倒れない。そして、セラーノは坂本の攻撃に12ラウンドは耐えられない! 目がふさがってのストップさえなければ、坂本は世界王者だ。

事実、4回あたりからは、すでにボディーも効き、スタミナも失ったセラーノは足も遅くなった。視界が狭まりつづけている坂本は、そうとう無茶な接近の仕方で、およそ技術的な戦い方ではなくなっていたが、それでもセラーノ城の外壁をどんどん崩していった。

だが、5回、ミッチ・ハルパーンは試合をストップした。ハルパーンは、世界一のレフェリーだ。その判断の的確さ、若さに似合わぬほどの威厳、スピーディな見のこなし、まさに現代のレフェリングの頂点と言える。そのハルパーンが今回試合を止めたタイミングも、文句のつけようのないものだった。ドクターに坂本の傷を見せるタイミングも、回数も、じつに正しかった。これほど悔しい、ある意味で納得のいかない坂本の敗戦であるにもかかわらず、場内にさほどの混乱が見らなかったのはハルパーンの力だ。

しかし、しかし……。もしレフェリーが20年前の日本人レフェリーだったら、あるいは今世紀初頭のアメリカだったら、試合はなお続いていただろう(ハリー・グレブは片目ながら無敵の世界ミドル級王者として君臨したのだ)。坂本の両目が見えなくなるまで試合を続けただろう。そして、坂本は終盤セラーノをマットに沈めたのではないか。

だが、もうよそう、空想の世界に「勝者坂本」を探すのは。坂本は負けたのだ。セラーノは、まったく正当な攻撃によって、恐るべき挑戦者坂本の目を潰し、王座を守ったのだ。

僕たちは、今回の試合が浜田剛史にとっての最初のアルレドンド戦、平仲明信にとってのエドウィン・ロサリオ戦のように、「2度と来ないチャンス」だったような気がするからこそますますあきらめきれない。しかしとにかく、坂本はもう一度チャンスをもらう資格があるだろう。その時は、もう一度炎のような闘志でぶつかり、世界の頂点に立ってもらいたい。硬骨の九州男児・坂本博之に“アンラッキー・ブルース”は似合わないではないか。


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