ホセ・ナポレスJose Napolez

mario kumekawa

 何度目かの黄金期を迎えているウェルター級シーンだが、この絢爛たるクラスの歴史上でもつねに三指に数えられる名チャンピオンがホセ・ナポレスである。

 ナポレスほどクラシックな香気を放つボクサーはいない。軽くクラウチした上体を絶妙のバランスでスリッピング、ウィービングしながら接近。パンチをかわず動作がそのままイコール攻撃の準備となっているのがナポレスだ。左ショートフックのダブル、トリプル、完璧なタイミングの右アッパー……。あらゆるショートパンチがカウンターになっており、一撃必倒の威力を秘めていた。

 シンプルなスタイルだが、ナポレスにおいて見事だったのは、全ての動きが完璧につながっていた点だ。 左フック一発で相手がマットに崩れ落ちるまでの攻防の高次元での融合! 開始ゴングからKOシーンまで、ナポレスの身体はまるでなめらかな流体のようによどみなく動いた。そのファイトを人々は“マンテキーヤ(バターのような)”と称えたのである。 キューバ・サンチャゴの最悪のスラムで生まれたナポレスは、6人の兄弟とともに自己防衛術としてボクシングを習い始めた。そして、この知的なスポーツが大層気に入ってしまう。

 ホセ少年の情熱は、市内のジムで練習にはげむだけではとうてい満足できなかった。ヒッチハイクで首都ハバナに到着することに成功すると、トップ選手の集まるジムを訪ね歩き、彼らの練習や動きの真似をして楽しんだ。  中でもナポレスのお気に入りはキッド・ギャビランだった。このテクニックとパワー、そして華やかさをあわせもつ世界ウェルター級王者の物真似をしながら過ごした少年時代が、のちに極度に完成されたもうひとりの歴史的ウェルターウェイトを生むことになったのである。

 14歳でアマチュアのリングに上がり始めたナポレスは3年間でじつに114試合を戦い、わずかに1敗という快記録を残した。昼はバスの運転手をしながら、夜はジム通いというハードな生活だったが、学ぶことに貪欲だったナポレスは、すでに完成度の高いボクシングを身につけていた。

 58年、ナポレスはバンタム級としてプロデビュー、最初に出したパンチで対戦相手フリオ・ロハスをKOしてしまう。以後、2年半の間に18勝2敗という戦績を残す。2敗はいずれも、はるかにキャリアで上回る相手に微妙な判定を落としたものだった。

 まずは順調に見えたナポレスのキャリアだったが、キューバ社会そのものが激震に見まわれる。フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが率いる革命ゲリラが、キューバ各地を制圧、バチスタ政権を打倒して社会主義政権樹立を宣言したのである。

 新政府は、スポーツをも革命の推進、維持のための手段としてみなした。プロスポーツは禁止され、あらゆるスポーツは政府の監督下におかれることになった。

 今まさにプロボクサーとしてはばたこうとしていたナポレスにとって、革命は手足をもがれるにひとしいことだった。悩みに悩んだナポレスだったが、ついにメキシコへの亡命を決意する。61年の7月、ナポレスはハバナのホセ・マルチ空港からメキシコへと飛び立った。当時身重だった夫人には「すぐに帰ってくる」と言い残したが、心の中では永久の別れと決めていた。

 メキシコシティの空港には、やはりキューバ人ボクサーで同じ決断をしたシュガー・ラモス、キコ・ヴェリス、ベビー・ルイスといった世界的ボクサーが迎えに来ていた。「ともに頑張ろう」。異国で苦境を共有する仲間ならではの友情だった。

 ナポレスの「倒し屋」ぶりは、すぐにメキシコのファンの心をとらえた。ランキングも上昇、体格もぐんぐん良くなって、63年にはJ・ウェルター(S・ライト)級で世界ランク入りを果たした。

 だが、ここから世界王座までが遠かった。J・ウェルター級王者サンドロ・ロポポロ、ライト級王者カルロス・オルチスは、あえて危険なナポレスを挑戦者に選ぼうとはしなかった。

 64年にはJ・ウェルター級のトップコンテンダーに上りつめたが、今のような「指名挑戦権」などなかった時代だ。チャンスの回ってくる気配は一向になかった(この年に来日し、ラモス―関戦のセミで当時世界10位の吉本武輝を軽く初回でKOしている)。67年にはウェルター級に上げたナポレスはここでもランク1位まで上げる。だが、時の人気王者エミール・グリフィスは亡命キューバ人を気に留める時間はなかった。

 ヤケ酒をあおることもあったというナポレスだが、ついに光明が差す。グリフィスのミドル級転級を受けて、カーチス・コークスが空位の王座を得たのだ。そして、コークスも下積みの長かったボクサーであったせいか、「ナポレスの挑戦を受ける」と言ってきたのである。「ありがたかった。ノーギャラでもかまわないと思ったよ」(ナポレス)

 69年4月、ナポレスは一回り体の大きいコークスを打って打って打ちまくった。13回終了、顔を大きく変形させたコークスが棄権を 申し出たとき、諦めかけていた夢が実現した。

 以後ナポレスは、グリフィス、アーニー・ロペス、ヘッジモン・ルイス、アドルフ・プルートら強豪ばかりを相手に続けていった。統一王座しかなかった時代にあって、当時のウェルター級の覇者であり続けたナポレスの実力は、現在の尺度では測りきれないだろう。

●ホセ・ナポレス 1940年4月13日キューバ・サンチャゴ生まれ。58年デビュー。ハバナで戦い続けたが、61年カストロ革命を逃れてメキシコに亡命。69年コークスに13回ストップ勝ちで世界ウェルター級王座獲得。3度目の防衛戦でバッカスに負傷負けを喫するが、半年後のリターンマッチに4回KO勝ちで王座復帰。75年にストレーシーにストップ負けで王座陥落、直後に引退を表明した。戦績76勝54KO8敗。 


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