☆10月25日・沖縄 宜野湾市

▽日本S・フライ級タイトルマッチ10回戦

○チャンピオン 名護明彦 VS ● 挑戦者 山口 圭司

97-95

97-96

97-96

[Mario's scorecard ]

名護 明彦

10

10

9

9

9

9

10

10

10

10

96

山口 圭司

9

9

10

10

10

10

10

9

9

9

95

by mario kumekawa

プレビューで僕は、この試合が日本人同士の史上最高の試合になる可能性を述べたが、「可能性」は現実になったと言っても過言ではないだろう。とてつもない試合だった。

ドラマチックなKO劇や派手な打ち合いこそなかったが、これほどのスピードと技巧、そして緊迫感がリングを支配した試合は、邦人対決の世界戦でさえありえなかった。 沖縄地方のごく少数のボクシング・ファンしかこの試合をTVでさえ目撃し得ていないわけだが、録画でも仕方ないから、ぜひこの試合を1ラウンドでも多く放映してもらいたいと思う。

勝利は僅少差のポイントで名護が手にした。僕も、上の表のように、この結果を支持したいと思う。ただし、試合前に思い描いていたボクシングを遂行できたのは、明らかに山口の方だった。僕はプレビューでは、「名護との試合では山口は最近になく緊張感を維持できる」という一部の予想に反駁し、「そんなことはないだろう」と書いた。だが、僕が間違っていたようだ。山口はたしかに、世界戦でも見せたことのない精神的コンディションを作り上げ、おそろしい集中力で戦い抜いてみせた。

立ち上りから鞭のような鋭さで放たれた山口の右ジャブは、終盤にいたるまでテンションの高さを保ったまま、間断なく繰り出されていた。スピード、タイミングともに世界一流のリードブローだ。L・フライ級でもパワフルというわけではなかった山口だが、この日のジャブにはダメージを与えうる威力さえ感じられた。

このジャブに続けて、これまた鋭いとしかいいようのないタイミングで打ち込まれる左ストレート。一撃必倒ではないにせよ、トーマス・ハーンズを思わせる超特急の遠距離砲だ。かつて日本人サウスポーで、これほどなめらかかつ高速のジャブ&ストレートを放った者はいない(具志堅用高のジャブ&ストレートははるかに強かったが、伸びという点では山口が上回る)。

こんな凄いジャブとワンツーが10ラウンドを通じて放たれ続けたら、普通ならそれだけで圧勝である。だが、そうはならなかった。驚くべきことに、名護はこのすさまじいジャブをほとんど食わなかったのである。

これまで、名護のディフェンスといえば、ひとつは「なんで? 」と思うくらい距離をとること、そして相手が攻め込もうとすると、ぴょーんと後方に飛び下がるか、一時のデラホーヤのように両手を前に伸ばして敵の攻勢をなし崩しにストップしてしまうことだった。一口で言うと変なディフェンスなのだが、それでもこれまで名護を打ちすえたボクサーはいなかった。

だが、この日の名護はきわめてオーソドックスなディフェンス、つまりブロッキングとヘッド・ムーブメントで、べらぼうなスピードの山口のパンチのほとんどを封じたのだ。具志堅会長によれば、山口戦にそなえて名護がくり返し練習したことは、ジャブを避けること、そして山口のふところに入り込むことだったという。その練習の成果なのか、この日の名護はグローブをアゴの前に高く上げ、正確に顔面に襲ってくる山口の右ジャブを弾き飛ばしていた。さらにガードの間を突かれたり、動きの中で放たれたジャブやストレートには、瞬時に頭部をスリッピングさせることで対応していた。ガードを固めたレナードと形容してもいいだろう。

そうだ、これはレナード−ハーンズ戦に良く似た戦いだった。あの伝説の一戦のようなどんでん返しや乱打のノックダウンはまったく見られないのだが、2人の天才が見せたスタイルのせめぎ合いが重なり合う。それは図式的に言えば、序盤を名護の強打が制し、中盤を山口のアウトボクシングが支配、しかし終盤に再度名護の爪が山口を襲う……、と描写できるかもしれない。

試合は山口の流麗なジャブ&アウトボクシングで始まった。だが、先述のように、名護の反応もおそろしく鋭く、ジャブを外しながら、前進して行く。手数は例によって少ないのだが、明らかに名護がプレッシャーをかけている。1,2ラウンドともに山口が快調に旋回したのだが、両ラウンドとも終了間際、左ストレートから右フックというコンバーテッド・サウスポー独特のコンビネーションが強烈に山口の顔面をとらえた。

これほど力んだ大振りのパンチを、この日の山口に当ててしまうという名護は、どんな感覚でボクシングをしているのだろうか? 「名護は、右フックを当てる感覚が人並みはずれて鋭く、当たると完全に確信して右フックを強く振っている。あれは、私にもどういうことなのかわからないんだ」と具志堅氏は言う。とにかく、このそれぞれわずか2発づつのコンビネーションで、最初の2ラウンドを名護が取ったと見る。

だが、続く4つのラウンドは、山口のものだったろう。序盤に受けた攻撃で、あらためて名護の右フックへの警戒を強めたらしい山口は、リーチの差を生かして、遠距離からジャブをついては回り込む戦術を徹底する。距離を離すのは名護の常套手段でもあるが、山口のようなリーチとスピードの持ち主には、小柄な名護は飛び込む以外には攻め手がない。攻撃の糸口を見つけられない名護は、ばかばかしいほど手数が出なくなってしまった(この姿が、対ハーンズ第1戦の中盤で、ハーンズのアウトボクシングにでくの坊みたくなってしまったレナードを思い出させたのだ)。

6ラウンドには、レフェリーから「もっとファイトしろ」の注意が両選手に出されたことでも、中盤がいかに静かだったかが想像していただけるだろう。両者の肉体には、皆無ではないにせよ、ほとんどパンチは当たっていない。だが、まったく手を出さない名護よりは、ジャブを出し続ける山口が「優勢」であるのは当然だ。

7回、名護のセコンド陣は「ここからが勝負」とGOサインを出した。自分自身、中盤の展開に「やばいな」と思っていたという名護は、多少乱暴なほど攻めて出た。もちろん、強引に出たからと言って攻め込まれるような山口ではない。名護にできたことは体で押し込んだり、山口の頭をグローブで押さえつけたりする程度のことだった。この回は、僕が唯一イーブンと見たラウンドだ。

だが、7回の「乱し方」は、結局思うように戦えなかったこの日の名護の最大のヒットだったかもしれない。8回から、明らかに山口が疲労の色を見せはじめたからだ。名護はやや手数を出し始め、ボディーブローから左ストレート、右フックとつなぐ。

そして、名護が勝利をつかんだ攻撃があるとすれば、9回終盤に放った左ストレートのカウンターだ。これは、あの松倉戦を突如終わらせたパンチと全く同じものである。相打ちになりそうなタイミングに山口を誘い込んだところで、右斜め前方に体を倒し、その傾斜のパワーも利用した野球のオーバーハンドスローのようなモーションの左ストレート(ただし、動き自体は小さなパンチだ)が山口のアゴを打ち抜いた。

松倉戦の終局と同様、この左カウンターはほとんどの人に見えなかったようだ。多くの観客の目には、「突然山口がもたつきだした」と映ったのではないか。しかしこれはKOパンチたりうる攻撃だった、ここでダウンしなかったのは山口の好調と気力の充実だろう。

おそらく「チャンス」と見た名護は10回も果敢に出た。山口の動きは明らかに落ちている。だが、名護はここで始めてディフェンスが雑になった。1分過ぎ、ニュートラル・コーナー前で体を入れ替える際、一瞬ガードが甘くなった。この、ほとんど唯一の名護の「隙」を、見逃さないだけのシャープさが山口には残っていた。名護のアゴを山口の右ショートフックが痛烈に打ち抜く。がくっと腰を落とす名護。おそらく、プロ入り後食ったもっとも痛烈なパンチだったのではないか。

だが、山口はやはり疲れていた。このチャンスに乗じることは出来ず、逆にどうにか立て直した名護はもう一度上下に攻撃をして見せて、このラウンドもものにし(僕の採点では、最終回に勝敗が決したことになる)、辛勝につなげたのである。

それにしても、凄い試合だった。そして、凄い両選手だった。「敗れた」とはいえ、山口の見せたボクシングは、世界チャンピオンそのものだ。これほどの高レベルの試合で、自分のボクシングをやりぬいた姿は、完全復活といってあまりある。

一方の名護も、ますます底知れぬところを感じさせた。山口に最高の試合をされ、ひどく手数の少ない試合になってしまった。パンチはほとんど全てが馬鹿げた大振りだった。それでも勝者となってしまったのである。かつて世界J・ライト級(S・フェザー級)沼田義明は、はためにはどんな苦境に見えようとも、「次に打つべきパンチ、30発目に打つべきパンチがわかっていた」と言う。名護にも、そういう超人の能力があるのだろう(ただし、沼田が無敵ではなかったように、名護も見た目通りの「弱点」を突かれて敗れる日も訪れるかもしれないが)。一人、部屋で自分のスタイルを考案するというこの若き鬼才が、正真正銘の「世界」を相手にする日は、いよいよすぐそこまで近づいてきた。


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