ロッキー・マルシアノ Rocky Marciano

mario kumekawa

 貴方はロッキー・マルシアノのファイトをご覧になったことがあるだろうか? ボクシング史上たった一人、引き分けさえもない全勝の完璧レコードを残してリングを去った世界王者の戦い方を?

 49戦49勝43KO。この戦績だけを見れば、カルロス・サラテであるとか、今ならリカルド・ロペスのような完璧型のボクサーを思い浮かべるのが普通だろう。あるいは、フリオ・チャベスのような攻防兼備のファイターか(だが、彼らのレコードさえ、マルシアノほど完璧ではない! )。

 けれども、マルシアノは、そういった「パーフェクト」タイプとはほど遠いファイターだった。身長180 センチとヘビー級にしてはかなり小さいずんぐりした体をぎこちなく動かして前進、ぎくしゃくしたタイミングから左右フック、アッパーを思い切り叩きつける。言ってしまえばそれだけの、およそ原始的なファイターだった。

− 少なくとも、そう見えた。

 ただ、パンチの威力はまさにケタ外れだった。人類が放った最も強烈なパンチは、デンプシーがウィラードを倒したフックでもなければ、フォアマンがフレージャーを吹っ飛ばした右アッパーでもなく、マルシアノが最初のウォルコット戦で13ラウンドに放った右フック“スージーQ(本人がそう呼んだ)”であるというのが、数年前にアメリカのボクシング記者のアンケートの結果だった(回答者たちは、もちろんマイク・タイソンの絶頂期も見ていた)。

 マルシアノに才能というものがあるとすれば、おそらくこの破壊的なパンチ力だけだったろう。体が小さい上に、リーチはもっと短かった。体重も83キロと今ならクルーザー級の軽量ヘビーウェイトだ。スピードも、テクニックも、普通の意味では高度に備えていたとは言えまい。

 ただし、このイタリア系の貧しい靴屋のせがれは、パンチ力の他にもうひとつだけ、とてつもない武器を持っていた。それは、ハートだ。マルシアノに匹敵する不屈の精神を持ったヘビー級ボクサーはアリとホリフィールドだけだろう。マルシアノは、試合とトレーニングに自らのすべてを投入できる男だった。自分をいじめ抜いた果てにリングに上がった彼は、一発のパンチをヒットするために2、3発被弾するような試合を気力で耐え抜いた。

 1947年3月にリー・エパーソンに3回KO勝ちでデビュー戦を飾ったマルシアノは、一時アマチュアに戻り、ニューヨーク・ゴールデングローブ大会に出場、なんと初戦で敗退してしまう(マルシアノ最後の敗戦だ)。そして当地で、生涯のトレーナー、チャーリー・ゴールドマンと運命的な出会いをする。「マルシアノときたら、不格好なボクシングでねえ。ワシらはただ笑って見ていたよ。立ち方がまずかった。パンチの出し方もまずかった。全部まずかったんだ」(ゴールドマン)

 それなのに、ゴールドマンはこの小さなヘビー級に「運命を感じた」。以来、マルシアノはジャブ、フック、単純なフットワークの基本練習を執拗に繰り返した。マルシアノの粗雑なボクシングを、ゴールドマンは細々と修正していった。たったひとつ、まったくいじる必要がなかったのが− 、“スージーQ”だった。

 マルシアノの出世試合は、51年10月、カムバックしてきた帝王ジョー・ルイスとの一戦だった。高額の税金を払うためにリングに復帰したルイスは往年の鋭さこそ失せていたが、持ち前のコンパクトな強打にはさすがと思わせるものがあった。試合は、序盤渋い技巧で優位に立ったルイスを、マルシアノが若さとパワーで徐々に消耗させた。壮絶な8回KOで散ったルイスは、2度とリングに上がることはなかった。

 ルイスからヘビー級の「主役」を継承したロッキーは翌52年の9月23日、世界ヘビー級王者ジャーシー・ジョー・ウォルコットに挑戦した。ウォルコットは38歳という史上最高齢(当時)でヘビー級王座に君臨した超人で、史上でも屈指の狡猾なスキルの持ち主だった。初回、いきなりウォルコット得意の左フックで、マルシアノは生涯初のダウン。その後もウォルコットに試合のペースを握られ続けた。だが13回、ずっと王者を追い続けてきたマルシアノとウォルコットとの距離が、とうとう“スージーQ”の射程内になった。マルシアノの逆転への決意を秘めた右パンチが、ウォルコットの首をねじ切らんばかりにヒット。完全失神した王者はマットにうずくまったままテンカウントを聞き、マルシアノはついに頂点に立った。

 王者マルシアノは無類の強さを発揮した。ウォルコットとの再戦となった初防衛戦も初回KO勝ち。3度目の防衛戦は元王者エザード・チャールズにフルラウンド戦わされたが、3ヵ月後の再戦では8回KO勝ちで決着をつけた。  だが、つねに大打撃戦を展開するマルシアノの身体にはかなりのダメージも蓄積されていった。マルシアノ自身、親しい人々に体調の不良を訴えるようになる。そしてついに6度目の防衛戦、アーチー・ムーア戦を最後に、リングを去る決意を固めた。

 41歳の怪物ムーアとのダウン応酬の激闘に9回KOで勝ち残ったマルシアノは、グローブを壁につるす日がきたことを宣言した。

 誰よりも激しく戦ってきたマルシアノにやっと訪れた安らぎの日々は、長くは続かなかった。69年8月31日、マルシアノを乗せたセスナ機が墜落した。アイオワ州ニュートンのとうもろこし畑の中に。誰にも屈しなかった王者の生涯は46歳で幕をおろしたのである。

★ロッキー・マルシアノ(1923−69)本名ロッコ・フランシス・マルケジアーノ、マサチューセッツ州ブロックソン生まれ。47年3月にプロデビュー。その後アマチュアに戻り、ゴールデン・グローブ大会に出場も初戦敗退。48年12月に再度プロ転向。42戦目の52年、ウォルコットに13回KO勝ちでチャンピオンとなる。“ブロックトン・ブロックバスター”の異名をとった。


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