ジョー・ルイス Joe Louis

mario kumekawa

ヒーローを大切にする国であるはずのアメリカで、「ジョー・ルイス」という名が忘れられつつあるらしい。これはボクシングファンとしてはゆゆしきことである。

フィラデルフィア・ラサール大学歴史学科教授ジョン・ロッシが最近、市内の若者10名に「ジョー・ルイスを知っているか? 」とインタビューしたところ、ほとんどが「知らない」と答えたという。

「ルイスを知っている」、と答えたのはわずかに2人だった。そのうちひとりは熱心なボクシングファンで、ルイスの偉業についてくわしく知っていた。残り8人は、ほとんどが30代だったが、まったくルイスの名前を聞いたことがないか、あったとしてもおぼろな記憶しかなかった。

しかし、たとえ一般的な米国人がジョー・ルイスを忘却のかなたに追いやろうとも、ボクシングが存続する限り、ルイスはこのスポーツの生んだ最大級の英雄として、ボクシング・ウォッチャーたちの絶対的な尊敬を受け続けるはずだ。

ちょうど50年前にジャーシー・ジョー・ウォルコットと最後の防衛戦を戦ったルイスは、この試合のKO勝利で空前絶後の世界王座25回連続防衛という記録を樹立した。丸11年という王座在位期間も、もちろん史上最長記録である。ルイスの引退後、じつに半世紀の間には、多くのスーパーチャンプたちが長期政権を樹立したが、ルイスの牙城に迫った者はいない。

記録だけではない。ルイスの戦いぶりは、史上最高のヘビー級チャンピオンと呼ばれるにふさわしいものだった。ファイトはあくまでもクリーンで、反則で減点されたことはおろか、ローブローの注意を受けたことさえ一度もない。それでいて、端正なスタイルから繰り出されるパンチのすべてが、切れ味、破壊力ともにずばぬけていた。しかも、チャンスのツメはまさに芸術品。一度でもぐらついたなら、ルイスの鷹のような急襲からKO負けを免れることは、どんなボクサーにも不可能だった。

ルイスの試合の映像を見たなら、クラシック・ファイト・マニアでなくとも、そのKOパターンのあまりの見事さには目を奪われるはずだ。スピ−ドこそさほどではないが、タイミング、コンビネーション、角度、コンパクトで理想的なパンチの軌道、など、現代のボクサーにとっても模範たりえる要素が多く発見できる。「古さ」を感じさせないという点で、シュガー・レイ・ロビンソンの映像と双璧と言えるだろう。

また、ルイスはランキング内のいかなるボクサーの挑戦もけして逃げず、真っ向からこれを打ち砕いた(当時の黒人強豪にはなかなかランク入りするチャンスさえ与えられなかったということはあるにせよ)。ルイスの打ち立てた大記録は、「作られた」部分はみじんもなく、純粋に彼の超越度によるものなのである。

偉大なるジョー・ルイスはアマチュアでも50勝43KO4敗という好レコードを残し、1934年には全米L・ヘビー級王者にもなっているが、アマ・デビュー戦が7度もダウンを喫しての惨敗だったことは、あまり知られていない。初めて試合のリングに立ったルイスを迎えたのは、キャリア3年、すでに7つのタイトルを獲得しているジョニー・ミラーだった。

ミラーの正確なパンチ受け、ルイスは何度もキャンバスに沈んだ。しかし、ルイスはそのたびに歯をくいしばって立ち上がり、相手に立ち向かっていった。この日の屈辱をバネとして、ルイスは猛練習に耐えるようになる。2戦目からは14連続KO勝ちするなどして、トップアマへと近づいていった。

まさに、ミラーとのデビュー戦がルイスの原点だったと言えるだろう。のちにプロで初黒星を喫したマックス・シュメリング戦でも、第2ラウンドにシュメリングの秘密兵器右クロスを痛烈に狙い撃たれて倒された。ダメージは深く、試合はここで終わっても不思議はなかったが、結局12回にKOされるまでルイスは粘りに粘った。この粘り、そして屈辱をバネにする精神力が、シュメリング戦の翌年(37年)にはルイスを世界ヘビー級の王座につかせ、その後11年の長きにわたって君臨させたと言えるだろう。シュメリングとも世界戦で再戦をし、初回KOで痛烈な復讐劇を演じている。

天才的かつ冷徹なフィニッシャーである一方で、ルイスは気の毒なくらい真面目な男だった(風俗嬢は好きだったそうだが、そのくらい……、ねえ!)。ルイスの「格調の高さ」は、多分にマネージメントサイドが彼のこの生真面目な性格を演出に利用した結果でもあった。ジャック・ジョンソン以来2人目の黒人ヘビー級王者となったルイスは、白人社会の反感を買わないよう最新の注意を払った。けして大口を叩かず、対戦相手には敬意を払った。白人女性とは、写真さえ一緒に撮らなかった。つまり、ジョンソンとは対照的な自己演出を行なったのである。

だが、リングの外ではその真面目さが裏目にも出た。41年に第二次世界大戦のために米国陸軍に入隊したルイスは、リングで稼いだ金をほとんど軍に寄付してしまった。むろん愛国心からしたことだったが、これがのちのち響いて巨額の税金が払えなくなり、無理なカムバック、味わなくても良かったエザード・チャールズやロッキー・マルシアノへの敗北やプロレス興行への参加につながった。晩年も不遇で、車椅子に乗ったままカジノの客引きをしなくてはならなかった。

だが、それがなんだというのだ?ルイスが空前絶後のヘビー級王者であったことは、晩年の不遇によって曇ったりはしない。

●ジョー・ルイス 1914年3月13日アラバマ州ラファイエット生まれ。本名ジョゼフ・ルイス・バロウ。アマ戦績50勝43KO4敗。34年全米ゴールデングローブ・L・ヘビー級王者。同年プロデビュー37年6月ジェームズ・ブラドッグを8回KOにくだして世界ヘビー級王座獲得。25連続防衛後、49年引退。50年カムバックし、世界ヘビー級王者チャールズに挑むが15回判定負け。51年には新鋭ロッキー・マルシアノに8回KO負けが最後の試合。68勝54KO3敗。

 


コーナー目次へ