●ロッキー・リン 対 ワンディー・チョーチャーレオン

 (WBC世界ストロー級暫定王座決定戦:8月23日)

ロッキー・リン

31歳

26勝11KO1敗

ワンディー・チョーチャーレオン

18歳

21勝6KO3敗

 

「3大世界戦」のおまけのような雰囲気が漂うロッキー・リン−ワンディー戦だが、これも当然ながら大きな1戦だ。

リンが勝てば本土、台湾を合わせても中国人初のボクシング世界王者の誕生となり、それをきっかけとして中国でのボクシング熱が盛り上がることにでもなったら、これは歴史上の大きなイベントということになる。リンは台湾の、もしくは中国の白井義男かもしれないのだ。

力量的にも、リンを「白井」と呼ぶことは適切だ。磨き抜かれたスタイル、堅牢なディフェンス、優れたバランスから放たれるブローは、豪打ではないが、切れ味がある。あの手品師のように上手い星野敬太郎がスパーリングを通して「師匠」と呼ぶのがロッキー・リンなのである。「巧さ」では日本一と言っても過言ではないだろう。

リカルド・ロペスに1ラウンドKOで敗れた試合だけでリンを知っているボクシング・ファンも多いはずだが、それは非常に残念なことだ。リンはたしかに誰が見ても面白い試合をするようなタイプではないが、じっくり見るに値するボクシングをする。

身長(158センチ)のわりには長いリーチを使った巧みなガード。ストレート、フック、アッパー、ボディブローなどをおりまぜ、上下に緻密なコンビネーションを打ち分ける。31歳になったが、スピードはまだまだ十分あるし、パワーはむしろ増してきた感じだ。最軽量級としてつねに分厚い選手層を有してきたストロー級だが、リンはその支配者たるに値するボクサーだ。

今回のリンの世界戦の意義はそれだけではない。外国人であるリンが2度目のチャンスを手にするまでの6年の月を考えれば、この試合は一層の重みが感じられてくるはずだ。

リンを初めて取材したのは、まだ彼がデビューして1年ほどという時点だった。当時はロシアや中南米から「輸入ボクサー」が続々とやってきていて、ひとつのブームという観さえあった。ユーリやナザロフ、ヤノフスキー、東京三太(ミゲルアンヘル・ゴンサレス)ら、燦然たるアマチュア歴を持つ各国ボクサーたちの中にあってリンの存在感は大きくはなかった。

けれども、小岩のロッキージムで出会った、小柄でまだあどけなさを残す台湾青年に、僕はほとほと感心した。まず、日本語がうまい。来日して2年足らずで、日常会話はほぼ問題なかった。リンは当時、午前中は日本語学校に通っていたのだ。午後のジムワーク(リンの練習はじつにハードだ)を考えると、普通の人間にこなせるスケジュールではなかった。商店街では積極的に八百屋の店主等に話しかけ、「ご近所の交際」という、日本人さえ忘れかけている、「地域社会」に溶け込む努力も続けていた。

小岩の人々も、リンのそんな真面目さ、人柄の良さにひかれ、彼を応援するようになっていた。台湾人であり、それほど大向こうを引き付けるようなスタイルや強いキャラクターを持たないリンが、リカルド・ロペスへの世界挑戦を果たせたのは、周囲のさまざまな援助があってのことだった。・・・その試合が、あの初回KO負け。リンの涙に、僕はかける言葉もなかった。

いかに相手が帝王ロペス(しかも全盛期の!)とはいえ、あれだけの惨敗を喫したボクサーには、(たとえ日本人であっても)そうそう大きなチャンスは巡ってこない。僕は、「リンにはもうリングに上がる理由がない」と思った。実際、リンも1ヶ月のブランクを作り、亜細亜大学で本格的に勉強を始めるなど、「ボクサー以外」の道を模索し始めていた。

けれども、リンは戻ってきた。台湾からかなりの好待遇で大学教師などの職を提示されたことなどもあったようだが、すべて蹴って、世界再挑戦にかけてきた。そして、6年間待った。その間12戦全勝8KO。

多少運も向いてきた。依然として王座に君臨するリカルド・ロペスはWBA王者ロセンド・アルバレスとの再戦交渉などあり、防衛戦を行わず、リンには暫定王座決定戦が回ってきたのだ。対戦相手の18歳のタイ人、ワンディーがどんな選手なのか、じつのところ僕もよくは知らないのだが、見たところリンよりも小柄で、怖さはなさそうだ。少なくとも、ロペスに挑戦するよりはチャンスははるかに大きいように思える。

31歳のリン対18歳のワンディー。タイ人の若さは恐い。だが、節制と鍛練を重ねてきたリンの身体は、まださほど衰えてはいないように見える。ワンディーが爆発的なスピードを隠し持っている、ということでもなければ、リンが重ねてきたリング内外の全てのキャリアが生きてくるのではないか。「暫定」とはいえ、大いなる栄光がリンの頭上に輝くのを見てみたいものだ。

 


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