ランぶる・イン・ざ・ジャンぐる……


  「ボクシング理論」はあるか

 6月号から始まった本誌連載、川島郭志さんの「勝つために僕がやってきたこと」の取材と構成をつとめている。かつてご好評いただいた「具志堅用高ボクシング教室」を僕は10年以上担当したが、あれ以来久々の「講座もの」だ。
 ところが、じつは結構困っている。川島郭志さんからボクシングの「技術論」を聞きだすことが、思いのほか難しいのだ。こういう経験は、身に覚えがないわけではない。具志堅さんの時も、はじめはそうだった。「粂川さん、あのね、ボクシングっていうのはね、相手よりも先にパンチを当てれば勝てるものなんだよ」、「ぐ、具志堅さん。それはそうでしょう。どうやれば、“相手よりも先にパンチを当てる”ことができるかを教えてください」、「そうね、コンディションだね。コンディションがよければ、できるんだよ」
 具志堅さんはトボケていたわけではもちろんない。確実に先にパンチを当てるための技術的なマニュアルなどあるわけがない。ただ、己の能力をひたすら高めるのみ。「コンディション」という言葉には、具志堅さんの実践哲学が濃縮して詰め込まれていたのだ。
 だが、いかにも奔放な天才型の具志堅さんとは異なり、川島さんは日本リング史上屈指とも讃えられるテクニシャンだ。多少なりとも、技術論的ヒントをもらえるのではないか……。だが、そう考えていた僕が甘かった。
 川島さんもまた、「ボクシングは単純なスポーツですから。理論的なことなんて、ほとんど考えたこともない。自分がどれだけ集中して、どれだけ気合の入った練習を続けられるか、それだけです」と言い放ったのだ。ああ、「ボクシング講義」連載の趣旨がぁ……。
 だが、思えば僕が浅はかだった。僕が求めたような技術論は、あくまでも理論的な「分析」だ。しかし、リング上のファイトはあらゆる要素の「総合」によって一瞬一瞬に勝負を賭けるのである。世界の頂点を争うようなボクサーは、すべてのアンテナが瞬時にスパークするような意識の中で戦っているに違いない。
 だがそれでも、僕は川島さんに愚問を発し続けるだろう。ボクシングを「言葉で語る」という試みにも何らかの意味はあるはずだ。

 

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