ランぶる・イン・ざ・ジャンぐる……


  ボクサーの反乱?

 アジアの歴史についての英語の本を読んでいたら、“Riot of boxers”というのが出てきた。ボクサーの暴動? 何じゃそりゃ、と思いながら読んでいくと、それはいわゆる「義和団の乱」のことだった。1899年、清朝末期に中国で起こった、外国人排斥運動だ。山東地方で起こった暴動は、華北全域に波及して、各国公使館なども襲った。この運動の中核メンバーとなったのが、“義和拳”という拳法を習っている結社の人々だったのだという。
 思えば、洋の東西を問わず、「ボクサー(拳法家)」という存在は、しばしば国の根幹を揺さぶる事件を起こしてきた。朝鮮半島でも、義和団と同時期に「東学党」という新興宗教団体が貧農を救済するために全羅道で蜂起した。この東学党も、拳法を習っていた。
 最近でも、「法輪巧」という拳法のサークルが「危険分子」だということで、中国政府から大弾圧を受けている。法輪功は、そもそも太極拳のような健康法が主体らしいが、中国全土に膨大なメンバーを獲得してしまったため、中央政府がびびったらしい。健康法のグループがいくら流行っても、それだけでは国家が転覆するとも思えないが、当局には「義和団」のことが思い出されたのだろう。
 東洋だけではない。ジャック・ジョンソンやモハメド・アリがアメリカ社会に叩きつけた「挑戦状」は、今なお世界の市民運動にインスピレーションを与え続けている。
 ボクシング(=拳法)が、国家を揺さぶるような反体制運動につながる理由は、いくつか考えられる。そもそも「徒手」は権力なきものたち、虐げられたものたちにとって、最後の武器だ。世界中の多くの打撃格闘技は、奴隷や被差別民の抵抗運動から生まれた。既成権力に逆らって自分たちの思想を貫こうとする人々が、拳を固く握りしめるのはある意味で当然のことだろう。
 それになにより、肉体を用いた戦いは、思想や政治、軍事に至るまで、あらゆる「闘争」の原型でありエッセンスだ。ブラック・モスレムの原理主義的で狂信的な教義を乗り越え、アリがアメリカ社会により深く働きかけることができたのも、「ボクシング」が「宗教」よりも深かったからだろう。

 

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