ランぶる・イン・ざ・ジャンぐる……


  ボクシングを勧める医者はいない

 辰吉がセーンに圧勝した試合は、それだけで十分に「奇跡」と呼ぶに値する。たしかに、セーンは往時のブリリアントな攻防の力を失っていたが、3年半のブランクがあって、あれだけのグレードのボクシングができる辰吉にはもう驚くほかない。ボクシングに憑かれた男ならではの離れ業だろう。
 しかし、試合前は大いに不安を抱いていた人も多いのではないか。僕もその一人だ。不安だけでなく、困惑していた面もある。気になるのは、やはり、あの「辰吉特例」だ。つまり、網膜剥離に一度罹病したボクサーは原則的には(日本では)引退しなければならないが、「世界戦もしくはそれに準じる試合」に限っては、例外的に試合出場を認める、というものだ。
 この特例措置を決めた背景には、関係者のいわゆる「苦渋の選択」があったのだろうが、結果的に大きな矛盾をはらんだ「特例」になってしまっていることは明らかだ。網膜剥離にかかったボクサーは、たとえ治癒しても再発の危険があるというのなら、世界チャンピオンもしくは「それに準じる」強敵とだけ戦うことは、ますます危険を拡大することになるからだ。辰吉自身にとっても、調整試合ができないデメリットは計り知れない。
 辰吉が、セーンとの戦いで深い傷を負うようなことがあったら、この特例はより深刻な問題として議論されなければならないところだった。だが、本当に幸いなことに、辰吉は快勝できた。もう、辰吉は「世界前哨戦」よりも格下の試合を行うことはないだろう。
 しかし、直接の案件がない時こそ、この問題についてしっかり考えるチャンスだ。ほとんどの外国では網膜剥離罹病者でも、視力が回復すれば試合ができる。日本でも、この30年来変わらない規定を見直す時期が来ているのではないか。今のままでは、視力に異常を感じているボクサーが検査を受けることを恐れ、結果的に本当に視力を失うことにさえなりかねない。
「そんなことを言って、失明する人が出たら、誰が責任を取るのだ? 」という人がいる。それでは、過去、不幸にしてリング禍が起こったとき、誰かが責任を取ったことがあるのか? 責任論は、抽象的な議論に過ぎない。辰吉の目は見えているのだ。

 

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