ランぶる・イン・ざ・ジャンぐる……


  負けて出世してもいいKOMATSU-ILLUST-BW.JPG - 54,944BYTES

 試合の採点は、最終的には主観的判断を脱することはできない。だから、どちらの手が上がっても、あるいは引き分けでも、「それ以外の判定もありえたな」と思うことは、どうしても生じてしまう。
 先月のトラッシュ中沼‐坂田健史も、そんな試合だった。大接戦だった前回同様、今回も激しく、採点しづらい試合だった。
 坂田は例によってじつに精力的に手数を出し、雪辱にかける意気込みを思わせたが、どうしてもパンチが軽い上、中沼のガードが固く、くり出すパンチのほとんどは中沼の身体に届いていないか、届いたとしてもそろりと触っているだけのパンチに見えた。
 一方の中沼は、迫力十分の攻撃で、9回には坂田をダウン寸前にまで追い込んだが、手数の点では坂田の数分の一だった。これまた、「ラウンドを支配していた」と主張するには十分とは言い難い。
 結局、僕の採点はドローだった。ただ、才能を生かしきっていないと思われる中沼のボクシングに対する不満感が僕の中にあったことも影響しているかもしれない。「こんなんだったら、坂田の勝ちになったほうが良いのではないか」という気持ちが、無意識のうちに中沼に辛い採点をしたことがなかったとは言い切れない気がする。
 このような難しい判定の場合でも、勝者はあくまでも勝者であり、敗者はやはり敗者だ。タイトル戦ならベルトが移動するし、トーナメントでも一方だけが先に進む。
 しかし、場合によっては、それだけでなくてもいいのではないか。先の試合で、坂田はたしかにタイトルを奪回したし、それは不当判定とは言えない。ただ、坂田、中沼両選手の優劣が完全にはっきりしたわけでもない。依然として「両者とも」日本トップクラスの実力者であり、今後の精進次第ではさらに上が望める。
 少なくとも判定勝負の敗者に関しては、試合内容も可能な限り詳細に問われるべきだ。敗れたとしても、試合内容が高度の実力や可能性を見せるものであった場合、極端な話「負けても世界戦」というケースさえありえる。それで負ければ「それみろ」とは言われるだろうが、王者との相性などを考えて、「今、勝負すべきだ」と判断できるケースはあるだろう。

 

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