ランぶる・イン・ざ・ジャンぐる……


  日本にも「名誉の殿堂」を

 日本にもボクシングの「殿堂」を作ろうという話は、もう何年PISTON.JPG - 48,588BYTESも、いや十何年も前から話題に上っている。これは僕の知る限りであって、たぶんもっと前から「関係者」の議論は始まっているのだろう。けれども、「殿堂」の発足は近頃ではむしろ遠のいているような印象を受ける。
 長引く不況でスポンサーとなってくれるような有力企業もあまり見当たらない。東京ドーム(株)はその敷地内の一角に「殿堂」を建設する意向もないではなかったようだが、最近はその「余力」がなくなってきていると聞く。
 しかし、「名誉の殿堂」は、日本ボクシング界のために設立が強く望まれる施設だ、と思う。
 ボクシングの素晴らしさをひとことで言い表わせるはずもないが、その中に「歴史」という要素は確実にある。古代ギリシャ以来続いてきたボクシングは、長い時間による熟成と洗練という点で、他の多くのスポーツを凌駕する。
 単にテクニックやルールが洗練されているということだけではない。歴史が醸成した、ボクシングに宿る「精神性」も、また特別なものだ。ボクシングのリング上には、他のどんな格闘技にもない、高貴でエレガントな精神性が漂っている。ロビンソンも、アリも、白井も、原田も、具志堅も、ボクシングでしか生まれ得ない高貴なる偶像なのだ。
 その歴史と精神性は、もちろんリングを見て感じ取ることもできるはずだが、別の表現形態があってもいい。それが「殿堂」だ。
 殿堂は、過去の最良の瞬間を記録する。そして、現在のリング上で新しく生み出されるエキサイティングな瞬間は、殿堂に秘められた過去の偉大なるモーメントと結びつくことでパワーを増幅させる。その時代で最高のボクシングは、必然的に過去の偉大なボクサーを「引用」して「復活」させる。アリがジム・コーベットを、レナードがロビンソンを、タイソンがデンプシーの伝説にも新しい生命を吹き込んだようにだ。
「〜殿堂入り」というニュースが流れるたびに、人々も偉大なボクサーやボクシング人のことを思い出してくれるだろう。振り返り、記念するに値する過去を持ったスポーツは多くない。

 

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