ランぶる・イン・ざ・ジャンぐる……


  マイルスのボクシング論

 今は亡きジャズの「帝王」マイルス・デイビスはボクシングが大好きで、その自伝で「50年代のある時期、俺にとってこの世でもっとも重要な存在はシュガー・レイ・ロビンソンだった」と書いている。晩年は、トーマス・ハーンズの試合のビデオを見るのが趣味だったそうだから、彼の好みがわかろうというものだ。元ボクサーのピアニスト、レッド・ガーランドをバンドに雇ったときも、結構嬉しそうだった。彼自身、ジムに通い、シャープな体をしていた。
 そんなマイルスは、ボクサーの能力も、ジャズメンの演奏力も、「クイック」と呼びうるかどうかで測っていた。「クイック」とは、辞書をひけば「素早い」という訳語が載っている英語だが、もちろんマイルスは独特の意味をこめて使っている。単に動きが素早いだけでなく、「タイミング」や「角度」、「戦術」をともなってこそ、「クイック」になるらしい。
 また、「旋回」というのも、マイルスの「ボクシング用語」だ。これは「一発で相手をKOできるようなパンチャーなら、誰もが心得ている動き」で、ジョー・ルイスも、ロビンソンも、この動きを完璧にマスターしているのだ、という。ある距離において、この「旋回」を出すと、相手がどっと倒れる、そういう動きだった。
 マイルスに言わせれば、ボクシングの基本は、この「旋回」あるいは「尻の使いかた」など、ほんの何種類かの動きであった。「俺は、それを“バード”とボクシングから教わったんだ。まず、しっかり楽器の吹き方の基礎を身につけたら、こんどはそれをクイックにやれるようにする。真に大切なのはこの2つだけだ」
 マイルスがジャズマンとしてスタートした頃、甚大な影響を与えられた“バード”ことチャーリー・パーカー(サックス奏者)のめくるめく即興演奏。その抜き差しならないスリルを、マイルスはあらゆるスタイルで生涯追い求めていた。謎のキーワード「クイック」とは、高度な即興性のことではなかっただろうか。
 歴史や経験に決定された「基本」と奔放な「即興性」。「帝王」はこのふたつの相反するような要素の融合に、ジャズとボクシングの共通点を見ていたのだろう。

 

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