ランぶる・イン・ざ・ジャンぐる……


  敗北の恐怖

 10才の時、モハメド・アリにしびれてボクシングおたくの人生が始まった。はじめは、どうしてこんなに心がひかれるのかわからなかった。だがそのうち、本当に少しづつだが、自分の感じていることが何なのかが分かってきた。
 僕がアリに感じていた最大の魅力は、彼の抱え込んだ「敗北に対する恐怖」だった。子供心にも、アリが自分が敗れることを、ほとんど身を八つ裂きにされるほど恐れていることが感じ取れた。その恐怖に、しびれた。
 やがて僕自身が、「アリが敗れる」ことの恐怖に取りつかれてしまった。授業中も、布団の中でも、「アリが負けたらどうしよう」という不安がおそってくる。フレージャー戦、ノートン戦でアリが敗北するのを見てはいたが、あの頃はまだ「アリの恐怖」がわかっていなかった。アリが2度目の王座を獲得してからというものは、もう気持ちが安らぐことは無かった。
 やがて、アリはレオン・スピンクスに敗れた。不思議だったのは、あんなに恐れていた日がついにやって来たのだが、思っていたほどアリは絶望をあらわにしてはいなかったことだ。
 ただ、敗北にはそういう面もあるのではなかろうか。ボクシングの試合で負けても、命までとられることはほとんどなく、世界が終わるわけでもない。心にけっして消せない小さな陰が残るだけだ。敗北は、エゴを沈黙させられるならば、実はそれほどタフな経験ではないのではないか。
 しかしそれだけに、敗北を恐れる魂は、偉大な存在として僕たちをひきつけるのだろう。「死」や「苦痛」ではなく「敗北」を恐れることは、人間だけが、それも高貴な魂だけがなしうることだ。
 ロベルト・デュランやマイク・タイソンも敗北に対する恐れをむき出しにして見せてくれた。「ノ・マス」や「耳噛み事件」は、ボクサーとして最低でありかつ最高の行為だったと思う。
 最近、タイソンの「恐怖」は次第に摩滅してきているような気もする。その一方で、レノックス・ルイスはその素質と才能ゆえにか、緊迫感を維持するのに四苦八苦している様子だ。この2人が戦う時、どちらがどんな恐怖を抱え込んでリングに上がるのだろうか。

 

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