[戦評]▽WBA世界ライト級タイトルマッチ12回戦
 
☆10月11日・ 横浜アリーナ

○王者 畑山 隆則 KO10回 ●挑戦者 坂本 博之  

18秒

mario's scorecard

畑山 隆則 

10

9

9

10

10

9

10

10

10

KO

坂本  博之 

9

10

10

9

9

10

9

9

9

 
 
 
mario kumekawa

 「坂本に恐怖を味あわせてやる」。そう言い放ったとき、畑山隆則は完全に本気だったのだ! 第1ラウンド、畑山が圧倒的な決意を放射しながら坂本に攻めこんだとき、僕は熱狂とも戦慄ともつかない混乱した感情の中に叩き落された。

 畑山は坂本を完全に打ち砕こうとしている。単なる勝利ではなく、完全なる征服を欲望しているのだ。この、意思とプライドの男、坂本を根底から打ち砕こうとしている!

 開始ゴングとともに先制打を放ったのは坂本だった。ここで、ステップバックするかと思われた畑山は、逆に踏み込み、思いきった右ストレートを打ちこんできたのである。坂本のフックよりは、ストレートの方が速い。攻撃重視の坂本の左ガードは低い。坂本の左側頭部に畑山のパンチが何度も痛烈にヒットした。

 それでも、スピーディな出入りをされたら苦しい坂本は、この畑山の戦術選択を歓迎するべきであるはずだった。しかし、いきなりロープにつめられ痛打を浴びた坂本は、動きが硬くなった。身を躍らせて攻めこんでくる畑山のスピードに対応できない。ガードを下げたクラウチングスタイルは、王者の格好の標的になってしまった。

(結果論かもしれないが、技術面では、坂本の最大の敗因は、この左ガードがなかったこと、すなわちデトロイト・スタイルの選択だろう。畑山の右パンチに対し、坂本のディフェンス手段はダッキングしかなかった。しかも、坂本のダッキングは攻撃につながるステップを伴ってはいなかった……。もちろん、畑山のパンチを何発か被弾しても、「肉を切らせて骨を断つ」つもりだったのだろうが、疲れてくるほどに、これは辛い)

 畑山は、セラノ戦にもまして、おそるべき戦力増強を見せた。右ストレート、左フック、右アッパーのコンビネーションのスピードと切れは凄い。S・フェザー級時代、ストレートが死んでいたことを思うと、驚異的なブラッシュアップだ。

  悪いことに、第1ラウンド半ばには、もう坂本の左目から鮮血がほとばしり始めていた(試合の1週間前に古傷がまた開いていたことが、戦後明かされた)。ビデオで確認してみると、やはり自らの出血を確認してから、坂本にはかなりの動揺が見られる。上体、下半身ともに力が入ってしまい、動きがギクシャクし、出足もわずかながら鈍った。だが、わずか半年前のセラノ戦の痛恨の思い出がある以上、平静でいろというほうが無理だろう。

 だが坂本も、多くの点で向上していた。「一撃必殺主義」をやめ、ボディーブロー主体のコンビネーションを3発、4発と続けて放った。「坂本にも速いコンビネーションがあれば……」と嘆いていたファンにとっては、夢のような光景だ。ただ、その分、一発一発の力が削がれていたことも否定できないが……。

 中盤6回あたりから、両者に疲労とダメージが見られるようなってきた。大方の予想通り、坂本はボディー攻め主体に攻め上げ、それなりの効果を上げているようにも見えた。事実、畑山はサイドステップを多用するようになった。しかし、坂本の頭部への被弾は、比較にならないくらい多かった。7回以降は、ダメージの色濃い坂本の左右の拳には力が失せていた。

 8回で試合の趨勢は明らかになっていたが、9回終盤、そしてKOラウンドとなった10回と、打ち据えられ、ついに倒れた坂本の姿は、多くの人々にショックを与えたことだろう。「最後に立っている男が一番強い男、そして、俺は絶対に倒れない」と言い続けていた坂本が、深々とマットに沈んだのである。

 存在を否定するようなKO負け。だが、坂本はなおも現役続行の希望を表明している。「それは無理だ」という声ももっともだ。坂本がこうむったダメージは尋常のものではないだろう。これまでのダメージの蓄積もある。年齢も、もう30歳だ。顔の皮膚も、もうとっくに悲鳴を上げている。

 しかし、もし健康面に大きな支障がないのなら、そして、坂本本人がまだ燃えることができるのなら、さらに夢を追う値打ちはあるのではないだろうか? 坂本は、今回、新たな可能性をたくさん見せた。30歳にして、スピードを向上させることに成功していた。4発のコンビネーションも、世界戦のリングでは初めて見せた。技術、スピードはまだ伸びるかもしれない。

 イスマエル・サラスは、坂本のスピード不足を克服し、パワーの優位(僕は、これには懐疑的なのだが)を最大限に利用するためにディフェンスを意識的に捨てさせた。しかし、「じゃんけんぽん」は「負け」と出てしまった。力んで動きが重くなってしまえば、デトロイトスタイルは、無謀な構えでしかなかった。肝心のパワーも、かつてのジョンストン戦のようなものではなかった。

  だが、今の路線を、よりつきつめてゆくなら、坂本は生まれ変われるかもしれない。もっともっとリラックスして、リズムを保ったボクシングができる可能性はある。坂本のパワーが、リズミカルな動きの中から放出されるなら、本当に世界レベルのKOキングになれるかもしれない。まだ、レオ・ガメスより7歳も若いのだ。

  ただ、一方で僕は思う。ボクシング以外にも、坂本博之という男を生かす道はきっとあるはずだ、と。すべてを賭けた戦いに敗れてなお、坂本の傷ついた瞼の奥の目は、男の誇りに満ちていた。眼差しはあくまでも高く、坂本は言った。「坂本博之、まだ死んだわけじゃない」。

 そうだ。いずれはグローブを壁に吊るす日が来る。しかし、その後の人生も、十分長いのだ。坂本ならきっと、「ボクシング以後」の人生の中でも、今回故郷の子供たちに持ち帰れなかった世界王者のベルト以上に価値あるものを、彼らに示してやれるはずだ。 


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