ジムの立場でも考えてみよう

―「移籍の自由」が意味するものー
 

 最近、僕のところに、いわゆる「ジム関係者」の方々からメールをいただくことが増えてきました。いただくメールは、基本的に本望選手たちの状況を「救済すべきもの」とみとめる立場のものばかりで、「がんばってください」という激励さえかけてくださる方も少なくありません(僕個人は何もがんばってはいないのですが……)。

 ただ、そんなメールの中に、ある「注文」をつけておられる方も多いのです。それは、今回の本望選手たちの待遇に関する議論が、即「ボクサーの移籍の自由化」への要求に直接つながっていくことに対する危惧です。

 じつは、本望選手本人たちも、けっして「移籍の完全自由化」を求めているわけではないのです。「不当な処遇」を訴えている彼らにしてなお、業界の秩序にしたがい、あくまでも200万円なりの移籍金を払って移籍しようとしているのです。

 僕自身も、無条件で移籍を自由化することを主張するのは、選手の利益をある一面においてだけ考えた、雑な議論だと思っています。

 「移籍の自由化」にはどんな弊害があるのでしょうか? このことについては、ジムを経営する立場、あるいはボクシング界全体の健全な発展を考えてみるとき、問題が見えてくるような気がします。

 いただいたメールをもとに、以下に「移籍の自由化」にまつわる問題点を述べてしてみます。

 1.「マネジャー制度」も天国ではない。

 日本のボクシング界は、ジムオーナー制で成り立っています。ジムのオーナーが、選手やトレーナーの実質的なマネジャーであり(家族などで分業するにせよ)、それでいてしばしば興行も行なうプロモーターたりうるというシステムは、ご存知の通り、しばしばジムオーナー(会長)たちの横暴を許す状況を作り出し、批判の対象となっているわけです。

 それに対し、アメリカなどで行なわれているマネージャー制度については、「労使間の健全な分離」という点で、ポジティブに評価されることが多いのです。ですが、実際には、マネジャー契約の現場は多くのかけひきや闘争の行なわれる、もうひとつのリングです。ドン・キング・プロモーションの契約書を見た人の話によると、「ものすごい量の契約書」をかたづけなければならないそうです。

 現役で戦い続けるボクサーたちが、マネージメント契約についても自己責任できっちりやれるだけの時間と労力をさくことは困難です。アメリカからのニュースでしょっ中伝えられる、ボクサーとマネジャー、プロモーター(たいていドン・キング)との法廷闘争の話は、アメリカ的な「マネジャー制度」にしさえすれば問題がかたづくわけではない、ということを示しているのではないでしょうか。

2.大ジムだけが生き残るボクシング界で、ほんとうに良いのか?

 契約の3年が終了した際、自由に移籍を認めると、大多数である弱小ジムに所属する本当のプロボクサー(他に正業を持たないプロボクサー)は、一部大手ジム、又は、お金に物を言わせたジムへと流れていく可能性が大となります。

 日本のボクシングジムは、しばしば「親代わり」のようなことをしなければならないことが多いのも現実です。ジムは、しばしば選手の上京を手伝い、就職・アルバイトを斡旋し、場合によっては下宿の面倒までみて、リングの内外でボクサーをサポートし、育てます。そうやって育てたボクサーが、ある程度強くなった時(デビュー3年で日本タイトルを狙うくらいの選手は、少なくありません)、より大きなジムにひきぬかれてしまうのでは、「やってられない」という状況になることでしょう。

 大多数の弱小ジムの経営は苦しくなり、つぶれるジムも続出するでしょう(まあ、見方を変えれば、ジムがほとんどつぶれない現状も異常なのですが)。大手ジムに、選手もマネージメント力も完全に集中することになります。そういう状況が何を意味するのか、ほんとうにそれが望ましい状態なのか、よくよく考えなければなりません。

 以上のようなことを考えますと、本望選手たちの移籍を認めることと、一般論として選手の移籍を自由化することは、(大いに関係はあるにせよ)まったく意味合いが違うのだ、ということが明らかになるのではないでしょうか。

 ジムがボクサーを搾取したり、不当に危険にさらしたりするのは無論許されることではありません。しかし、ジムが、ある程度、健全で安定した経営をしてこそ、ボクサーも優れた環境を手にすることができることも、忘れるわけにはいかないでしょう。


HOME