エミール・グリフィス Emile Griffith

mario kumekawa

 アメリカ領ヴァージン諸島で1938年に生まれたエミール・アルフォンス・グリフィスは、19歳の時にニューヨークに出てきてブルックリンに住み着いた。そこでエミールが就いた仕事は帽子職人の見習い。同時に趣味としてボクシングを習い始めたのだった。

 だが、グリフィスの手は、大きな手袋をはめたときの方が良い仕事をした。1年もしないうちにゴールデングローブ大会ウェルター級の覇者となると、二十歳でプロ入りを決意した。

 ボクシングキャリアは浅いにもかかわらず、グリフィスはバランスの取れた万能型のボクサーだった。左右の拳に切れ味の良いブローを宿し、華麗なフットワークにに乗せてスピーディなコンビネーションを放った。アマチュア時代は14試合してストップ勝ちがひとつしかなかったグリフィスだが、プロで戦っていくうちに十分なパワーも身につけていった。

 華やかなボクシング・スタイルに加えて、グリフィスは見事にビルドアップされた逆三角形の肉体美を持っていた。美しい彼の肉体がリングを躍動すると、それは華麗なショーだった。

 あらゆる武器を併せ持つゴージャスなボクシング、優雅な雰囲気、いつしか人はグリフィスを「ロビンソンの再来」と呼ぶようになった。

 プロ入り後わずか3年で無敗の24連勝のをマークしたグリフィスは、その勢いを駆って61年4月、世界ウェルター級王者ベニー・パレットに挑戦し、キューバの実力派王者と激闘をくり広げた果てに、13回KOでタイトルを奪取した。

 だが、パレットもプライドの高い男だった。半年後に行なわれたリターンマッチでは、炎のような闘志で立ち向かってきたパレットにグリフィスは押された。15回判定でグリフィスはパレットに屈し、短命王者の憂き目を見ることになったのである。

 だが、今度はグリフィスの復讐心に火がついた。さらに半年後のラバーマッチ、両者のプライドとプライドがぶつかり合う。試合は一進一退の打撃戦、強打とテクニックのすべてをぶつけ合う名勝負となった。

 そして、力尽きたのはパレットの方だった。激しい攻防は10回を超え、苦しくなったパレットは思わずグリフィスを侮辱するような言葉を吐いたようだ。これに激昂したグリフィスは、12回、パレットをコーナーにつめると狂ったような乱打をくり出した。

 執念の抵抗を見せていたパレットも、何発目かのクリーンヒットを受けると、顔の表情を失い、ガードもままならぬ状態に陥った。

だが、レフェリーは試合をストップできなかった。ウェルター級の頂点に立つ実力拮抗の2人の試合を止めることがためらわれたのか、 あるいはグリフィスの狂乱のアタックに気圧されたのか、とにかくストップはかからなかった。

 やがて、グリフィスは立ったまま失神した。コーナーマットに頭を乗せ、両腕は力なくぶらさがっていた。倒れないのは、コーナーに引っかかるようにもたれているだけのことだった。

 そんなキューバ人を、グリフィスはさらにこん身の力を込めて打ち据えた。最強のライバルを倒すためには、持てる力を余すところなく爆発させねばならない……。

 惨劇をようやくレフェリーが止めたときには、すでに手遅れだった。とっくに意識を失っていたパレットは、病院に運ばれ、2度と目を覚ますことはなかった。

「第2のロビンソン」は初代同様、対戦相手を死に至らしめる悲劇を負ってしまったのだった。

 皮肉にも、この対パレット第3戦がグリフィスのベストファイトだと言われる。この後じつに7年間にわたって世界王座を保持し続けたグリフィスだが、パレット事件の影響か、攻撃に凄みを欠いていたと言われる。

 それでも、グリフィスのキャリアは歴史に残る燦然たるものになった。キューバのもうひとりの好敵手ルイス・ロドリゲスに79日間だけタイトルを「貸した」(ともに判定で1勝1敗)以外は強豪の挑戦を退け続け、66年にはミドル級の名王者ディック・タイガーを判定で攻略して2階級制覇を果たした。

 ミドル級王座を2度守ったところで、グリフィスをイタリアのハンサムボーイが攻略した。ニノ・ベンベヌチ。ローマ五輪金メダリストとしてプロ入りし、すでにJ・ミドル級で世界王座を獲得している滅法強い伊達男だった。

 グリフィスとベンベヌチはカラフルな好敵手になった。2度目の対戦ではグリフィスが闘魂で王座を奪回すれば、ラバーマッチはベンベヌチが制した。

 だが、68年のベンベヌチ戦を最後に、グリフィスは世界王者としてリングに上ることは出来なくなった。グリフィス自身がすでに全盛を過ぎつつあったこともあるが、ミドル級王座を南米の怪物カルロス・モンソンが奪ったことで、以後数年にわたって、ミドル級ランカーにはタイトルを奪取するチャンスがなくなったのである。

 グリフィスもモンソンに2度挑んだがKOと判定で跳ね返された。ウェルター級王座を狙ったこともあったが、そこにも鉄壁王者のホセ・ナポレスがおり、今のグリフィスには厚い壁となった。

 キャリアの後半はタイトルにこそ手は届かなかったが、39歳まで世界の第一戦で戦い続けたグリフィスのまわりには、いつも多くのファンがいた。辛いときにもユーモアを忘れない彼は、愛される「チャンプ」であり、マジソン・スクエア・ガーデンの永遠の英雄だったのだ。

●エミール・グリフィス 1938年3月2日、バージン諸島セントトーマス島生まれ。57年、58年、ニューヨーク・ゴールデングローブ大会ウェルター級を連覇、58年プロデビュー、61年ベニー・パレットから世界ウェルター級王座を奪取。半年後に判定で雪辱されるが翌年KOで同王座を奪回。66年、ディック・タイガーに判定勝ちで世界ミドル級王座獲得。77年にアラン・ミンターに敗れるまで現役で戦い続けた.生涯戦績85勝23KO24敗2分1無効試合。 


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