スポーツにはかなり激しい栄枯盛衰がある。
今20代前半の人は、キックボクシングが格闘技の人気ナンバーワンで、毎週2〜3度のTV放映があった昭和40年代後半のことなんてピンとこないかもしれない(具志堅用高氏の最大のヒーローは今でも沢村忠さんだそうだ)。
キックブームの前は中山律子プロを擁したボーリング中継が花盛りだったこともあった。ローラーゲームでスーパースターになった東京ボンバーズの面々は今ごろどこで何をしているんだろう。
大ブームが記憶に新しいJリーグも、今の状態が続けば、ごく近い将来にはメジャースポーツとは言えなくなっているだろう。
そんなことを考えると、斜陽と言われて久しいボクシングだが、むしろいくつもの時代をよくぞ乗り越えてきたという気もする。
多くのスポーツの中で、ボクシングがなんとか生き残れた理由は何だろう? もちろん、この拳の格闘技には、それ自体で他には求められない魅力はある。しかし、それだけではあるまい。
思うに、ひとつの競技が一時のブームに終わらず、いくつかの時代を生き延びるためには、「歴史」というものへの配慮がキーなのではなかろうか。
日本でも、アメリカでも、ボクシングファン、とりわけマニアと呼ばれるような人々は歴史を重んじる。白井義男さんは今でも世界戦のリングサイドで喝采を浴びる。原田も、輪島も、辰吉も、ファンは単なる勝者としてではなく、それぞれの時代の感情をものの見事に表現してくれるアーティストとしても見つめていた。そんな気持ちの積み重ねが、世代間の対話を産み、その国のスポーツ文化を形成していくのではなかろうか。
スポーツは科学でもあるから、過去の大選手もいつかは技術的に乗り越えられる。だが、エンターテイメントや芸術としてのスポーツは、歴史的記憶なしには存続しえないのである。
スポンサーの会社が傾いただけなら、Jリーグが滅ぶことはあるまい。けれども、子供たちが釜本邦茂や三浦知良、ラモス瑠偉の名前を「知らない」というようになったら、ひょっとしたら「J」は消えてなくなるかもしれない。
(99年2月)
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