WBAは死んだ

 

by mario kumekawa

 

 畑山が負けたから言うわけではないが(ほんとはちょっとそれもあるが)、もはやWBAタイトルの威厳は地に落ちた。

 とにかく、最近のWBAのタイトルの認定の仕方には節操というものがない。金を払うプロモーターには、暫定王座の大安売りだ。

 ほかならぬ畑山が保持していたS・フェザー級タイトルにしても、畑山がきちんと防衛戦をこなしており、指名挑戦者シンとの対戦にも合意していたにもかかわらず、今年2月、暫定王者エルナンデス(現在の暫定王者はカサマヨル)を擁立してしまった。

 命をかけて勝ち取ったチャンピオンベルトを「水割り」にされてしまった畑山の心中はいかばかりであったろう。すでに手の内を知っているはずのシンに事実上ワンパンチKOの惨敗を喫したのも、そんな心痛と無関係と言いきれるだろうか。

 かたや「今度こそ」の野望に燃えるシン、かたや、勝ってもタイトルを割られ、いつまでたっても王者としてのビジネスが出来ない畑山。本来力が接近していたはずの両者があまりにはっきり明暗を分けたのは、精神面の要素が大きいはずではないか。

「犠牲者」は畑山だけではない。5月にはレオ・ガメスのフライ級王座防衛戦が急遽S・フライ級暫定王座決定戦になり、これに勝ったガメスは「4階級制覇」王者ということになった。すでに功なり名を遂げているガメスは、そんなインチキを喜ぶはずもなく、とっとと「4本目」のベルトを返上してしまった。

 老舗WBAはすでに死んでいる。日本ボクシング界は、世界チャンピオンのベルトの意味をもう一度根本的に考え直すべきだ。「世界王者」とは今日、「正当な団体のチャンピオン」のことではない。世界の誰の挑戦でも受けるチャンピオンこそ、世界王者なのだ。

 新興団体のベルトでも、世界中からやってくる挑戦者を選り好みせず堂々と退け続ければ、一流の世界王者と呼んでさしつかえない。新興クラス王者もまたしかりだ。

 本来、「正統」なベルトと「泡沫」タイトルを区別することはできない。なんなら、日本を本部にして世界タイトル認定団体を作っても良いのである。 (99年8月)


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