中国ボクシングの台頭
今年7月にタイ・バンコクで行われたアマチュアボクシング世界選手権で、最大の話題は史上初の中国人メダリストが生まれたことだった。2001年には来日して東アジア・カップで銀メダルも獲得している鄒市明(ゾウ・シミン)が、L・フライ級で銀メダルに輝いたのだ。とりわけセンセーショナルだったのは、準決勝で連覇を狙っていたバレラ・バルテレニー(キューバ)に明白な判定勝ちを収めた一戦だ。鄒はスピード豊かなボクシングでバルテレニーを終始守勢に追い込み、22-15でポイント勝ちしたのだ。決勝では、ロシアのセルゲイ・カザロフに判定で惜敗したものの、これまた善戦。「チャイニーズ・ボクシング」の台頭は、大きなインパクトを残した。「世界チャンピオンに勝ったことは、大きな自信になる。中国人としてはじめて決勝に進出したことも、大変誇りに思う」(鄒市明) 中国は,ボクシングという「資本主義的なスポーツ」を1982年まで禁止していた。アマチュア・スポーツ界では随分前から「大国」だった中国だが、「中国のボクシング」というのはあまり聞くことはなかったのだ。だが、この10年ほどの間に、モハメド・アリやジョージ・フォアマンを招聘したり、北京でプロボクシング興行が行われたりして、急速に「チャイニーズ・ファイター」の土壌は形成されてきた。それになにより、2008年に北京でオリンピックが開催されることが決定し、あらゆるスポーツでの強化体制が一気に充実した。鄒市明は、中国南部の貴州の生まれだが、16歳のとき、町のスポーツ・クラブのトレーニング・コーチに「ボクシングの才能」を認められて以来、エリート教育を受けて育てられてきたのだという。 鄒市明の銀メダル獲得は、大国中国が世界のトップボクサーを輩出する体制を整えたということを示したという点で意味が大きい。13億人の中国国民からボクサーが続々と輩出されることになれば、やがてはキューバやロシアと並ぶ「ボクシング大国」となることさえ想像に難くないだろう。もともと各種の拳法が競技レベルから健康法レベルまで様々に発達している中国だ。まだ完全に自由化されておらず、たとえば気功と拳法のグループ「法輪功」を反政府的な民主化運動として弾圧するような暗黒の面も残っているが、いずれにせよボクシングが栄えるための土壌はけっしてやせてはいない。 急速な経済発展の影で拡大しつつある貧富の差も、強いボクサーを生み出す背景になるかもしれない。昨年、僕は2週間ほど北京に滞在したのだが、東京をはるかにしのぐ巨大ビル街が形成されている一方で、そこから取り残されているような貧民層の姿も目に付いたが、そこには日本にはないバイタリティも感じられたのだ。寒村から出てきた出稼ぎ労働者たちは、ほとんど着替えさえもっているのか怪しいような姿で、ツルハシをかついで堤防建設工事などをしているのだが、彼らには希望がある。北京で稼いだ金を大事にためて故郷に持って帰れば、家が一軒建つくらいの「財産」になるのである。だから、皆、貧乏に耐えて働いている。「貧民」は多いが、「ホームレス」がいない。それが、今の北京の力ではないかと思った。日本では、サラリーマンが失職するとあっけなくホームレスにならざるをえない。だが、中国では「貧富の差」が、むしろ社会の「弾力性」を生んでいるのだ。富裕層と貧民層の格差は、社会不安の病巣であることはたしかだが、見方を変えれば、それこそがバイタリティーであり、エネルギーになる。これがいわゆる「ハングリー精神」というものだろう。アマチュアの成功がやがてプロに波及すれば、このハングリー精神がボクシングに吹き込んでくるかもしれない。 一方で、わが国のアマチュアボクシングのことを思う。1982年にスタートした中国は、キューバ人世界王者を打倒するボクサーを生み出した。はるかに長い伝統を持つ日本から、そういうアマチュア・ファイターが生まれる気がしないのはどうしてだろうか。ひとつのスポーツ競技が健全に発展するには、アマチュアの充実は不可欠の前提だ。中国の成功を刺激として、硬直化した組織と空気を一新し、北京オリンピックではボクシング会場で日の丸を揚げられるようなファイターを養成すべく、体制を整えていっていただきたい。
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