“野生”のボクサーたちの品格
先日、本誌の先輩ライターであり、ノンフィクション作家として活躍している野村進さんと久しぶりにボクシング談義をしながら飲むことができた(というか、結局飲み過ぎたんだが)。その際、野村さんが面白いことを言った。「今のボクサーには、“品格”を感じることが少ない」というのだ。いわく、「アリ、デュラン、アルゲリョ、レナード、ハーンズ、ハグラー、みんなすごく品格があったよね。リング上のたたずまいに、なんともいえない品があった。その点、ロイ・ジョーンズにしても、ハメドにしても、デラホーヤにしても、モズリーにしても、何か品格がない」 野村さんの言わんとするところは、僕にも分かった。けっしてジョーンズやデラホーヤが駄目だというのではない。それどころか、彼らはまぎれもないスーパーボクサーであり、スーパースターであり、ボクサーとしての戦力も史上最高級だろう。ただ、1980年代あたりまで、一流のボクサーがたしかにもっていたある「格調」のようなものは、たしかに彼らにはないのだ。 かつてボクシングは、とりわけ一流ボクサーの試合は、単なるスポーツではなく、高貴な儀式でもあった。すべるようにコーナーから出陣したホセ・ナポレスが最初の左フックを振るうとき、一陣のカリブの風に乗って、王者だけが漂わすことのできる甘美でもあり厳粛でもある香りが運ばれてきたものだ。レイ・ロビンソンが背筋を伸ばしてかすかにスキップしながら、自コーナーを静かに見つめつつ、リングアナウンサーに自分の名前が呼ばれるのを聞いているときの、その威厳! そのエレガントさ! あるいは、ロベルト・デュラン(あえていえば、この場合ライト級時代の)が全身に躍動感を漲らせてリングにのぼると、古代人にだけ知られていた太陽神がパナマの偉大なシャーマンを通して再び降臨した。……プロレスの実況のようなことを言ってしまったが、僕たちは、そんな形容し難い高貴さに満ちたたたずまいが見たかったのだ。ひょっとすると、試合それ自体よりも。 あの“品格”は何だったのだろう。それは、ボクサーとしての実力と直接の関係はないし(まあ、弱いボクサーに品格があるということもないのだが)、ボクサー当人の人間としての品位とも関係がない。デュランやロビンソンがノーブルな人物ということは特にないだろう。むしろ、優れたボクサーは多くの場合やんちゃ坊主的だ。おそらく、ボクサー個人だけの問題ではなく、時代の問題、ボクシングというジャンル全体に関わる問題なのだろう。 人間の、広い意味での文化活動は、どんなジャンルであっても、ひとつの生命体のような「生涯」をたどる面があるようだ。まだ未定形の幼年期、紆余曲折を経ながら様々な要素を吸収していく少年期、外部の大きな力と戦うことさえある青年期、歴史を振り返るようになり、多彩さと深みをともにたたえるようになる壮年期、余計なものがそぎ落とされ、完成されたスタイルだけが残る老年期、というふうに。様々なスポーツ、あるいは芸術分野において、ある意味では同じようなことがくり返されているような気がするのだ。たとえば、長嶋茂雄は、日本のプロ野球の青少年期のスターだったと言えはしまいか。「青年期」のスポーツは、余計なことを考えない。政治的駆け引きや、金や世間体のようなものは気にせず、過去を振り返らず、未来を守ろうともせず、ひたすらにそのスポーツに没頭するのだ。 野村さんの言う「品格」のあるボクサーたちは、そんな、ボクシングの「青春」が生んだ男たちだったのではないか。彼らはボクサーとしては恐ろしいほど狡知に長けていながら、存在としては何のけれんもない純粋な存在だった。自分が歴史の中でどう評価されるかとか、自分の値段はいくらかなどといったことを、必要以上に考えることもなかった。彼らは岩から湧き出した奔流のように戦った。どれほど美しい光と芳香を放とうとも、彼らはけっしてホテルのロビーに飾られた豪華な生け花ではなく、野辺に咲き競った野生の華だった。そうだ、彼らの威厳はサバンナのライオンのそれであり、天空を舞う大鷲のそれだった。暴力的なサンディ・サドラーの横顔には、マサイの勇者のシルエットが映えていた。 ボクシングは、ひょっとすると、シュガー・レイ・レナードのキャリアの後半あたりから、青年期を終えて壮年期に入ったのではないだろうか。あの頃から、次第にボクサーたちは「野生」ではなくなった(僕がアイク・クォーティをどうしても忘れられないのはきっとそのせいだ)。いつのまにか、リングを「四角いジャングル」と呼ぶ人はいなくなった。かつて、自然の精霊の息吹を吹き込まれて登場してきたボクサーたちは、「歴史」に「なって」いった。今のボクサーたちは、歴史の「中を生きる」のだ。もう、天然の神話は生まれないかもしれない。しかし、それはそれでいいではないか。神々の時代が去り、人間の時代が始まったのだろう。そこにも偉大なドラマはあるはずだ。
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