赤井英和のすごさ
丸山大輔が13連続KO勝ちをマークして、デビューからの連続ノックアウトの日本新記録を樹立した。従来の記録保持者は、現在俳優で活躍している赤井英和氏の「12」だった。僕は、この記録達成のニュースを、ある独特の感慨を持って聞いた。ボクサーとしての「赤井英和」という名が話題にされることは、これを機会に減っていくのかもしれない、と思ったからだ。 赤井英和はタイトルとは縁のないプロのリング人生だった。昭和55年9月のデビューから昭和60年の大和田正春戦(7回KO負けした後、脳内出血で開頭手術を受けて引退)まで、タイトルマッチと名のつく試合は、昭和58年7月7日のブルース・カリー戦だけだった。4年ほどのプロ生活は、19勝16KO2敗という戦績を残して流星のように過ぎていった。 そんな赤井が残した唯一の「記録」がこの12連続KOだったのだ。それが破られた以上、これから「赤井」を語る機会は少なくなってしまうのではないか。居酒屋「白木屋」のCMに出てくる個性派俳優としてしか知られなくなってしまうのではないか。あるいは杞憂かもしれないが、そんな心配をしてしまう。 赤井は、ものすごいボクサーだった、と思う。客観的な戦力としては、さほど図抜けたファイターではなかっただろうが、リング上でそのキャラクターとハードパンチが化学反応を起こして強烈な光を放つという点では、まさに「KOキング」だった。記録よりも、記憶に残るボクサーだったと言えるだろう。しかし、リング上の赤井を「記憶」していないボクシングファンが増えている現在、急に「赤井」を語り継がねばならないという意識が、僕の胸に芽生えてきた。 じつは、僕は最初から現役時代の赤井を好きだったわけではない。積極的に嫌いだったわけではないが、あまり関心がなく、“浪速のロッキー”を世間は騒ぎすぎだと感じていた。「グアム島チャンピオン」などを連れてきて楽勝しては「ムサシ中野の12連続KO記録まであと○つ」などとマスコミが騒いでいるのを見ると、「馬鹿馬鹿しい。アピデス・シチランやフィル・ラバロをマットに沈め、東洋王座を守りながら作った中野の記録を、赤井が作られた記録で破ってもあまり価値はない」と思っていた。
また、当時の日本ウェルター級(赤井も、多くの試合をウェルターで戦っていた)にはなんといっても天才・亀田昭雄がいたし、のちに日本ウェルター級王座を13度守る(12KO)串木野純也、あるいはこれまたハードヒッターのカーロス・エリオットがいた。赤井のボクシング能力は亀田の足元にも及ばないし、パンチ力だけなら串木野、エリオットの方が上であるように思えた。彼ら、国内のスターたちと戦わずして作った記録など、まさに「作られた」もののように見えた。赤井の連続KO記録が「12」でストップしたときは、多少ほっとしたものだ(その2年後、骨折によるブランクを乗り越えて、浜田剛史が元世界王者クロード・ノエルを4回で沈めて13連続KOをマークしたときは、腹の底から納得した)。 しかし、あのブルース・カリーに赤井が挑戦した試合は、後にも先にも見たことがないような試合だった。「7月7日やから、7回に倒してパチンコのフィーバーにしたる」と言っていた赤井は、結果的にはそれを自分にやられてしまうのだが、それまでの過程は、まさに「フィーバー(熱狂)」そのものだった。 王者カリーは、歴史的ウェルター級王者ドン・カリーの実兄で、弟ほどの「完成品」ではないが、やはりハードヒッターで、少なくとも赤井とは比べ物にならないくらいボクシング技術はあった(はずだ)。僕は、赤井がサンドバッグのように打たれて序盤で粉砕されるだろう、と予想していた。 しかし、僕は赤井のすごさを、戦力の一部にになってしまうほどのキャラクターの強さを理解していなかった。彼が会場に入場してきた瞬間から、僕はもう彼に圧倒された。赤井は、両手のひらで軽くVサインを作り、それを額よりもわずかに上にかざし、手のひらを自分の顔に向けて、じり、じりとリングに近づいてきた。歌舞伎の名役者でも、これだけ花道を効果的に使うことはできないのではないか?! 現在役者で成功している赤井を見ていると、あそこにすでにその片鱗があったことを感じる。顔にうすくワセリンを塗った赤井は、リング上を凝視しているようにも見えたし、どこかへ意識がぶっ飛んでしまっているようにも見えた。その顔、そのポーズに満ち満ちた、気の遠くなるほどの高揚感。「ボルテージ」という言葉の意味が、その表情と全身で表わされていた。まず、あれほどテンションの高い入場シーンを、僕は国内では見たことがない。 そのボルテージに、世界王者カリーが巻き込まれた(のではないかと思う)。赤井は、例によって(?)あんまり上手くない、力任せのケンカ・ファイトをしかけた。技術の違い、キャリアの違いなどおかまいなしだと言わんばかりに、左右フックを力任せに叩きつける。カリーは、その技量を持ってすればこれを適当にさばいて、赤井の顔面なりボディーなりに痛烈なカウンターでも叩きこめるはずだった。 しかし、実際にはカリーにはそれができなかった。ロープ際に後退しながら、口を開けてマウスピースを苦しげに見せながら、むきになったように打ち返すばかり。赤井はまったく表情を変えず、のしのしと前進、また前進。時折、「ぶん」と小さな奇妙な声を上げながら、スイング気味の大ぶりのフックを叩きつける。カリー−赤井戦は、奇妙にレベルの低い、しかし凄みのある打ち合いとなった。 だが、やはりカリーのパンチの方が、押し込まれつつも固さがあり、ダメージは「芯」まで届くものだった。食っても食っても猛牛の前進をやめなかった赤井だが、7回に「糸」が突然切れ、両膝から落ち、仰向けに倒れた挑戦者はそのまま昏倒した。 レフェリーに手を上げられた王者カリーは、しかし、苦しげにあえいでいた。その表情には、恐怖さえ浮かんでいるように僕には思えた。チャンピオンもまた、ぎりぎりまで追い込まれていたのだ。カリーをそこまで追い込んだのは、赤井のパンチでも、スタミナでも、ましてテクニックでもなく、ある意味で役者としての彼にも共通している、「キャラクター」の強さだったろう。
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