ランぶる・イン・ざ・ジャンぐる……


  

ヘビー級王者のサイズ

 
 レノックス・ルイス対ビタリ・クリチコ戦は、久しぶりに「巨人の戦い」というヘビー級の醍醐味を味あわせてくれる一戦だった。大抵の対戦相手に対し、圧倒的な体格優位を示してきたルイスを、スピードやテクニックでは抜群とはいえないクリチコが真正面から追い込んだシーン(マッコールやラクマンの“一発”とは少し違う)は、ボクシングにおいて「体格」、「体力」、「パワー」の持っている大きな意味をあらためて示していたように思う。
  レノックス・ルイスとリディック・ボウ(ともに196センチ、約110キロ)ほど、体格とボクシング能力を大規模かつハイレベルにかね備えたボクサーは史上いなかった(アリやホームズだって、190センチ、95キロ程度だ)。彼らが出現し、ヘビー級は「超巨人の時代」に入るのかと思われた。しかし、現状ははるかに複雑だ。ウラジミール・クリチコを小型のコリー・サンダースがノックアウトしたし、ロイ・ジョーンズのような小さな偉才がショッキングな王座奪取も果たしている。180センチに満たないタイソンだって、どんなに調子を崩してもまだ中堅以下には負けそうにない。ヘビー級ボクサーというのは、どれくらいのサイズが一番強いのだろうか?
 ボクシングが盛んな国々の若者の体格は10年、20年単位でみれば、大抵は向上してきている。ヘビー級王者の体格も例外ではない。グローブ時代の初代王者ジョン・L・サリバンは177センチ、90キロだったが、「ビッグ・ジョン」と呼ばれていた。“ガルヴェストンの巨人”の異名も持っていたジャック・ジョンソンは184センチ、99キロだ。現在なら中型以下である。ルイスやクリチコ兄弟と比べたら、少なくとも「巨人」ではない。
  しかし、近代ボクシング100余年の歴史の中で、ヘビー級王者の体格はつねに巨大化の一途を辿ってきたわけではない。99キロのジョンソンに勝ったジェス・ウィラードは198センチ、112キロだったが、そのウィラードを打倒したジャック・デンプシーは185センチ、体重は86キロしかなかった。ジーン・タニーも、ジョー・ルイスも、同じようなものだ。50年代の支配者ロッキー・マルシアノは180センチ83キロしかなく、続くフロイド・パターソンも182センチ82キロである。ウィラードやプリモ・カルネラ(196センチ、120キロ)を例外としても、ジェームズ・J・ジェフリーズ(185センチ、101キロ)、ジョンソンと比べても、ヘビー級王者はむしろ小さくなっていった。もっと大きいヘビー級ボクサーもいないわけではなかったが、勝てなかったのだ。
  ここ20年ほどを見ても、ホームズ時代の後半以降、ジョン・テートやティム・ウィザスプーン、ピンクロン・トーマスといった、アリ、ホームズとほぼ同じかもう少し大きいくらいの王者が続き、「巨人の時代」を予感させたが、マイケル・スピンクス、マイク・タイソン、マイケル・モーラー、イベンダー・ホリフィールドといった小型ボクサーがあっさりと巨人支配を覆した。
 これはおそらく、「チャンピオン」という、格闘技独特の制度と関係があるのだろう。つまり、すべての競技者がひとつの「ものさし」で図られる側面が強い陸上競技や体操競技のようなスポーツの場合、競技技術や戦術はまるで科学技術のように進歩していく。今日、ベリーロールでもって背面飛びよりも高く飛ぶ走り高跳び選手は(少なくともハイレベルな試合では)皆無に近いだろう。しかし、ボクシングでは違う。ボクシングの強さは、「ものさし」によって測られるのではなく、あくまでも「相手」に、最終的には「チャンピオン」に勝つことによって示されるのだ。理論家やトレーナーたちに、どんなに批判されるようなトレーニング法を用いたとしても、チャンピオンを倒せばそのボクサーが「頂点」なのだ。技術論が精神論をけっして駆逐できない理由のひとつも、たぶんそこにある。
  トップを目指すボクサーたちは、その時点でチャンピオン・ベルトを巻いているボクサーにどうやって勝つかを考えなくてはならない。まだマイク・タイソンが若かった頃、「タイソンはモハメド・アリにも勝てるボクサーになるか」という質問を受けたトレーナー(当時)のケビン・ルーニーは、「マイクは、アリのようなボクサーには勝てるのではないかと思う。師カス・ダマトは、アリ・スタイルが支配的な状況を見ながらマイクを育てたからだ。マイクのスタイルが最強かどうかは分からないが、長身のボクサータイプには有利だろう」と答えていた。タイソンとの共通点も多いダマト門下の兄弟子フロイド・パターソンがアリにまるでかなわなかったことを思うと、ルーニーの言うことが100パーセント当たっているかどうかは分からないが、タイソンの異常に速いコンビネーション、相手のジャブをかいくぐる激しいウィービング、前進しながらダブル、トリプルで放つジャブ、ボディーブローとショートフックの組み合わせは、「打倒アリ」の戦術だと言われればそれなりに納得はいく。
  それに、時代を画すような大チャンピオンは、自分と同じタイプのボクサーには、よほど衰えていない限りあまり負けない。先行者のスタイルを模倣する者は、「オリジナル」の持っている才能とエネルギーには及ばないからだろう。むしろ、偉大なチャンプは自分と正反対のタイプに名をなさしめることが多い。サリバンからコーベット、ジョンソンからウィラード、ウィラードからデンプシー、デンプシーからタニー……。直接交替ではなくても、ルイスのあとにウォルコット(とチャールズ)が出たのも、そのあとにマルシアノ、パターソン(もちろん、さらにリストン、クレイ……)と続いたのも、意味があることだったろう。
  たぶん、ヘビー級ボクサーは大きければ大きいほど強いというわけでもない。ボブ・サップみたいな人は、昔からアメリカにはいないではなかったが、アメフトやバスケットから転向した「巨人ボクサー」たちはボクシングでは一流になれなかった。ジョー・ルイスくらいの体格があれば、「人間なら誰でも倒れる」レベルのパンチを放つことは可能なのだ。大きいボクサーが一般論としてパワーと体力の点優位にあるのは事実だろうが、その分動きが鈍くなるなど、優位を覆す要素もたくさんあるのだ。
  デンプシー、ルイス、マルシアノのパンチは、現代の巨人ボクサーにも壊滅的なダメージを与えるだろう。「いや、彼らには技術がないから、当たらないよ」と言う人もいるが、そうだろうか? 僕は、ボクシングの技術(と体格)の「進歩」のほとんどは「モード・チェンジ」に過ぎないのではないかという疑念を持っている。大昔のボクサー、たとえばデンプシーと本当に戦うことを想像してみてほしい。彼らが「へたくそ」に見えるか、おそろしくやりにくい「変則ボクサー」に見えるかは、微妙なところなのではないか。

 

HOME