なんでも、「アリ−フォアマン戦の時に撮影した膨大なフィルムを何年もかけて 編集して、やっと完成した」というふれこみだったから、あの偉大な試合にまつわ る、あらたな映像がたくさん見られるのか、どきどきしながら渋谷パルコに行った (ひとりでこんなとこ行ったのははじめて)。だが、「重要」と呼べるシーンのほ とんどは見たことがある映像だった。 それでも、そんなことはどうでもよくなるくらい、ハッピーな時間を過ごさせて もらった。まずはとにかく、アリが、映画館の大画面で躍動している。アリ・シャ ッフルが、サンドバッグにめり込むフォアマンのパンチが、すべてが大画面なのだ。 それだけで、もうボクシングファンには至高の映画だろう。
だが、それだけじゃなかった。見終わって、この映画の『When We Were Kings』というタイトルが、えらくディープなものなのだということもわかった。
「俺たちが王者だったとき」
−−まず、それはアメリカの黒人たちがアフリカを見る眼差しだ。映画の終わり でアリは、アフリカの子供たちにこう言う。「俺たちよりも、君たちの方がずっと 素晴らしい。君たちは俺たちが失ってしまったものを持っている。それは威厳(デ ィグニティ)だ。それをけっして失わないでくれ」。アメリカでは奴隷としての過 去しか持っていない黒人たち。だが、もっと遠い日、アフリカでは「王者」だった のだ。
そして、もちろん、アリとフォアマン(フレージャー、ホームズ[アリとのスパ ーでの強さに驚くぞ! ]、ノートン、それにリストンも)は、リングの王者たち だった。この試合当時は憎まれ役で、しかも敗者になったジョージ・フォアマンだ が、フィルムは公平にとらえている。現在の冷静な目で見ると、フォアマンは当時 からきわめて知的な男で、史上最強の豪打だけでなく、礼儀とユーモアを高度にそ なえた、それはそれは立派な「王者」だったことがわかる。これほどの人物が、誠 意に満ちた行動を貫いているのに「獣」あつかいされた挙句、KOされたのだから、 傷ついただろうな。
また、くしくも今年、ついに政権を追われて亡命した独裁者、ザイール(現コンゴ) のモブツ大統領も、当時は政治の「王者」とし ? 君臨している。試合が行われ たサッカー・スタジアムの客席の下には、政治犯たちの牢獄や拷問室があったとい う衝撃的な話ははじめて知った。
そしてドン・「キング」。彼もこの試合で無名のプロモーターから「王者」になった。 彼もまた、この試合でひょっとしたらアリと同じくらい大きな勝利を手にしたのだ。 キングの「戦い」っぷりも、存分にカメラがとらえており、この映画の見どころに なっている。
もちろん、映画に濃厚な味わいを加えるB.B.「キング」とジェームズ・ブラ ウンも、(意外に登場シーンは少なかったが)ブラック・ミュージックのまぎれも ない王者ぶりを発揮している。
ボクシング、アフリカ植民地のヨーロッパからの独立、70年代ソウル・ミュージック、 さまざまなブラック・ムーブメントが、「王(キング)」というモチーフによって、 ひとつの映画の中に複合体として姿をあらわしている。しかも、その主役 が、ほかでもないザ・グレーテスト・モハメド・アリ。「個人」と「民族」の尊厳 というテーマが、最高のスポーツ・エンターティンメントとしてぶつかってくる。 そうだ、それがアリという人でもあった−−。
ただ、この映画公開の日本側スタッフは何もわかってないのかもね。なにしろ邦 題が『モハメド・アリ かけがえのない日々』。……なんじゃあ、それは。そりゃ 、ドキュナンタリー作品だから、ひろ〜い意味では「かけがえのない日々」が記録 されてるだろうけどねえ。で、さらに死人に鞭打つように、キャッチコピーが「誰 にでも一度は王者になる瞬間がある」 ……とほほほほほほ。この映画の価値がわ かってたら、いや、「王者(キングス)」という言葉の重さがわかってたら、ぜっ たいこんな言葉は出てこないよねえ。たぶん、このタイトルとコピーつけた人は、 いろんな仕事の合間に、この映画見る前にちょこちょこっと書いたんだろうな。 退場。アリをなめんなよ! |
*映画『When We Were Kings』のオフィシャルHP http://www.reellife.com/PFE/wwwkings/home-wwwkings.html *MUHAMMAD ALI The Greatest Web Site *アリ関連のプレミアム・グッズ販売 *Bishop LINK : 「アリ展」の写真家ハワード・ビンガムのHPがある
|