ONE HUNDRED KILO METER HIKING

100kmその先に見えたものは 一体なんなのか?

 1999年秋、わたくしは東京の100qハイクというものに再び参加することとなった。最も、実際に歩き出すまえに100qという距離が どんなにか長い距離であるかという事には去年しっかりと気づかされてしまっているのだが・・・。今年も出ようという想いになったのは やはりなんと言っても昨年の挫折と言うものがあるといわざるをえない。現在(1999/11/6)の段階では今年こその想いである。しかし 試験が重なっているという事もありなかなかトレーニングが出来ないでいる。このままでは去年の二の舞になってしまうかもしれない。 非常に不安である。さてどうなる事か?


 

<序>〜100キロへの想い〜

 いよいよハイキングがやってくる。今回の参加を決めた瞬間を思い出した。もう、随分と昔の事である。そう、それは昨年の 100キロハイクの最中、わたくし自身が心の中でリタイアを決めたときの事である。暗がりの道を一人であるいていた。ちょうど50キロを 越えたあたりであった。思うように動かない足。情けない自分に、寒さに、口惜しさに気がつくと咆哮していた。その時にはもう自分自身の 心の中では決めていた。必ず帰ってくる。必ず歩ききってやると…。
 それから早くも一年の月日が流れた。当初の想いでは、1年計画でしっかりとトレーニングをし今回の100キロハイクでは余裕の完歩を 果たしてやるぞ!と思っていたのだが、日常がそれを許してはくれなかった。実習の日々に終われていく日常を過ごしていくうちに 情熱も口惜しさも少しづつ薄れていく、絶対やってやると言う気持ちが、出切れば、という甘えた気持ちに変わっていく。その内、日常で 意識する事も少なくなっていく。
 しかし、季節は巡り、冬が過ぎ春がきて暑い夏も過ぎ去った。ちょうどその頃、今年も参加するのか?というメールが”八王子の住人” さんから届く。あれは9月の半ばぐらいの事だったろうか、再び想いが口惜しさがよみがえってくる。戦いへのボルテージは徐々に あがって来る。トレーニングを始める。ところが、わかっていた事なのだがちょうど卒業試験と重なってしまったのだ。 2ヶ月にも及ぶ長丁場、しかも下手に落ちてしまうとハイキングの次の日が再試になってしまうと言う危険性もあったりして 気が抜けない。当然、十分なトレーニングを出きるわけも無かった。無常に時は流れる。絶対にやってやるという気持ちと こんなんで大丈夫なのか?という不安も大きくなってくる。・・・・・・・・・。  

<戦略>

 今回は前回の失敗を踏まえていくつかの戦略(と呼ぶほどのもではないのかな?)をたてた。
(1)靴はまめの出来ない足にあったものを実際に歩いてみて選んだ。
(2)ペースは自分の歩く速度の範囲内で速めに歩く。
(3)リズムを崩さず歩けるうちに歩いてしまえ!!(元気なうちは休まず行こう)
(4)絶対に途中で苦しくなる事はある。そのためにケアグッズを充実させた。テーピング、まめパッチ、マキロンなどなど…。
(5)あとは根性!!

<始動>

 平成11年11月21日午後3時半、東京は新宿、再びスタート地点に立っている。1年の時がたち、55キロの続きが今始まる。
 出だしは、流石繁華街、人がいっぱいで歩きにくい事はなはだしい。このままずーっと人がいっぱいいるんだったらきついな と思いつつ、頑張って人をよけながら歩く。心の中で元気なうちに歩けを唱えつつ、でも無理に飛ばして足の筋肉をいためないように とか思いながら、でも、なんか周りの人のペースにあおられちゃって、少し早めに歩いてしまった。そうこうしているうちに人も少な くなって随分と歩きやすくなった。気がつくと青梅街道を八王子方面に向けてひたあるいていた。 何か周りの人を見ると最初からずーっと同じようなメンバーばかりだ。いつまで続くのかと思いつつ 、きっと水面下で張り合っていたと思う。抜きつ抜かれつの争いであった。まあ、もっとも最後まで続くわけではないのだが…。
 結構なペースで歩いているつもりで歩いていたのだが、全くもって前の人たちに出会わなかったのでペース悪いのかな?と心の中 で思っていた。阿佐ヶ谷を歩いていた頃、初めて人を抜いた。ふふふ。
 実に快調、全く疲れる事も無く、いいペースで歩きつづける。19.9キロ地点の第一チェックポイントまで200分でついた。 3時間20分、夕方の6時50分だった。んー、快調快調。このぶんなら20時間ぐらいでつくかな?などなど皮算用をしていたのであった。

<予兆>

 第一チェックポイントを休憩もそこそこに(その時間わずか5分)引き上げ快調に飛び出した。 次のチェックポイントまでは13キロ。軽い軽い。そんな感じ だった。実際、さしたる問題も無く、同じリズムでとんとんと歩きつづけていた。しかし、なんとも暖かい気候であった。というのも この第2チェックポイントに到着するまで上着を着てなくて、長袖シャツ1枚で歩いていた。気候まで快調と言う感じであった。 道は青梅街道を離れ立川道りをへて甲州街道へとやってきた。これからまた新宿へと向かって戻っていく。 もうすぐ第2チェックポイントだ。すんごいいい感じだった。でもこの調子で最後まではいかないよな。それは覚悟はしていた。
 午後9時を過ぎ、少し寒くなって来た。スタートして5時間を過ぎ、流石に疲れも感じ始めていた。 ペースもわずかに遅くなってきていていた。敵はすぐそこに近づいていたのだった。午後9時半ごろ第2チェックポイントに到着した。

<波瀾>

 

 ここでは、靴を脱ぎ足をチェックしてみた。徐々に疲労がたまってきてる感じはあった。豆に関してはほとんど問題の無いレベルだった。 靴選びは成功しているのかな。しかし、休んでる人は多かったが、残念な事に見知った人は見つける事ができなかった。いたしかたが無い ので、またまた休憩もそこそこに出発をした。ここで思いがけずうれしい誤算があった。道の体側を歩いているのはわたくしを 100キロに招待してくれた”八王子の住人さん”たちではないか・・・。はじめて見知った人と出会った瞬間、思わず声をかけた。 彼らと合流して会話を楽しむ、今にして考えるとこの頃が最も精神的に楽しかった時期だったように思う。しかして、 その時間はそんなに長くは続かなかったように思う。
 ひたすら甲州街道を新宿方向へと戻る道。そこをおはなしをしながら歩いていたのだが、徐々に徐々に会話が少なく無くなっていく。 この頃、自分の左膝が”笑い”始めていた。ペースをあげようにもあげられず。ペースを保つのがせいいっぱい。それでも、最初の頃は 集団の先頭を歩いていたのだが、本当にゆっくりとペースが落ちてきて、先頭を歩けなくなってきた。痛みのせいか呼吸も苦しくなって 来た。過換気状態になったのか、頭も痛くなってきた。かなり全身的に苦しくなってきた。それでも、頑張ってみんなについて歩いて いたのだが・・・。
 間もなく第3チェックポイントというところ、あと1キロぐらいのところであったか、で限界がきた。”八王子の住人さん”たちの ペースについについていけなくなったのだ。左足の膝に力が入らず、もうどうしようもなかった。それでも、まだ終わるわけには いかない。自分は歩ききるために来たのだ。そう言い聞かせ、リズムだけは崩さないようにした。去年歩けなくなっていったときは 足の付け根が動かなくなってしまったことを考えて、まだある程度のスピードは出せていたので去年よりはいい状態だと思ってはいた。 ある意味、本当の戦いはここから始まったと言っても過言ではない。
 ちょうど、夜中の12時頃に第3チェックに到着した。45キロ地点である。まだ半分にも 達していない。しかし、そうとう息苦しい状態になっていた。左足の膝はほとんど力の入らない状態になっていた。

<絶望>

 

 左膝の状態に不安はあったが、まだ動ける。その事実を考えて、またすぐに歩き出した。やはりペースはあがらない。 膝に力は入らないし、左足首のちょっと上のあたりが一歩、歩を進める度にズキズキと痛み始めた。ゆっくりとしかし確実に 僕の歩みはゆっくりとなっていく。歩幅が狭くなっていく。せめてもの想いで必死に痛みに耐えてリズムを保とう、リズムを保とう とそれだけを考えて歩いていたような状況であった。
 完全な孤独な戦いとなっていた。前後には人の姿もほとんどいなくなっていた。ただ、時折もう限界を超えてしまったのか、 歩みを止めて座り込んでしまっている人などの姿がちらほら見え始めていた。
 55キロ地点、このあたりがターニングポイントとなった。ここを通過したのが午前2時30分頃であった。スタートからちょうど 11時間、時速5キロのペースである。数字だけを見るとほぼ予定通り。しかし、この10キロには2時間半ペースとしては時速 4キロであるが確実に下降線をたどっていた。実際、何とかリズムを保って歩んでいたが、リズムを保つためには顔をしかめながら 足の痛みに耐えながらの所業となった。このころになると膝には本当に力が入らなくなっていた。
 甲州街道を一人歩く。環七をくぐり抜けたあたり(56.5キロ地点)では本当にペースががた落ちしてきていた。時速4キロを保つのが 苦しくなってきていた。僕自身の中では時速4キロというのを一つの目安として考えていた。これを切るようだと厳しい、そう思っていた。 しかし、現実はもうその状況まで来ていた。頭の中で、今年もだめなのか?そういう考えが浮かんできていた。

<賭け>

 ここで、ひとつの賭けをした。今のままでは完歩する事は難しいという事実をふまえての賭け。
 テーピングを膝に施してみたのだ。事前にもしものことを考えてちょっと調べていたのだが実際に試したことは無かった。 だから、うまくいくという自信もなかった。ここには、もう一つの判断、何をしても今よりも状態が悪くなることはないという 計算もあった。
 とりあえず試用ということで、ジャージの上からテーピングを施してみたのだ。・・・これが、実によかった。正直考えていたよりも ずっと優れものであった。しかし、ジャージの上からでは歩くたびにずれてしまうので、取るときはきついだろうなとかおもいつつ 直接テーピングに切り替えた。巻きなおしている間に幾人も人たちが抜き去っていく。焦りをおさえつつゆっくりと確実に巻いた。
 本当に効果抜群、すっかりとペースが元に戻ったのだ。感動してしまった。とはいえ、既にもとの体ではない事には変わりは無く。 いつかまた苦しくなるに違いないと確信はしていた。実際、復活してすぐに左足の足首のちょっと上のところの筋肉(前頚骨筋)の部分 が歩くたびに猛烈に痛み出していた。調子にのったわたくしはそこもテーピングでがちがちに固めて痛みを紛らした。持参していた テーピングが無くなってしまったので、コンビニが現れるごとに侵入してテーピングを探したのだが是がなかなか無いのだ。4件目 か5件目でようやく発見したときはうれしかった。昔、岡崎と言う駅で夜中4時間すごさなくてはならなかったとき、あれは冬だった、 ガストを発見した時に匹敵する喜びであった。
 とにかくテーピングは見事に効を奏し、午前3時30分ごろ第4チェックに到着したのだった。

<奮起>

 第4チェックは62キロ地点である。実はスタート地点と一緒の場所、さらにはゴールと一緒の場所である。誘惑に満ちた場所であった。 というのもここでリタイアしてしまえば、万が一のために持ってきた寝袋にくるまってゆっくりと眠れるのである。体育館の中には 既にリタイアした人たちの気配があり正直ちょっと引かれる面もあった。が、こんなところで終わるために来たのではない。 完歩するために来たのである。だから、最初からここで休むつもりは無かった。僕がここでした事は、ただひとつテーピングを巻き直した ことだけである。あっ、そーいえばミロをもらったので飲んだ。とにかく、ものの10分程度休憩しただけで、次のチェックへ向けてスタート地点から 2度目のスタートを切った。当然のようにまた歩き出した。自分自信にまだいけるんだと言い聞かせる意味も込めて、何事も無いように 足なんかちっとも痛くないんだぞっと言う感じをつくって歩き出した。実際のところは、膝が笑う感じはテーピングで押さえられていたが 痛みに関しては、休む前よりもひどくなってきていた。ここに来て”歩く事”イコール”痛い”になっていた。ここからが本番だ。 そういう気持ちでいっぱいだった。

<長い>

 実はこの第4チェックから第5チェックポイントまでは18.9キロメートル、およそ20キロあったのだ。今にして思うとここが総合して みると一番しんどいところだったのではないだろうか?もちろん、肉体的には距離を重ねれば重ねるほどきつくなっていくのだが…。
 時間は日の出まえ、空気は一番冷たくすんでいく時間。去年よりは暖かかったのだが、しかして精神的な体力、肉体的な体力を 容赦無く奪っていくのだ。でも、まだ暗闇の中を歩いているうちは良かった。疲れている身にはまだ暗闇のままのが良かった。 当然の事なのであろうが、朝がやってくる。もう、ペースは上がらない。どうしようもなく痛みに抵抗して、もがいて歩を進めていくのが 精一杯という状態であった。空が白み始め、朝がやってくる。まだ時間も早いのに爽やかにジョギングする人たち、 犬の散歩をする人たちの姿が目に飛び込んでくる。他人の軽快に動く足を見ると恨めしくなってくる。朝に光はあまりに眩しすぎる。 どれだけ歩けば着くというのか、あまりに長時間、次の目的地がやってこない。こんなに苦しい事は無い。しかし、歩を止めない限りは いつかは着く。そういう思いで歩きつづけた。
 午前9時、第4チェックを出発して既に4時間以上の時間が流れていた。空はすっかりと明るくなり、世の中は眠りから醒め再び動き 始めていた。ようやく、第5チェックポイントに到着した。
 ”ふぅー”深くひとつ大きくため息をつき石の上に座り込む。第5チェックに来た151番目だという話しを聞く。意外に人が来ていない という話しである。後6時間強で20キロ弱を歩ききればゴールである。先が見えてきた。正直、この時思った。もう何とかなる。あとは、 根性だけだ…。

<まだまだ>

 次のチェックまではおよそ10キロ3時間ぐらいかけていけば良いという計算。少しペースを落として歩く事にした。しかしここもまた 長かった。というのも、次の目印のあるポイントまで6キロ以上あったのだ。まあ、2時間ぐらいかけていい計算なのだが、ゆっくり歩くと 長い時間歩かなくてはならない。これもきつい。ところがペースをあげるのも大変という状況であった。しかし、チェックを出てから すぐのペースはあまりに遅すぎた。途中でペースアップを余儀なくされたのだが、これが出来たのだ。感動をした。まだ、力が残って いたのだ。次の第6チェックは最後のチェックポイント90キロ地点。東京タワーの近くである。スタートするときからそこにたどり着く事を 目標としていた。というのもそこまで行けば何とかなると思ったからである。
 あと、少しで東京タワーと言うところ、左上方には東京タワーが見える。ここで、再び”八王子の住人”さんたちにであった。 てっきりずっと前をいっているものばかりだと思っていたのでかなりびっくりした。どうやら”八王子の住人”さんたちは 結構休んでいたらしい。でも、ここまできたらみんな苦しい。かれらはちょうど休憩するという事だったので、ぼくは お別れをしてチェックポイントへと向かった。休むと2度と歩けないような気がしていたから、もう人様に合わせられる余力は 無かった。自分のペースで歩く事すらしんどい状態であったのだから…。まあ、次のチェックポイントで座ってるところで またすぐに出会ってしまうんだけどね。
 12時ちょっと前に最後のチェックポイントに到着した。制限時間はあと3時間半、残りの距離は8キロメートル。計算上は 随分と楽な感じになってきた。だって時速2.5キロで間に合うのだから・・・。

<これから>

 しかし、本当のヤマここからであった。もう、体はいう事を聞かない。歩きながら眠くなってくる。しかも、歩き出して すぐのところ、ご存知の方もいるかも知れないが東京タワーの横のところが坂になっていたのだ。これはとんでもない事であった。 あしの付け根の部分の筋肉も痛み出して動かなくなってきたのだ。足が上がらないから坂を登る事がとんでもなくつらいのだ。 つらいだけならまだしも、進まない。1歩が20cmぐらいになってたんだろうかなぁ?10分も連続して歩けなくて、ちょくちょく 座り込んでは、1分寝るということを繰り返していた。1分以上とどまると精神的にも肉体的にも再び動けなくなってしまうような 気がしていたから。だから、距離的には本当に後少しだったけど、気持ち的にはものすごく長かった。
 しかも、途中、ほとんど抜かれる事も無く道を間違えてしまったのでは?と不安に陥ってしまった。ここまで来て道間違えて、 リタイア、なんてことになったら・・・。でも、もう間違えたとしてやり直す力は残っていなかったから、この道が正しいと信じて 歩きつづけるしかなかったのであった。まあ、賭けには勝ったんだけどね。

<ゴール>

 明治通りに出会ったときは感動した。道を間違えていないという事実は本当にうれしかった。もう、絶対にゴールできると確信 した。本当に本当に確信をした。わずか数キロしかない最後の道、時間も大丈夫。止まりさえしなければ、これがエネルギーとなった。 人間の気力というものは目標があるという事が大きい。あらためて認識をした瞬間であった。  ゴールした。ゴールした。ゴールした。
 1年越しのゴールである。23時間25分。これが100キロ歩くのに要した時間である。あらゆる意味でメイッパイだった。もう後1キロあったら ゴールするのは難しかったかもしれない。それぐらいギリギリだった。いつもなら、結果から最初から計算していたどおりさ!とでもいうところなの であろうが、今回ばかりはそーやって強がる事もはばかられる気がする。本当にほんとにギリギリ。体力、気力、知力、運、出会い、愛 、すべてを総合して導き出された結果がこの23時間25分というタイムなんだと思う。最高にうれしい瞬間であった。こんな達成感は 過去にあったのだろうか?そう思うぐらい。 

<そのあと>

 実はゴールしてからいろいろ大変だった。
 まず、テーピング外し。しっかりと肌にくっついていて、しかもすねげがいたい。えぃっと!はいだら、テーピングになにかついてる。 あっ、、ひふだ。皮膚ごと剥いてしまった。これは痛い。洒落にならん。外したら今度は歩けなくなった。当然である。今まで、テーピングして 何とか歩いてたんだもんね。
 二つ目。閉会式、始まったので根性で列に並んだまでは良かった。そして、今年の男女のトップが感想を言うところまではなんとか 立ってたけど、ここで限界、体育館ない逃げ込んで寝こんでしまった。気持ちが悪くなってしまったのだ。
 3つめ、帰る事。これが大変、まず新宿駅まで行く事、そんなに距離があるわけじゃないのがせめてもの救いだった。階段、これが大変。 手摺りをしっかりとつかんで一段一段ゆっくりと降りる。これしか出来ない。電車の待ち時間、移動時間はひたすら睡眠。
 そして最高に大変だったのが、家の最寄の駅から家までの道。普段は5分ぐらいのところなのだが、また急に寒くなってきて、全然 からだが動かない。国道を渡る信号の時間ギリギリかけて、しかもそれも大急ぎで、何とか渡る。30分かかった。本当、さっきはゴールが 目前に迫ると気力わくといったけど、このときは気力萎えそうになったね。しんどかった。家に着いても靴脱ぐのに5分かかったし、 本当に大変だった。
 ちなみに次の日の朝は動く事が出来なかった。

<100キロその先にあるもの>

 何があるのか?きっと、何気な日常とか、苦しい事があったとき、とかふとした時に力となるんだろうな。言葉ではいう事は出来ない けれども、人生の糧なんだろうな、きっと・・・。


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