少女








夜が明け、魏軍の全貌が明らかになった。

それを見た呉軍軍師陸遜は一瞬青ざめ、苦笑いをした。

「――ここまで、とは…っ。」

兵力は互角でも、武将の気が違う。

誰もが思ったこと。

「これは、天下を決める戦いになる。」と。








魏軍と対峙し、何か矢が飛んできたらすぐに開戦というときに、凌統は馬上にいる陸遜に声をかけた。

「軍師さん、一つ聞いて良いかい?」

「…なんですか、凌統殿?」

やはりいつもと変わらない様子の凌統だった。

それに答えたのは緊迫した陸遜の声。



「――なんでそんなに切羽詰ってんの?」




その問に陸遜は苦笑して返した。

「切羽詰まっているように見えますか…?そうですね…たしかにそうかも知れません…。…何故だか、胸が、動悸激しいのです。」

それを聞いた凌統は、ただ少し眉を動かしただけだった。

そして、それは最後の歯車の悪戯。

運命が仕掛けた罠。





二人からあまり離れていない小隊の中心に、馬に跨ったがいた。

こちらに初めてきたときはあまり乗れなかったが、今では慣れた。

この時代特有の風の香りも感触も。

ふっと笑って、この役目と、想いを抱いた。




それと同じに、隣にいた兵士の頭に矢が射抜かれ、喚声が上がった。














砂と、血と、人の匂いがあたりに充満する。

すべての感覚が総動員になって、命の重さを、命の儚さを、感じていく。

それは、今も昔も変わらないこと。

血飛沫が舞う。

それが自分の頬に、双棒に刀に双剣に鮮やかさを。

歯車が仕掛けた最後の罠を。

そして、その時を待っていた。












―――う…っひっ…おに、いちゃん…おねぇちゃん…っ!














意識の中に入ってくる声だった。

彼の目に映ったのは紛れの無い、彼女だった。

いや、彼女だけれど、それはとても愛らしく幼い。

それだけで、体が動いた。

立ちふさがる敵を一片の慈悲もかけずに切る。

もうしか目に入ってはいなかった。

自然と口が動く。

「……きっと、私はいつか貴女を庇うことがあるでしょう、…。」

それは、以前に語りかけた言葉。














キンッと頭の中に響いて、陸遜の方に目を向けると、その先にはここにいるはずの無い少女の姿があった。

着物の裾がひるがえり、弧を描く。

残った左耳のピアスが焼けるように熱くなった。

そう思った次の瞬間。

少女に襲い掛かる敵兵の切っ先が、彼女を庇った陸遜の左肩に入った。

一気に下に引こうとする敵兵に、陸遜は鋭い眼光を向ける。

それは、生きる者の光と、愛する者を守る光だった。

一瞬たじろいだ敵兵を、凌統が倒す。

そして、も、凌統と一緒に、以前踊った剣舞のように、陸遜の周りの敵兵をなぎ倒した。








目を閉じて、小さく震える貴女は、幼くてもやはり前に会った貴女でした。

その涙で濡れた瞳は、高貴だと思えるくらい。

だから、私は貴女にこう言ったのです。





「――大丈夫ですか?」

「おにいちゃん…だれ…?」

「それより、ここは危ないですよ、姫。」

「わ、たし…おひめさまじゃない…。」

「こんな危ないところに貴女のような方がいるから、姫なのですよ。」






貴女にいつも語りかけるように。

笑顔で。





「おひめさまじゃないよ…。」

「じゃぁ、私がお姫様にしてあげましょう。」

「え……?」




その瞳の涙が宝石のように見えた。

「約束です、姫。」

これが貴女との約束。

いつかまた会えるということの。






傷口から、一つ赤い自分の体液が彼女の掌に落ちた。

そして、自分の掌を彼女の頭において、抱きかかえるように囁く。

「……もう、怖くないですから…私が、貴女を守ります…。やくそく、です……。」

そう囁いて、その体温を懐かしむかのように瞳を閉じ、開けると彼女はいなくなっていた。
















そして、戦場の雑音がまた耳に入る。

彼女の掌に落ちた自分の体液は止まることを知らないように、止め処なく溢れてきた。

地面を朱色に染める。

決して、浅い傷ではなかった。

「――父さん!」

ひらりと、羽が降ってくるように、は陸遜の傍に舞い降りた。

「何ヘマしてんだよっ軍師さん!」

近くから、凌統の声もする。

立っているのも辛いはずなのに、陸遜は気丈にもの正面に立ち、微笑みを向けて、言葉を発した。






「何故、あそこで私を止めなかったのですか、?あそこで私を止めれば、繰り返さずにいられたのに。」







互いを見据えて、も言葉を発した。














「だって、あそこで止めたら、母さん笑ってくれないもの。今は悲しいかもしれない、けれど未来は笑って欲しいから。あの母さんは、母さんの未来を自分で歩むんだもの。」









――繰り返すというけれど、それは未来への道標なのだ。















「あたし、こう思うの。母さんや、あたしの一族は繰り返さないために、終らせるために悩んだり苦しんだりした。

けど、あたしたちの想いは繋がっていて、それは今あるものが真実。それを作り出すのも、あたしたち自身なんだ。

未来はいつも真っ白。だからこれからは歩むの。しっかりと。」















はっきりとした口調では言う。

それはすべて自分で思い、感じ、結論に達したこと。

彼女自身の想いであった。












「そして、これが最後なの。父さん。

これが最後の、そして始まりなんだよ――?」












そのままの口調でが告げる。

それは、今までの彼女自身ではなく、彼女自身の『鳥』の声だった。

のその声が天を突き抜けるように凌統の陸遜の耳に入る。

「――これが、最後の『鳥』の役目、目的。」










その言葉と共に、以前舞を舞っているときに現れた白い羽と、白い花弁があたりに光と共に現れた。

それはとても暖かなもので、懐かしく、切ない。

見ると、そこには一族の、彼女らの想いが確かにあった。





苦しみ、憤り、切なさ、焦がれ、愛。








すべての感情が流れ込むのを陸遜と凌統は感じた。

包むようにそれは広がり、胸を満たす。














その流れに身を任せていると、一族のすべてのピアスの鉱石の割れる音が広がり、その羽も花弁も光も消えた。

瞳を開けると、広がっていたはずの朱色の体液は消え、傷が消えていた。

一体何が起こったかと動揺したが、答えは心の奥にあった。






それは先ほど流れ込んできた『想い』

愛する人と娘からの切なる暖かな『生きて』ということ。





気づくと、頬に涙が伝わっていた。














そしてそれと同時に凌統が今まで見たこともない表情で、叫んだ。














ライスとの一歩手前です。ここでやっと明かされるものも多々あり?(え)「やくそく」編・らせんの陸遜側はこれですねー。

さてさて、ラスト一話。どうぞお付き合い下さいませ。