黒幕たち、特に岡野

 ユーリ「黒幕だそうです」

 バレリア「一口に黒幕いうてもいろいろおるからなあ」

 ユーリ「例えば黒翁(くろおきな)とか?」

 バレリア「伝奇小説の大ボスを黒幕扱いかいな」

 黒翁:故・谷恒生(たに・こうせい)氏の伝奇小説「魍魎伝説」のボスキャラ(?)。作者の反唯物史観思想から産み出されたらしい。ちなみに、絶倫。

 バレリア「それよか『銀と金』の平井銀二とか、『MONSTER』のヨハンなんかの方が黒幕らしいような気がするで。ま、銀さんはギャンブラーでヨハンはサイコが入っとるけど」

 ユーリ「じゃあ、ロベルトはどう位置付けられるべきなのでしょうか?」

 「銀と金」:福本伸行氏の最良作(と筆者は思っている)。全11巻。双葉社。新古書店で見かけることも多いが、香川では一般書店でたまに販売されていることがある(2005年10月現在)。さすがに平積みは見たことないけど。

 「MONSTER」:浦沢直樹の代表作の一つ。全18巻。小学館。手塚治虫文化賞受賞作。旧社会主義圏のグロテスクさをあちこちで示すのが魅力的でもある。香川では2005年から日本テレビ系列で深夜放映が始まった。ロベルトは単行本の登場人物紹介覧では「ヨハンの協力者」とある。

 ユーリ「いわゆる企業小説にも黒幕は登場しますよねえ」

 バレリア「そのはしりとされるのが三島由紀夫の『絹と明察』やな」

 ユーリ「えーっ、三島なんて1970年に割腹自決した危険な小説家じゃないですか」

 バレリア「このカボチャ頭!『ホモッ気がある』が抜けとるやないか!」

 ユーリ「それ、ホメ言葉のつもりですか?」

 バレリア「1人の作家を類型的に批評することのダメダメさをあんたとうちとで証明してみせただけのことや」

 ユーリ「はいはい。それで、『絹と明察』ってど〜ゆ〜話でしたっけ?」

 バレリア「企業乗っ取り。1954年の近江綿糸の人権ストライキを素材にした作品や。今ではほぼ死滅したモデル小説っていうやっちゃな」

 モデル小説:実在する人物・事件を直接の素材にして構成された小説を指す。プライバシー保護意識の向上により、現在では消滅したも同然である。三島は「宴のあと」で敗れ、最近では柳美理氏が最高裁まで争って負けが確定してしまった。

 バレリア「発表は1964年というから、事件の10年後やな。筆者はずいぶん気に入っとんやが、三島作品(わずか45歳で死んだのでそんなに多くない)の中やと売れ行きは余り良おない。ま、絶版にはなっとらんようやが」

 ユーリ「話が見えてきませんよ。大体、岡野って誰なんです?」

 バレリア「分かっとるのにツッコミ入れおって。『聖戦哲学研究所』の元所員にしてドイツ哲学が本来専門やった黒幕や。こんな研究所がほんまにあったかどうかはよお知らんが。あ、ここんとこで言う『聖戦』は『アジア・太平洋戦争』のことやけん、気ィ付けまい」

 ユーリ「あれが『聖戦』ですか……」

 バレリア「はいはい、そこで落ち込まんように。次行くで、次。この岡野という人物は主人公やない。不思議と印象に残るタイプなんやけどな。主人公は駒沢紡績社長こと駒沢善次郎はん。善次郎は『社長は親。工員は子供達』いうよな大家族主義経営の信奉者で、強引にたとえるんやったら『釣りバカ日誌』シリーズのスーさんみたいな感じやろか。ただし、善次郎はとことん俗物やけどな」

 「釣りバカ日誌」シリーズ:原作は「ビッグコミックオリジナル」(小学館)に連載されている同タイトルの漫画。今年(2005年)「16」が公開された。ハマちゃんこと浜崎伝助を西田敏行、スーさんこと鈴木一之助社長を三國連太郎が好演。スーさんがお元気である限り、シリーズは続くことでしょう。「平成の寅さん」という気がしないでもない。なお、「16」にはコメディアンのボビー・オロゴンも出演している。

 バレリア「善次郎はもし工員に外国人がおったら『一郎』、『二郎』、『三郎』てな具合に日本名を付けて呼ぶことで自身の偽善に満ちた情愛の深さを偽善と気付かんと喜んどりそうなおっさんや」

 ユーリ「乗っ取られなくても勝手にコケるような気がしますが?」

 バレリア「現実世界はそうかもしれへんけど、フィクション・ワールドやからな。んでもって乗っ取り段階A。菊乃という芸者上がりの女を駒沢紡績工場に寮母として送り込む」

 ユーリ「スパイですね?それとも、アジテーターかな。いやいや、オルガナイザー?」

 バレリア「二重スパイに近いんや。もっとも、本人には罪悪感なんてまるっきしない」

 ユーリ「乗っ取り段階Bは……」

 バレリア「男性工員の大槻と女性工員の弘子が交際しとるんを善意の第三者を装って善次郎社長が知るように仕向ける。結果、当然のことやけど、社長は2人の仲を割いてまう」

 ユーリ「はあ?どういう訳で当たり前なんですか?」

 バレリア「時代設定は昭和でいうなら30年代やで。社内恋愛である上に駒沢社長は大家族主義者や。うら若き乙女と未来ある青年の純潔を守るのは『父』としての責務やと感じたんや」

 ユーリ「へ?弘子は処女で、大槻は童貞なんですか?」

 バレリア「後者についてはあまり自信が持てへんなあ。性的倫理はこの小説の舞台たる滋賀県のような地方では戦前はおおらかやったけど、戦後はわりと厳格になったらしいのう。筆者はGHQの調査かなんかでそなな結果が出たとかいう記事を読んだ覚えがあるんや。実際、1960年代のビジネス書(?)で花婿の女性経験の有無によって花嫁はどう対応を変えるべきか、なんてテーマのパートがあって正直驚いたわ」

 ユーリ「時代ですねえ。ま、そーゆー話はここらで終わりにしましょう」

 バレリア「そやな。さて、乗っ取り段階C。岡野は差出人不明の手紙を出すなどして大槻にパターン通りの革命思想を吹きこみ、労働組合のリーダー格に育成させる」

 ユーリ「なるほどお。段階Dはどうなっているんです?」

 バレリア「資金と人員の両面でストライキを支援や。もちろん、岡野は自分がそないなことやっとんを大槻にすら気付かれずにしゃあしゃあとやってのける。加えて、支援自体も岡野のフトコロから出たもんやない」

 ユーリ「だから、黒幕ですか」

 バレリア「ストライキ資金は駒沢紡績を敵視する桜紡績社長・村川が負担するんや。ま、これには彼が大家族主義経営とそれを自慢する駒沢善次郎社長がしゃくにさわるという個人的理由もからんどるんやが」

 ユーリ「人員、というか『兵隊』はどこから提供されるんです?スト破り対策に必要じゃないですか」

 バレリア「それは岡野と同じく戦時中に『聖戦哲学研究所』の所員で、戦後は『右翼的』左翼運動のパトロン・秋山の手を借りるんや」

 ユーリ「なある。じゃあ、話の落とし所は?」

 バレリア「岡野が善意の仲介者を装って大槻と善次郎のトップ会談をセッティング。この時点で社長はスト中の過労等で精神的にもまいってもうて病を得、あっさりあの世行きや。こなな風に岡野の乗っ取り工作は大成功!かと思ったら、ラスト数行でドンデン返しが待っとるいう寸法なんよ」

 ユーリ「君はそのラストを何としてでも伏せておきたいんですね?」

 バレリア「そりゃそやで。結末の分かっとる推理小説を読む気が失せるんといっしょやないか」

 ユーリ「筆者は有名推理小説の結末とトリックを紹介しまくった本にうっかり目を通したせいでエラリー・クイーンの『Xの悲劇』を読めなくなりましたからねえ」

 エラリー・クイーンの「]の悲劇」:ドルリー・レーンを主役としたシリーズの一作。東野圭吾がとある小説でトリックのみ借用したようである。ただし、東野氏の作品では動機が最大の謎になっているので、興が削がれる危険性は低い。

 バレリア「まあの。それはともかく、『絹と明察』の主題は文学的には日本の伝統様式に対する西洋思想の挑戦と敗北とみるべきなんやけど、ここでは深入りせん。TRPGとは縁もゆかりもない世界に突入するけんの」

 ユーリ「確かにそうです。それにしても、岡野という黒幕はユニークというよりは何というか……」

 バレリア「徹底して表に出んのよな。こいつ、普段はどういう生活を送っとんやろか、てのもつい思ってしまう」

 ユーリ「外見描写も無きに等しいですよ。駒沢善次郎とは違って。普段何をしているのかもよく分かりません」

 バレリア「暗い部屋で電気スタンドだけ点けて黙々と手紙書いとるんやろなあ。携帯なんてない時代やし」

 ユーリ「なんだか、『私家版』の犯人兼主人公みたいなところがありますね」

 「私家版」:1996年のフランス映画。脚本・監督はベルナール・ラップ。主演はテレンス・スタンプ。犯人の視点から犯罪が描かれる、いわゆる倒叙ミステリ映画の佳作。本を1冊「作る」ことで人を殺すというお話。筆者はなぜだか犯人の方に同情してしまう。結末については伏せておきます。

 バレリア「常に善意の第三者のごとくふるまうあたりやな。岡野は結局、善次郎からも企みを隠し通して、恨まれもせん訳やし」

 ユーリ「おや?そう言えば大槻と弘子はどうなりましたっけ?」

 バレリア「まだ弘子のこと覚えとったんか。んーとな、ストが終わってから結婚したで。もう岡野とは無関係なことやけど」

 ユーリ「そうですか。それにしても、TRPGで黒幕演じるのは難しいですねえ。『トーキョーN◎XA』シリーズでは文字通り『クロマク』ができますけど、黒幕らしいクロマクのロールプレイは技術が要求されますよ」

 バレリア「それに、ルーラーがクロマクに適したシナリオ用意市とらんとどうしようもないし。ちゅうても、『本人は極力表に出ない』、『コネや金を用いて表の人間を動かす』、『意図的な没個性』の3つを押さえとったらどなにかなるんちゃうか?」

 ユーリ「楽天的ですねえ、君は」

 バレリア「どんよりしながらTRPGについて語るよりマシやと思うで」

 ユーリ「はいはい。では今回はこの辺で、というとこですかね」

(GJ15号付録ゲーム「本能寺への道」は平易なマルチゲームなので続く)
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