TRPGにおけるPCの成長

 ユーリ「こりゃまた面倒なものを……」

 バレリア「そう言って逃げる気やな、あんたは。うちとしてはTRPGにおける『成長』というのは2種類あると思うのう」

 ユーリ「もっとたくさんあると思うんですが?」

 バレリア「定義にもよるけどの。うち自身は『技能の成長』と『人格の成長』の2種類に分けてええという考えや。前者はようけあるけどのう。その例として『ソードワールド』(以下、「SW」)を取り上げてみるわ」

 ユーリ「『SW』には人格的成長ルールが多少組み込まれているじゃないですか。プリースト技能レベルが上がるのは即ち『信仰心を深める』ことなのですから」

 バレリア「ほやけど、それによってプリーストの人格がどのように変化・成長するかルールとして盛り込まれとるか?」

 ユーリ「うーむ、確かに。そういうのはGMとプレイヤーに委ねられてますねえ」

 バレリア「両者の努力でPCの人格が成長するというのは『RPGamer』(国際通信社)創刊号のリプレイ『七つの祭壇ふたたび』にも見られるのやが、これはGMとプレイヤー間の上手い呼吸合わせと実人生で彼らが『大人』になったことで成立したと言えるやろ。リプレイ・ライターの有能さも忘れたらあかんが」

   「七つの祭壇ふたたび」:「ふたたび」と言うからには前編がある訳だが、それは今から20年近く前に雑誌「シミュレーター」(翔企画。現在は休刊)に掲載されている。

 ユーリ「そうですよねえ、ゲーマーの努力と技術でPCの人格を成長させるのって難しいですから」

 バレリア「ここで話を終わらせるのは無責任やな。そうなると当然『人格成長システム搭載タイプ』のTRPGに触れんとあかん訳や」

 ユーリ「具体的には?」

 バレリア「たまにはあんたの頭脳で考えろ。それとも、栄養が筋肉と下半身にしか回っとらへんのか」

 ユーリ「うーん、改めてほめられると照れますね」

 バレリア「いつ誰がそななこと言うたんや?ちゃっちゃっといくで。評価は分かれるがF.E.A.Rの作品群がそういうアプローチを実施しとる傾向が強い。例えば、『N◎VA』等に見られる『プレイヤーへの経験点』方式」

 ユーリ「ははあ。あれには筆者が初め混乱していたとか」

 バレリア「やかましわ、と筆者の代わりに言っておこうかの。あれはプレイヤーがいかに自身のPC−正式名称は「キャスト」やけど−の役回りを理解・実行していくかでもらえる経験点に自ずから差が出て来るようになってる気がするんや」

 ユーリ「『なってる気がする』って何ですか、『なってる気がする』って!」

 バレリア「ボケ役からツッコミに転職しようと思ってからに。実は筆者の力では描写が上手くできへん。頭の中でぼんやりしたイメージがあるだけでそれを文章化しようとしたら、かなり前に『マクベス論』をやった時みたいにまとまりに欠けるもんがある。ま、それはともかく『天羅万象・零』も『業』とか『因縁』という形でPCの成長、いや『変容』と呼ぶべきか、表現を図っとるのう」

 ユーリ「何で『変容』なのですか?」

 バレリア「だから、血液を脳に流せとさっきも言ったやろが!『天羅』の場合、修羅になってNPC化する可能性があるやろ」

 ユーリ「ふむふむ、分からないでもないですね」

 バレリア「うちのことをコケにしとらんか?まあ、ええわい。とりあえずマンチキンなプレイをやってもそれがPCの人格的成長の足を引っ張らへんシステムを構築するのが重要かのう」

 マンチキン:日本では一般に「裏技を追求してせこい手で勝利するプレイヤー」として誤解される傾向にあるが、本来は「幼稚なゲーマー」という程度の意味らしい。例えて言うなら「一番好きなジェームズ・ボンド俳優は誰ですか?」という問いに対して臆面もなく「ロジャー・ムーア」と答えるゲーマーだとのこと。

 ユーリ「『GURPS』の場合、どうなるんですか?『不利な特徴』を獲得したCPで消せるじゃあないですか」

 バレリア「微妙なとこやな。筆者は『GURPS』における『不利な特徴』はPCの個性であって必ずしもマイナスではないと思とる。個性のないPCなんてゲーム的におもろいか?」

 ユーリ「確かにそうっすね。PCやが没個性なTRPGなんて味気ないですよ。むろん単なる『キャラクター・ゲーム』に転落するのも感心できませんが」

 バレリア「国際通信社が出すつもりでいる『皇国の守護者RPG』の場合は精神的にボロボロになることでダメージ−その多くは「戦死」らしい−をキャンセルできるという形でキャラの人格変容に誘導するシステムを組み込むそうだ」

 ユーリ「何だかさっきからやけに国際通信社ほめてますねえ」

 バレリア「やかましい。うちは『攻撃』が好かんだけのことや。後は同人ゲーム『サタスペ』も魅力的やな」

 ユーリ「結構あぶないネタがありましたが……」

(シュトロハイム監督の「グリード」は1924年制作とは思えぬので続く)
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