RPGめおと漫才(旧版)
不運な(?)映画「王妃マルゴ」バルビア「これは確か、フランスのパトリス・シェロー監督作品でしたね」ヴァシューヌ「そうだな。アレクサンドル・デュマの長編小説の見事な映画化だ。以前にもジャンヌ・モロー主演で映画になった。そっちの方は見てないがな」
バルビア「でも、なぜあなたは『不運な映画』と呼ぶのですか?」
ヴァシューヌ「そりゃ、一つにはルイス・ブニュエル監督の『アンダルシアの犬』と同様、レンタルビデオ屋でまずお目にかかれない、という点だ」
ルイス・ブニュエル監督の「アンダルシアの犬」:1929年公開の超傑作シュールレアリズム映画。雑誌「ユリイカ」の2000年9月号でも紹介されていた。
ヴァシューヌ「もう一つの不運な点は監督は初め『三銃士』の映画化を望んでいたのだが、フランスの同業者が『オレの方が先だ』と言って日本ではマイナーな『王妃マルゴ』に変更せざるをえなかったこと。しかし、これは逆に作品をより素晴らしいものにした」
バルビア「あなたの言っていることは矛盾してますよ」
ヴァシューヌ「いやいや、そんなことはないよ。シェロー自身が『ここに私が求めていたものがすべてある』と言ったぐらいだからねぇ」
バルビア「TRPGとは何の関係もない話になってますけど……」
ヴァシューヌ「うん、少々脱線してしまった。この映画には変則的な殺戮者が登場するんだがね。カトリーヌ・ド・メディシス(ヴィルナ・リージが演じた)だけどな。この女、自分の気に入っている次男を次のフランス王位につかせようとする。それだけでなくて、学校の世界史でも学ぶセント・バルテルミーのプロテスタント虐殺事件の首謀者でもあるけれども、それと同時に美しい娘マルゴ(イザベル・アジャーニが演じた)に容姿上のコンプレックスを抱き、自分の息子たちが『政治的にも精神的にも幸福な人生を送れない』と予言されると嘆き悲しむ。正直、涙を流すカトリーヌ・ド・メディシスには驚いた」
バルビア「サイテー女じゃないですか」
ヴァシューヌ「ある意味ね。でも、シェローはカトリーヌをステレオタイプな殺戮者にはしたくなかった。屈折して二面性を持った女性として描いたんだよな」
バルビア「そのような捉え方もあるのですね。では、主役のマルゴは?」
ヴァシューヌ「ああ、マルグリッド・ド・ヴァロワね。彼女は経験点を稼いで『成長』したんだよな」
バルビア「と言うと?」
ヴァシューヌ「マルゴは『男がいなければ夜は過ごせない』と言い切ったり、実の兄弟とも快楽のために寝たりする女だ。少なくとも、映画の前半部ではね」
バルビア「母親に劣らずサイテー」
ヴァシューヌ「そ。そのせいで『王妃マルゴ』のビデオがアダルト・ビデオのコーナーに置かれていたぐらいだ。筆者は『ラブロマンス』のコーナーにあると思ってレンタルビデオ屋をうろついて、店員にどこにあるのかと聞いたらそんなとこに……。それはともかく、マルゴは刹那的な愛−果たしてそれが愛と呼べるかどうか疑わしいけど−から相手の精神を深く理解して単なる快楽ではない愛を獲得する。これが『成長』だ」
バルビア「つまり、2人のヒロインがいるということなの?」
ヴァシューヌ「そうだね。でも、この映画はラブロマンスという領域から逸脱しているなあ。『宮廷内のドロドロの陰謀劇』がバックグラウンドにあるからね。この辺はキャンペーンの参考になるね。問題はフランスの宗教戦争について知っておく必要があるってことだろう。だから、『三銃士』を映画化してほしかったんだ。リシュリューは日本でもよく知られているけれど、アンリ・ド・ナヴァールはマイナーな人物だ。歴史上、非常に重要な人なんだけど……」
バルビア「そういえば、キネマ旬報でも1995年度海外映画ランキングで150かそこらの中で20位前半でした」
ヴァシューヌ「それから、シェロー監督がテキストの読み替えという点に関してまさに鬼才と呼ぶにふさわしい力量を発揮していたな。この人、1976年にバイロイト音楽祭で『ニーベルンクの指環』のトンデモナイ演出をやってそれまでの『指環』観を引っ繰り返したんだ」
ニーベルンクの指環:リヒャルト・ワーグナーの創作した傑作楽劇。新書館から漫画と翻訳が出ている。レーザーディスクが香川県立図書館にある。
ヴァシューヌ「結局、物語をおもしろくするのは『対立』なんだ。いろんな型のものがあるがね。シェローは『王妃マルゴ』に親子、宗派、権力、恋人といった要素をわずか2時間40分の中にぶちこんだ。この点は大いに見習うべきだ。デカイ話を創るつもりでいるのなら。『天羅万象・零』のシナリオに応用できないものかね」
バルビア「でも、『王妃マルゴ』のビデオはどこに?」
ヴァシューヌ「うーん、難しい質問だ」
(「銀の三角」はSFに関心あるなら読むべきだけど、この番外編は……)