PCの死に対してどう応ずるべきか?

 ユーリ「ゲームによって違うと思いますけど……」

 バレリア「回答になっとらんやんか、正解ではあるけどの」

 ユーリ「じゃあどういう風にしたらいいんですか?」

 バレリア「N〇Kラジオ放送で小学生が識者に宿題の相談を持ちかけるようなことしくさってからに。ま、それはそれとして本題に移るかの。今のTRPGは『ストーリー推進システム』が組みこまれてるんが多い。『トーキョーN◎VA』しかり、『天羅・零』しかり。ほやけど、『D&D』が『滅亡したゲーム』かというとそうではないわな」

 ユーリ「そういえばそーですよね。ちなみに筆者の好みのゲームは?」

 バレリア「プレイヤーとしてなら『天羅・零』、GM(じゃないんやが)なら『トーキョーN◎VA』が好みらしい」

 ユーリ「そういえば、筆者は仲代達也主演の『切腹』的キャラクターがお気に入りだとか……」

 「切腹」:1962年のいわゆる「残酷時代劇」。浪人が彦根藩(滋賀県)の江戸屋敷を訪れ、長話して切腹する映画である。若き日の岩下志麻が登場する。

 バレリア「うーん、『生命の耐えられない軽さ』が巧みに描写されてるもんなぁ。そこなんよのー、『トーキョーN◎VA』でも『D&D』でもセッション時に重要なんは。むろん、特攻しろなんていう意味やないで。特攻は単なる命の使い捨て。TRPGのPCに必要なのは『決死』やな」

 ユーリ「あのー、それでしたら、結局『玉砕』なんじゃないですか?」

 バレリア「違うがな。とにかく大事な要因の一つはTRPGでは現代日本よりもはるかに高い確率で人が死んでいく。だから、命は『どこまでも軽い』。ボードSLGもやっとる人間の感覚からするとな。なにせボードSLGには『何人死んでも駒(ユニット)1つ』という名言(迷言?)があるぐらいやからの」

 ユーリ「それだと、結局『D&D』を否定しているような……」

 バレリア「ちゃうがな。『突き放して見る』か、『主観的に見る』かという差やで。TRPGのPCは司令官の命令に従う兵隊やのうて、個々の独立した人格や。そこを忘れたらいかん」

 ユーリ「よく分からないんですけど……」

 バレリア「困ったやっちゃ。TRPGに登場するPCの死は『もう一つの現実』で起こることやけん、粛然とした態度に出る必要がある。むろん、『あたしの11レベルのマジックユーザーが死んだのよ〜!』とかわめきちらすのはただ迷惑なだけやし過剰な感情移入以外のなにものでもない」

 ユーリ「よーするに、『なりきり型ロールプレイ』でPCの死を受け止めるのは難があるということですか」

 バレリア「そういうことになるわ、確かに。あんたもたまにはええこと言うのお。で、こっから『トーキョーN◎VA』と『D&D』で具体例あげていくか」

 ユーリ「何でですか?」

 バレリア「それなりにプレイ経験があるけんや、筆者が」

 ユーリ「じゃあ、まず『N◎VA』を」

 バレリア「『N◎VA』は『プレイヤーが自己演出できるTRPG』のジャンルに含まれると言ってええやろ。ルールブックにもはっきり書いてある。『判定にわざと失敗してカードを回そう』とな」

 ユーリ「それは技術上のことで演出うんぬんとはあまり関係ないですよ」

 バレリア「むう、あんたはいつものあんたやないのう。では、こう表現するか。『PCの死亡が与えるプレイヤーの心理的ダメージが小さい』とな」

 ユーリ「はあ?」

 バレリア「経験点がプレイヤーやGMに与えられるやろが。やけん、『セッションを生き延びる』ことの重要性が低下しているんや」

 ユーリ「なるほど」

 バレリア「ほんまに分かっとるんか?あ、ちなみに『N◎VA』における『死』の独自な意義付けは『サイバーパンクRPG』であることも影響しとることは忘れんように」

 ユーリ「『D&D』は?」

 バレリア「あえて説明する必要はないような気がするが……。まあ、『D&D』はブラッディーなシステムやけんな。これ読んどる人には分かり切ってると確信するがな。『D&D』は『生き残りゲーム=競技性重視』やけに」

 ユーリ「キョウギセイ?」

 バレリア「『D&D』のシステムには『かっこよく散る』という概念が盛りこまれとらんやろが!」

 ユーリ「なあるほど」

 バレリア「自主性のない下らないやっちゃ、あんたは」

(韓国映画「ペパーミントキャンディー」は余りにも暗かったので続く)

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