「虐殺セッション」について

 ユーリ「これは答えがはっきりしてますよ。『虐殺セッション』なんて駄目に決まってるじゃないですか」

 バレリア「あんなあ、『答えが簡単に見つかる問題』なんてそうそうないんや!『哲学者の数だけ哲学がある』という言葉もあるぐらいやけんの」

 ユーリ「ニーチェですか?」

 バレリア「うちは哲学はよお知らんのや。ま、たぶんデューイとはちゃうな」

 デューイ:1859年生まれ。1952年没。アメリカの哲学者・教育学者。「道具主義」の立場から独自の教育論を展開。

 バレリア「これはとある『アレクサンダートライアンフ』(とっくの昔につぶれたアドテクノスから出版)と『戦略銀英伝』(ゲーム・ジャーナルの付録ゲーム)をデザインなさった方の体験談なんやが……」

 ユーリ「ボードSLGしない人には何のことか分からないか、『けっ、またウンチクたれよる』って思われますよ」

 バレリア「ふん、責任はうちにはないわ。悪いんは筆者や。まーのー、その方が『ハイパーT&T』の卓にドワーフの戦士として参加しとったそうや。話は単なるゴブリン退治やったんやが、とんでもないことが起こったんや」

 ユーリ「何です?」

 バレリア「PCらがゴブリンを皆殺しにしたんや」

 ユーリ「そりゃ、抵抗されたらそうしますよ」

 バレリア「……あんなあ、ドワーフのプレイヤーさんはまず交渉しようとしたんや」

 ユーリ「でも、それじゃゴブリン退治にならない……」

 バレリア「ゴブリンを皆殺しにすることが即『ゴブリン退治』なんか?セッション後にドワーフ・プレイヤーさんがGMに尋ねると、『ちょっとばかり痛めつけて「そなたら、これ以上の狼藉を企てることなくば許してつかわす」と言って退去させるシナリオだったんですがね〜』と嘆いたそうや」

 ユーリ「何かいきなり時代劇になってますよ。それに、『スレイヤーズ』にあるように『悪党に人権はない』というのが大原則じゃぁ……」

 スレイヤーズ:神坂一の代表作。余りにも有名なので説明の必要はあるまい。アニメ版はテレビ東京系列でやっていたが、静岡県では電波が入らないそうだ。

 バレリア「このたわけ!あの原則はコンシューマー・ゲーム機なんかでのRPGにおける『山賊/ゴブリン/人間のクズ=ザコのモンスター』というお約束を皮肉ったもんやとみなすべきや!」

 ユーリ「そんなもんですかあ〜?」

 バレリア「そうなんや!少なくとも筆者はそう考えとる。結局のお、ゴブリンもちゃんと独自の文化を持っとるんや。時にはそれは付近の住民の利害と衝突することがある。そうなってからPCの出番が回ってくるわけや」

 ユーリ「そうなったら皆殺しにしてもいいんですね?ワクワク」

 バレリア「ちゃんと話聞かんかい、スポンジ頭!ゴブリンが悪魔的な殺人集団だとか、世界設定の都合上──そんな世界設定嫌いやけど──どないしても許せないなら仕方ないやろな。けど、一般的にはゴブリンはそこそこまともに物事を考えられる連中や。さっきのGMがゆうとった通り、ある程度張り倒されると命乞いするかトンズラこくのがTRPGでの『お約束』っちゅうもんや」

 ユーリ「大昔のRPGマガジンにも関係ありそうな記事がありましたね」

 大昔のRPGマガジン:1995年12月号のこと。「悩めるゲームマスターのための悪役ロールプレイ講座」というなかなかいい記事があった。香川県のボードウォーク高松支店にはバックナンバーがあった(2000年7月2日確認)。

 バレリア「まあのー、そーゆー訳で『虐殺セッション』はおすすめできんな」

 ユーリ「じゃあ、結局僕の意見が正しかった訳じゃないですか」

 バレリア「あんたは脊椎反射で答えたやろが!例え真理らしきものが転がっていても、すぐそれに飛びついたらあかんのや!」

 ユーリ「はあ、そんなもんですか」

 バレリア「そや。つまり、異なる文化を持った生きものを『悪の権化』のごとくみなすんやのおて、理解しようと努力し、かつ歩み寄ることこそ大事なんや。もっとも、相手がアンデッドだとか混沌の怪物やったら話はかなり変わってくるけどのお」

 ユーリ「『RQ』の場合は虐殺やむなしと」

 バレリア「そないに単純やないんやけどのー」

(「太陽は、僕の瞳」は良かったので続く)

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