マスターの楽しみ方〜マスタリング編〜

ユーリ「前回の続きですかあ」

バレリア「その通り。前回は『シナリオ作り編』やったからのう」

ユーリ「でも、マスタリングって難しいでしょ?ましてや、その方法を教えるなんて」

バレリア「うちは『方法を教える』つもりはないんや」

ユーリ「は?」

バレリア「うちは自分の考えが他人と比較してより優れているとは思っていない。そもそも、TRPGに『絶対的に正しい』楽しみ方などないけんの。個々のシステムをとってみても、デザイナーの意図は全く異なるもんや。そやから、うちとしては『このような考え方』もありうる、と述べているだけなんや。TRPGに『道』を求める人もいるが、その人はTRPGがしょせん遊びでしかないことを忘れているのかもしれん」

ユーリ「なるほど。じゃあ本題に戻りましょう」

バレリア「マスタリングで最も重要かつ楽しいのは前にも言ったかもしれんけど、時間をきっちり管理することやな。特にコンベンションでは絶対的な重みとなる。内輪でセッションを行う際にも、大事やの」

ユーリ「えー、内輪のプレイなら時間はたっぷりあるじゃないですか」

バレリア「そら違うの。余り長くセッションに取り組んでいると、集中力が切れてしまうんや。人にもよるが、プレイに集中できるのは5〜6時間が限度。そのセッションを『おもしろくない』と感じているプレイヤーならもっと短くなるの」

ユーリ「でも、カット前の『グリード』なんかだと……」

「グリード」:1924年のアメリカ映画。カット前には9時間半近い超大作であった。監督はエリッヒ・フォン・シュトロハイム(「JOJO」のシュトロハイムとはおそらく関係ない)。なお、シュトロハイムは超大作ばかり作り、興業について何も考えていなかったので、20年代に監督としての「生涯」を終えた。(俳優としては生きのびたのだが)

バレリア「アホかい、このヤドロク!」

ユーリ「ちなみに嫁さんのことは『山の神』というそうです」

バレリア「話をそらすな。第一『グリード』は現在ではビデオでも廃盤になっとるやないか。ま、よた話はこのぐらいにしとかんとな。時間の管理を行うことは、マスターにとっては負担ではあるが、うまくいった時は非常にうれしいもんや。それから、セッション終了後にプレイヤーと反省会を開く時間的余裕をも生み出す。そして、この反省会がこれまたおもしろいんや」

ユーリ「マスターを吊し上げするのが、ですか?」

バレリア「んなことしてみい、人間関係がメチャクチャになるやんけ」

ユーリ「冗談ですよお」

バレリア「うちがすぐ熱くなる性格であることを見透かした発言やな。それから、PCをうまく『誘導』するのもマスタリングの醍醐味やの。プレイヤーが脱線したり、暴走したりするのをうまくさばいていく喜びでもあるのう。それから、……」

ユーリ「あのー、バレリア」

バレリア(無視して)「マスターの意図、テーマというものがプレイヤーに理解される瞬間、これもまたうれしいんや」

ユーリ「おい、バレリア(怒)。僕の話も聞いてくれよ。『マスターの楽しみ』っていったってムチャクチャ難しいじゃないですか。初級者のマスターの場合、どーするんです。それに『暴走』と『脱線』はよく似たもんだと思うんですけど。それに、『暴走』という語を使うなら『暴走機関車』のことも気にかけないと……」

「暴走機関車」:今は亡き黒澤明監督が日米合作で作るはずだった「幻の映画」。1985年に黒澤の脚本(黒澤明は優れたシナリオ・ライターでもあった)をもとにして、映画化された。

バレリア「あんたはそないに話そらすんが好きか。ま、初級者マスターが比較的『楽』にマスタリングをこなすには、擬似的密閉空間を作ってその中にPCを放りこむことやの」

ユーリ「『擬似的密閉空間』だなんて言わなくても、はっきり『ダンジョン』って言った方が……」

バレリア「あんなあ、密閉空間はダンジョンだけやないで。無人島に漂着するってのも『無人島ダンジョン』を作るようなもんやけんの。それから、シティー・アドベンチャーも実際にはダンジョンとの共通点がたくさんあるんや」

ユーリ「はあ?」

バレリア「ええか、シティー・アドベンチャーにおいてはダンジョンの『部屋』に相当するものが寺院であったり、魔術師ギルドであったり、宿屋であったりするんや。いわば特定の場所を街路という名の『線』で結び、PCの行動範囲を狭めるということや。ダンジョン・シナリオやとありがちやろ」

(黒澤明監督の冥福を祈るので続く)

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