ヨハネスタウンに向かういなか芝居一座の馬車の中に1人、役者らしからぬ男がいた。年の頃は30代後半であろうか。誰あろう、この人物こそ真理の神の信徒にして、後に名探偵として知られることになるティーレル氏であった。
彼は、乙女役の少年(注・この世界のいなか芝居では声変わり前の少年を女性役にするのが常であった)に話しかけた。
「ねえ、君。僕はアッフルまで便乗するつもりなんだが、少々退屈してるんだ。ヒマつぶしに何か話しを聞かせてもらえないか」
少年はあきれた様子を見せた。
「おじさん、アッフルに行くって言ってるのに何も知らないわけ?ここらじゃ最近起こった殺人事件の話題でもちきりだよ」
ティーレルは手をこすりあわせて笑みを浮かべた。
(いいぞ、いいぞ。勝手にいろいろと手がかりになりそうなことまでしゃべってくれそうだ)
「まあ、最初から話すとね、元高利貸しの探索行から始めなきゃならない」
「ふむ、その人は本業からは足を洗っていたわけだね?」
「そりゃそうだよ。60を過ぎて家業の音頭を取るのは楽じゃないだろ?引退して息子に仕事を任せて個人的に遺跡の探索をやってたんだ。墳墓調査が中心だったらしいけどね。一部には『墓ドロボウ』の声もあったけどね。何しろこのじいさん、シャルルってんだけど、高利貸しをやっていた頃から相当えげつなかったらしいから。泣かされた人も多いって聞いてるよ。で、殺される直前に調査の護衛としてミックウェル、アムネリス、ベリヒ、イザベラという連中を雇ったんだ。で、遺跡で小休止を取っていた際にベリヒが別室で首を吊ったんだ」
ティーレルはすっぱいワインを飲みながら、慎重に耳を傾けた。
「そして、その晩には遺跡内の一室で眠っていたシャルルが殺された。とすると、犯人は残った3人の内1人かもしくは複数だよね。ところが、イザベラは容疑者のリストから外さざるを得ない。彼女は治癒の女神の司祭だから。人を殺したりするとたちまち天罰が下るに決まってる。念のため地方巡察官のグレグソンがイザベラに神の力を借りた呪文行使を試させると、造作もなく成功したんだって。これで司祭のイザベラは手を汚してないことがはっきりしたんだよ」
「おもしろそうな話ですね」
金髪でハーブを持った、どうやら吟遊詩人らしい男が探偵と少年との会話に割り込んだ。
「君も何か知っていることがあるのかい?」
「さあ、事件そのものよりも関係者の心の有様の方に興味を抱いているんですよ。事件自体は解決したも同然、と聞いてますがね。そこの姫君がおっしゃったように」
「姫君」と言われて少年はいささかムッとしたらしい。詩人を無視してティーレルとの会話を続けた。
「結局、残るのはミックウェルとアムネリスだよね。ことに怪しいのはミックウェル」
「なぜかね?」
「姫君」は少々得意気に話を続けた。
「ミックウェルは嵐の神の信徒なんだよ。いわゆる『野蛮な連中』なんだ」
詩人がまたも口をはさむ。
「いけませんよ、そんな推察は。偏見に満ちてますよ」
「うるさいよ、あんた」
「で、話の続きは?」
探偵が促す。
「とどのつまり、このミックウェルという男が主犯とみなされたんだよ。何しろ、『野蛮な連中』だからね。本人はむろん強く否定しているけど。確か、そいつの妹がどこぞの探偵に兄の無実を立証するように依頼したんだって」
(それは僕だよ)。
ティーレル氏は心中でつぶやいた。
「それから、アムネリスとかいう女性も疑いがかかっている。ただ、この人物は幸運の神の信徒なもんで取り調べはすぐ終わるか、あるいは終わっているかもしんない」
「どうしてだい?」
少年は少し笑って、話を続けた。
「あのねえ、おじさん。幸運の神ってのは信徒に『人に災いをなすことなかれ』って説いているんだよ。それに、幸運の神様は商売をも司っているからね。そういう神の信徒が人を殺すなんて思う?」
「なるほど。一理ある。で、他には?」
「事件が起こった場所だよね、変わっているのが。ミックウェルとかいう男は何でまた遺跡なんかでじいさんを殺したんだろう。それから、ね。彼は巡察官のグレグソンに捕らえられた際、『仕方のないことです』って言ったそうだよ。取り調べの時には『俺は殺人などしていない』と前言を翻したそうだけど」
ティーレルは苦笑した。
「君はまるで探偵みたいだね」
「よく言われるよ。『無い知恵しぼる前に仕事を片付けろ』って」
ここで例の詩人が再び顔を出した。
「どうかしました?」
「いや、少し気になることがありましてね。どうしてまたベリヒという男は首を吊ったんでしょうか?それに、なぜ首を吊った晩にタイミング良く殺人事件が起こったのでしょうか?」
少年があざけるような笑みを浮かべて言った。
「ねえ、詩人さん。あんたの方がよほど探偵みたいだよ」
ティーレルがアッフルに着いたのはその翌日のことであった。そして、小柄な男が不快そうに彼を迎えた。白の皇帝に仕える、仕事には熱心だが狭量なところのあるグレグソン巡察官である。「またあんたですかい」
「まあね。それより、グレグソン君。身柄を拘束されているミックウェルさんとアムネリス嬢に面会したいのだが」
グレグソンはすかめっつらをしながら、それを許可した。もっとも、捨てゼリフを残すことを忘れていなかった。
「言っときますがね、ティーレルさん。ミックウェルは間違いなくクロですよ。骨折り損にならぬよう気をつけるんですな」
探偵は格子ごしにミックウェルに会った。
「あなたがティーレルさんですね。私は頭はよくありませんが、人を殺めるような愚か者じゃありません。妹のジョセフィンも無実を信じています」
「お気持ちはよく分かります。しかし、粘土がなければレンガは作れません。あなたが知っている限りのことを話してもらいたいのです、ミックウェルさん。それが可能なら、僕は最善の努力をします」
澄んだ茶の瞳をのぞきこむように見ているティーレル氏に対して、青年は口を開いて話し始めた。
「私はアムネリスさんとは旧知の間柄です。もっとも、恋人とかそういうのじゃありません。殺されたシャルルさんには正直言って余り好感を持てませんでした。亡くなった方の悪口を言うのは良いことではないと思っているのですが……私はほとんど金を使わない信徒の間で育ちましたから、シャッキンだのコーリガシだのいったこと自体よく分かりません。ですから、報酬が『安い』とは全く思いませんでした。アムネリスさんは知っての通り商売と幸運の神の信徒ですから、護衛の報酬に関しては激しく言い争っていました。 それから、ベリヒさんとイザベラさんですが、この2人は知り合いのようでした。ベリヒさんは40過ぎの狐のような目をした男性でした。しきりに赤い水のようなものを飲んでいました。赤ワインか何かだったのかもしれません。この人にも不快感を抱きました。何しろ無信仰者でしたから!神様を馬鹿にするような言葉を何度も口にしていました。けれども、シャルルさんほどの不快感は持ちませんでした。ベリヒさんには、そのう、無信仰者になってしまった深い理由があるようでした」
「ところで……」
ティーレルは右手で面会許可証をクルクル回しながら問うた。
「なぜあなたは逮捕された時に『仕方のないことです』なんて言ったんですか?」
「私はまさか『墓荒し』のための護衛を任されるとは思ってもいなかったのです。全く失礼なことじゃありませんか。亡くなった方の魂と守護する神をコケにする行為ですよ。ですから、私はそう言ったのです。信じて下さい、ティーレルさん」
「それでは、遺跡、いや墓に着いてからの行動について覚えている限り詳しく話して下さい」
黒髪の青年はしばし黙りこんでから、ポツリポツリと話し始めた。
「墓に到着したのは<古き太陽>(注・この世界では二つの太陽が存在している)が少しばかり西に傾き始めた頃でした。その墓を見た瞬間、私は不安にかられました。おそらく数世紀以上の間、誰も修理したり、清めの儀式をしたりしていないように感じられました。いわゆる<ゾンビ>がうろついていてもおかしくないのではないか、と口にはしませんでしたが……。ただ、私たちが墓の一部屋一部屋調べてもそれらしい化物の歩き回った跡はありませんでした。そして、一室が書庫になっていました。それを見るとシャルルさんは歓喜して1人でこもって調べものを始めました。何を調べていたかですって?私は字が読めないので分かりません。そして、ベリヒさんが『少しぶらついてくる』と言って私とアムネリスさん、それにイザベラさんを残して墓の奥へ向かっていきました。その間、イザベラさんは簡単な料理を作っていました」
「あなたはベリヒさんの行動が危険だとは思わなかったのですか?」
青年は少しとまどったようだった。
「そういえば、確かにそうです。でも、墓の大部分は調べて安全を確認していましたから」
「ふむ」
「そして、しばらくしてからシャルルさんが食事を取りに戻ってきました。それから……」
探偵はミックウェルの言葉を制した。
「ちょっと待って下さい。夕食時にはベリヒさんはそこにはいなかったのですね?」
「そうです。そしてまずイザベラさんが『なかなか戻って来ませんね。ベリヒさんはどこにいるのでしょうか』と不安気に口にしました。それを聞いたシャルルさんが『金を払っておるというのに、何たる怠慢だ。報酬を減らさんといかんな』とグチグチ言い始めました。その後、結局全員で墓の中を一部屋一部屋調べることになりました」
「『全員』と言われましたが、その中にはイザベラ司祭も含まれるのですね?」
「そうです。そして、かつては倉庫のような、いや死者への贈り物の安置所らしき場所でベリヒさんが首を吊っていたのです。使った縄はベリヒさんが持ちこんでいたものでした」
ティーレルは首をかしげ、すこし黙想した。
「とすると、ベリヒさんは初めから自殺するつもりで遺跡、いや墓に入ったということになりますね」
「それはそうですが……」
「何か不審な足跡はありませんでしたか?」
「いえ、そこまで気が回らなかったんですよ。ことに私が周囲をグルグル歩いて足跡をメチャクチャにしてしまったのです。今から思えばあまりに愚かな行為でした」
(これでは容疑者扱いされるのも無理はない)
探偵は呼吸を整えて質問した。
「あなた方はまず首を吊ったベリヒさんを見てどうしましたか?」
青年は情けなさそうに答えた。
「よく覚えていないんです。自殺なんて見るのは初めてで、すっかり動転していたんです。気づいた時にはベリヒさんの死体は床に横たえられていました」
ティーレル氏は次にこう問うた。
「その時、その部屋には関係者全員はいましたか?」
大柄な身体を小さくして、ミックウェルは首を横に振った。
「よく覚えていないんです、さっきも言ったように。たぶんアムネリスさんの方がよく知っていると思います」
探偵はしばらく目を閉じてこれまでに得た情報を整理していた。
(ベリヒの死か。やっぱりおかしいな。赤い水というのも気になる……)
「僕はまだシャルルさん殺しの犯人を見つけてはいません。しかし、あなたへの容疑は次の巡回裁判で晴らされます。こればかりは確信を持って言えますよ」
ミックウェルは去りゆく彼の姿をまるで聖人であるかのごとく見つめていた。
ティーレル氏はアムネリス嬢の「部屋」に入った。容疑者として扱われているミックウェルの独房よりはずっといごこちがいいように思われた。「さっきミックウェルに面会してきました。それで……」
探偵はここでしばし適切な言葉を探した。
「アムネリスさん、あなたは彼が無実だと考えていますか?」
「当然ですわ。あの人は勇敢ではあっても残忍な気質ではありません」
彼女はきっぱり言い切った。
「なるほど。それで、あなたは首を吊って死んだベリヒさんを見た時、どうしました?また、殺された元高利貸しのシャルルさん、ミックウェルさん、それにイザベラさんは何をしましたか?」
青い瞳からも確信の情が伝わるほど、彼女の口調はしっかりしていた。
「誰も何もしませんでした」
「何ですって!?」
ティーレルはしばし絶句した。
「わたし達は数分間、いや、もっと短い時間かもしれませんが、その場に人形のように立ちすくんでいました」
「最初に動いたのは誰です?」
「治癒の司祭のイザベラさんです。何やらよく分からない奇妙な言葉、たぶん呪文というものでしょう、を唱えてゆっくりと首を吊ったベリヒさんに近づきました」
「その時、あなた方の雇い主であるシャルルさんはどうしていましたか?」
ティーレル氏は推理を巡らせながら問うた。
「たぶん、自殺者なんて見るのは初めてだったのでしょう。真っ青になってブルブル震えていました」
「その後、あなた方はどうしました?」
「まずイザベラさんが『ベリヒさんをゾンビにするわけにはいきません。清めの儀式を簡単にでも行っておきましょう』と言ってそれらしきことをしました。そして、その後でベリヒさんの遺体をホコリまみれの床に横たえました」
「ちょっと待って下さい。清めの儀式の時点ではベリヒさんはまだ天井からぶら下がっていたのですね?」
「そうです」
(これはおもしろい)
探偵ティーレルの頭の中ではジクソーパズルのようなものが組み合わさっていった。
「念のために尋ねますが、ベリヒさんの死を確認したのは誰ですか?」
「わたしです」
ティーレル氏はいささかめんくらった。
「何か不穏当な発言をしたのでしょうか?今の発言は幼なじみのミックウェルにとって不利な証拠になるのですか?」
「いえいえ、そうではありません」
彼女の顔から不安気な様子がややうすらいだ。
「では、次の質問に移りましょう、アムネリスさん。面会時間は限られていますからね。ベリヒさんの遺体を下ろしてから、皆さんはどうしました?」
「シャルルさんは書庫の方に戻りました。そして、『誰も入らんでくれ。ゾンビに踏みこまれたら、わしはお陀仏じゃからな』と言って内側から鍵をかけてしまいました。わたしやミックウェル、それにイザベラさんもまた夕食をすませた部屋に戻りました」
「つまり、シャルルさんは遺跡内にベリヒさんのゾンビがうろつくことを恐れていたのですね?」
アムネリス嬢はややとまどった。
「たぶん……そうなんでしょうね。でも、それならそれでわたし達と同じ部屋で休んだ方が良かった気がします。とは言っても、あれだけ頑丈な鍵がかかっていたのですから、書庫の方が安全だと思ったのかもしれません」
ティーレル氏は言葉を選びつつ質問を続けた。
「具体的にはどんな鍵だったのですか?」
「ミックウェルが言うには、『これは絶対に内側からしか開かないようになっている』とのことでした」
「ふむ。では、その後のシャルルさん殺害までの経過を話して下さい。覚えてる範囲で構いません」
アムネリス嬢は深呼吸し、ブロンドの髪をなでてから再び口を開いた。
「わたし達が眠りについてからしばらくして、イザベラさんが『ゾンビです!』と叫びました。あかりをともすと、あのひとはすっかりやつれた様子であぶら汗をかいていました。わたしはこれまであんなに青ざめた人間の顔は見たことがありません。そして、わたしとミックウェル、それにイザベラさんは大急ぎでシャルルさんがいるはずの書庫に向かいました」
「亡くなられたベリヒさんの方には行かずに?」
彼女は、ややあって返答した。
「通り過ぎる時、チラリと見ました。神聖なロウの封印がなされていたので、たとえベリヒさんがゾンビになっていたとしても部屋から出ることは不可能でした。このことは巡察官のグレグソンさんの方がよく知っているはずです」
探偵は少しばかり笑いだすのをガマンした。
(グレグソン君かぁ、彼には積極性と忍耐強さはあるが、プロの「探偵」としては失格なんだがね)
女性が不思議そうにティーレル氏の顔をのぞこうとしていることに気づき、彼はまた質問を続けた。
「愚問ですが、書庫の方はどうなっていたのですか?」
「シャルルさんがノドを刃物でかき切られて死んでいました。表情はまるで、その、何というか……」
ティーレルはすばやく言葉の矢を放った。
「幽霊を見たような表情だったのですね?」
これにはいささか彼女も驚いたようだった。しばらくぽかんと口を開けていた。
「ええ、その通りです。でも、どうしてそれが……」
「推理することが僕の仕事ですからね。まあ、そのことはどうでもいいです。話を続けて下さい。書庫には何か手がかりになるようなものがありましたか?」
「そうですね、わたしやミックウェルさんやイザベラさんが調べた範囲では特に……ああ、そういえばシャルルさんには抵抗した形跡はありませんでした。恐怖の余り、動けなかったのではないでしょうか」
ティーレルはハンカチで鼻をかみ、少しばかりどう言葉を継ぐかを思案していた。それを不安に感じたのか、アムネリスが問うた。
「あの、もうわたしが話すべきことはないのですか?」
「いえ、まだあります。グレグソン巡察官が封印をイザベラさんに解除させて……」
「違います。解除したのは巡察官の方です」
「何ですって!?」
ティーレル氏は一瞬混乱した。
(封印を解除するのは普通、封印した当の本人のはず。それがまたどうして……そうか!あの詩人が言っていた通りだ!)
探偵はほほえみ、最後の問いを発した。
「グレグソンが封印解除の際、イザベラさんは何をしていましたか?」
「よくは覚えていませんが、やや離れた場所で見守っていたような気がします」
「ご協力ありがとうございます、アムネリスさん。これで謎のほとんどは解けましたよ」
彼女の表情は急に明るくなった。
探偵は拘置所から出て、グレグソンとバッタリ出くわした。彼は皮肉たっぷりに話しかけた。
「どうです、ティーレルさん、無駄骨でしたでしょう?」
「そうでもなかったよ、グレグソン君。とりあえず君に忠告するとすれば、主犯よりも共犯者を見つけることですね」
グレグソンは冷笑して、拘置所に下りていった。
ティーレルの下宿のおかみターナー夫人が来客を取り次いだのは、翌日の夕方のことであった。その来客は50歳ばかりの小柄な女性で、若いころはたいそうな美人であることが容易に見てとれた。しかし、何よりもティーレル氏にとって印象的だったのは、その生気のなさであった。
「イザベラさんですね?」
探偵が問うた。
「はい」
「なぜ僕があなたを呼んだのかはお分かりですね?」
イザベラの言葉にもやはり全く生気がなかった。
「はい、それは十分理解しています」
「僕は、あの事件はベリヒさんとあなたの協力であったことは承知しています。が、動機についてはよく分かりません。最初から全てを話してくれますか?」
イザベラ司祭はドッと疲れがとれた様子で、ソファに深々とその身体を沈めこんだ。そして、しばしの後、ゆっくりと話し始めた。
「わたしはベリヒさんとは古い友人です。そして、彼の父は事業を営んでいました。けれども、事業拡大のために大きな借金をして返せなくなったのです。その金貸しが若い頃のシャルルさんだったのです。あの人はベリヒさん一家から取り立てることを延期することもできたはずです。しかしながら、彼はあくまで冷徹な人でした。それは高利貸しとしては当然の行為だったのかもしれません。でも、取り立ての善悪は別にしてベリヒさん一家は没落、四散しました。ベリヒさんはそのために神を信じなくなったのです。そして、つい2週間前にすっかりやつれたベリヒさんが寺院にやって来ました。
『イザベラ、俺はヤブ医者から死の宣告を受けたよ。「血が濁っている」ってな。今飲んでいるこの赤い水は病気の進行を遅らせる、っていうが怪しいもんだ。ま、俺の命も後1、2ヶ月ってえとこかな。で、イザベラよ。あんたに生涯最後の願いがあるんだ』
ベリヒさんの口調は真剣でした。
『願い事は何なの、ベリヒ?』
この時、彼の顔が歪みました。
『殺しの手伝いだよ』
『それはいけないわよ。わたしはあなたも知っての通り、治癒の女神の司祭ですよ。殺しなんて女神様がおゆるしにならないわ』
『いや、あんたは手を汚す必要はない。ただ、<蘇生>の奇跡を起こすだけでいいんだ。いいかい、俺の人生をメチャクチャにしたシャルルてえ高利貸しを知っているだろう?あいつはあこぎなマネをして大勢の善人をどん底に叩きこんだ。俺は復讐したいんだ』
わたしはすっかり気が動転してしまいました。そして、わたしの沈黙を『同意』とみなして、彼は完全犯罪のトリックを語って聞かせました。
『簡単なことなんだよ、イザベラ。まず俺たちがシャルルの野郎の「墓あらし」の護衛として雇われる。そして、墓の一室でまず俺が首を吊る。これは1度目の死だ。俺の「死」を確認した後で、ゾンビ化を防ぐ儀式に見せかけて<蘇生>の奇跡を起こしてくれ。できれば、俺たちの他にも「護衛」が必要だな。あんたに疑いがかかるのを防がにゃならんし……。そして、「よみがえった」俺がシャルルを殺す。その後で、2回目の首吊りをやるつもりだ』
『でも、シャルルさんが……』
『あんなヤツに「さん」づけする必要はない!とにかく、シャルルがたった1人でいる時間が必要だ。あいつは「墓あらし」で調べ物も好きだそうだから、書庫のある墓、そうだな、墳墓にでも向かわせりゃいい』
わたしは結局、ベリヒさんの言う通りにしました。1度『死んだ』彼を生き返らせて、シャルルさん殺しの片棒をかついだのです」探偵ティーレル氏はためていた息を一気に吐き出し、司祭の方を見やった。
「シャルルさんにより不幸な目にあったベリヒさんと友情を重んじたあなたの気持ちはよく分かります。しかし、殺人は殺人です。その上、1人の青年がヌレギヌで死刑を宣告されそうになっているのです」
イザベラは肩を落として、ぽつりと言った。
「自白する覚悟はできています」
「いや、それには及びますまい」
「というと……」
ティーレルは自分の髪の毛をなでた。
「僕の知っている限り、治癒の女神は直接殺人のために手を汚さなくても、違った形で神罰を下します。あなたの身体は既に呪いにむしばまれているのではありませんか」
司祭はうなづき、ティーレル氏に問うた。
「あなたは何がきっかけでわたし達が犯人だと思い始めたのですか?」
「とある吟遊詩人から聞いた言葉ですが、『心の有様』ですよ。あなたは遺跡の中で奇妙なほど落ち着いていました。まあ、これは関係者の話から判断したのですが。そしてですね、ことにベリヒさんの『自殺』をあなた達が見つけた時の行動です。ああした場合、まずすぐに首を吊った人を床に下ろして生死を確認し、その後でしかるべき措置を取るのが『常識』です。なのにあなたはベリヒさんが『死んでいることを確信して』いるがごとく清めの儀式を、実際にはそのフリをしただけなのでしょうが、とり行いました。その後でようやく『死体』は下ろされ、生死はアムネリスさんが確認しました。本来なら、イザベラさん、あなたの仕事のはずなのにね。そして、さらにあなたは清めの儀式に見せかけた行為を行いました。<蘇生>の奇跡のためなのにね。そして、ベリヒさんは生き返り、シャルルさんを殺した後でもう1度首を吊ったわけです。ベリヒさんを進入させるために彼のこもる書庫の扉をノックして、開けさせたのはあなたですね?」
「はい。あの人も治癒の女神の司祭たるわたしが人を殺せないということを知っていましたから、安心して扉を開きました」
探偵は、同情の眼差しで司祭を見た。
(僕も親友に頼まれれば、この人と同じ過ちを犯すかもしれないな)
「ところで、僕はあなたを無能なグレグソンなんかに突き出すつもりはありません。あなたは既に罰を受け、余生短い境遇ですからね」
イザベラは黙ったままだった。ティーレル氏でなくても彼女の表情にどこかしら安堵したものが浮かんだことには気づいたろう。
「僕の集めた手がかりだけでもミックウェルさんへの疑いを晴らすには十分です。ただ、それだけでは頭の固い裁判官が納得しない場合にのみ、あなたの告白を巡回裁判で用いることにします。それでいいですね?」
彼女は承諾し、疲れが十分に取れないまま、身体をひきずるように探偵の下宿から去っていった。
ミックウェル青年とアムネリス嬢のその後については多く語る必要はあるまい。ティーレル氏が提出した「28カ条の反論」により、両名とも全く無実であるとの判決がくだされた。この2人は今では冒険商人として活躍しているとのことである。
イザベラ司祭はあの世での裁判を受けるべく、ひっそりと息を引き取った