めおとの冒険
折れた杖
書いた人:上田洋一
この小説では物理法則に反することが起こりうる。
それは、魔法や奇跡の存在する世界だからである。
冬のある日、一組の男女がターブルという街を訪れた。
男はやや小柄で、賢神の司祭であることを示す青銅のサークレットが額で鈍い光を放っていた。顔は端正で、やや女性的とも言えた。髪は後ろで束ねられてまるで子馬のしっぽのようである。
一方、女の方は比較的がっちりとした体格の持ち主であり、鎖帷子の上に薄汚れたマントを羽織っている。そして、その瞳には南洋的な熱情性と美が見受けられた。が、その他にもこの女性を特色づけるものがある。2ヤードはありそうな大剣と、「巡察官」のシンボルである赤く染めた前髪がそれだ。
しかし、何といってもこの2人を印象づけるのは、その少しばかりとがった耳である。いわゆる半妖精という種族だ。
彼らは今晩はどこで休むか、それを考えていた。
急に、古びて品のない宿屋から子犬がテトテトと走り出てきた。年長者の悪意を知らない赤子が見せる、あの眼と同じ何かがこもっている。
男の司祭が、
「おい、ワンちゃん」
と声をかけ子犬の頭をなでようとする。
女性巡察官はあきれた様子で夫の振る舞いを見つめる。
(ユーリときたら犬には目がないんだから)
バレリアは肩をすくめた。
次の瞬間、宿の奥から男の野太い罵声がとんだ。
「こらあ、フィア!息子がかわいがっとるカルロから目を離さずに晩飯やっとかんか!」
2人の前に薄汚い女給が転がり出る。年の頃は20前後といった所か。化粧はしていない。
(磨けば光るかもしれないのにな)
ユーリはそう思った。
巡察官が夫の顔をちらっと見て、
「じゃ、今夜はここで決まりね、ユーリ。店の名はっと……」
「『風の山亭』。『火の車』の方がふさわしそうな繁盛ぶりだけどな」
司祭はなかなか観察眼が鋭い。「窓税」を少しでも減らすために2階の窓をつぶしていることを見逃がさなかった訳である。
2人が宿に入ると一癖もふた癖もありそうな主人が不気味な愛想を浮かべている。そして、テーブルに陣取る荒くれ男達が一斉にユーリに好色な視線を浴びせる。
これはいつものことなのだ。彼は非常ななで肩でほっそりしていることも手伝って、よく女性に見られがちである。バレリアにとっては不快なことだが、えてして男性の冒険者達は大の女好きだ。それも肉体の方を特に。
「サザランドさん、珈琲を2人分ね。岩塩も頼むよ。少しでいいから」
ユーリの口から美しいテノールが響き、周囲の野郎達は「ちぇ、なんだ,男じゃねえか」という悪態をつく。
しかし、主人の方はといえば、いきなり自分の名前を初対面の司祭にズバリ当てられて少々面食らった様子だ。
「誰かに聞いたんですかい、だんな」
サザランドは戸惑いの表情を浮かべている。
「頭文字が『S』というのはこの地域ではサーナスかサザランドのどちらかが普通ですからね。そして、前者は貴族に多い。頭文字を知られたくないなら、裸の右腕に入れ墨をするのは止めるべきです。ただそれだけのことですよ」
主人はカラカラと笑って、
「さすがは司祭様だ。てえしたもんだぜ」
と賛嘆を怠ることはなかった。どこか卑屈なものも感じられた訳ではなかったが……。
バレリアは昔−この主人も生まれてない頃だ−の冒険者稼業時代を思い出す。
(半世紀前にはこういう宿屋に世話になったなあ)
そこに、6人ばかりの荒くれ男がドカドカと入りこんで来た。冒険者だろう。汗と泥にまみれている。そして、あちこちに生傷を負って異臭を放っている。
バレリアは彼らの様子をぼんやりと眺めていたが、ユーリはしきりにカルロの頭をなでている……だけのように見える。
ここでフィアは巡察官とその夫が飲むはずの珈琲を引繰返した。
またも罵声が浴びせられる。
「フィア!やる気がないなら仕事なんざ辞めやがれ!」
それを聞いた男達は嘲るような調子で笑い、懐から取り出した林檎をかじりつつ、今回の探索行を話題にする。
「あの小鬼術師はなかなか強かったな、ギルバート」
ギルバートと呼ばれた巨漢の戦士は林檎を派手に食い散らしていたが、それを聞いて、
「まあな。しかし、今の俺なら片手半剣でなくても、小鬼程度なら素手で殴り殺せるぜ」
と得意がる。
「けどよう、お前、いつも兜かぶってないじゃねーか」
「ようは当たらなけりゃいいんだ」
ここで男は話を切り替える。以前の探索行のことらしい。
「エルシーって女がいたんだよ、2年ばかり前だったかな。とことん運のないさえない女でよ。カード遊びしていて山札から絵札引くなんて信じられるっかってんだ。魔導師にツキがなくてどーするってんだ」
ギルバートらはここでゲラゲラと下品に笑い転げる。
そして、酔った盗賊のニーズという男がフィアの臀部に触る。彼女は赤面するのみで、その手を振り払うのみである。
ここでユーリは首をかしげ、それを見たバレリアが問う。
「どうかしたの?」
「何でまた、黙ってるのかな、彼女は……」
夫の思考はしばし妻からは離れていた。
夫婦らしきことを済ませてから、翌朝、2人は朝食をとるために階下に降りた。
バレリアは少し寝不足である。
「あなたって〈禁色期〉あけはしつこいのよ、ユーリ。早く何か食べましょ」
しかし、それどころではなかった。
例の大男、ギルバートが変死体で見つかったというのである。
不安を感じたのか、バレリアがユーリの腕にしがみつく。しかし、彼女は巡察官である。地方巡察官と協力して捜査に従事しなければならない。
「現場はどこでしたっけ?」
「<黄色の香料>通りでさ」
ニーズがニタニタ笑いを浮かべながら、言う。
ユーリは妻の肩をポンポンと叩く。
「君の出番なんだよ、バレリア」
実に優しい表情をしている。同時に、芯はしっかりとしたものが彼には備わっていることが窺える。
「そうね」
妻は気を取り直して、薄汚れて赤茶けたマントを羽織る。
2人は黒パンをかじり山羊の乳を飲み干してから、現場に向かった。
既に街の地方巡察官アセルニとその助手が頭をかち割られたギルバートの死体とその周辺をを調べている。彼は、なぜだか妙に明るい調子でバレリアに挨拶する。
次に来るのは、皮肉だ。
「ほお、推論好みの司祭様と大剣の打撃頼りの巡察官ですか。いやいや、助力は無用。ここは実際家に任せてもらいたいものですなあ。慣習法では巡察官との共同捜査がうやむやの内に決められておりますが」
ユーリがやり返す。
「じゃあ、僕はここらで見物させてもらいますよ。しょせん捜査権を持たない司祭にしか過ぎませんからね。バレリア巡察官はちょっとお疲れですから」
太鼓腹を抱えたアセルニはカカと笑ってから、再度はいつくばって汚物が浮かぶ溝にまで手を突っ込み……
「や、や、これは何だ!?」
真っ二つに折れた魔導師の杖である。先端部は赤く血に染まっている。
(折れてなきゃ1ヤードと少しってとこか)
バレリアは口には出さずにつぶやいた。
そして、彼女の夫は肩をすくめて「実際家殿はなかなか大したものだ」と言いたげな笑みを浮かべる。
それにしても、ここは妙な通りだ。日乾しレンガ造りの4、5階建ての貧民長屋が連なり、日光はほとんどさえぎられている。
(これじゃ、暗くなったら溝に落ち込んでもおかしくないわね。窓は……あるのか。所有者の判然としない建物だから徴税なんてできやしない)
アセルニは、こんな巨漢を一撃で葬り去るのだから犯人は相当の手練れだろうと結論づけた。
しかし、なぜ魔導師の杖を凶器に選んだのか?
彼にはそれが分からなかった。しょせん、地方巡察官止まりの男ということである。
とはいえ、さすがに「実際家」と自称するだけのことはある。助手と共にチョコマカ動き回り、後に「証拠」となりそうなものを次から次へと溝からすくい上げる。
そして、アセルニは屍と化したギルバートの口元に鼻を持っていき、
「ふうむ、ふむふむ。これは少なくとも毒殺ではありませんな。何しろ、私は薬物を56種類に分類する論文を発表したことがありますからな」
と自慢した。
毒殺でないことは一目瞭然だ。
バレリアはイライラしていた。
ここで、ユーリが口を挟む。
「57の誤りではないのですか、アセルニさん?」
地方巡察官は怪訝な顔つきを見せる。
「アルコールですよ、アルコール」
「確かに、酒くさいですな」
バレリアは殺人のことを考えながら、ザボンの果汁をチビチビと飲んでいた。巡察官は昼間から酒を飲んではならない。判断力が鈍る、というのがその理由だ。
あれからアセルニは「大奮闘」して、貧民長屋に住む前科者23人を逮捕した。
一方、ユーリはといえば、寺院の「昇天録」−身元引受人のいない死者について記録されている−を見せてもらう、とだけ言い残して飛び出していったのだった。
女は、
(アセルニが今回手柄をたてるんだろうなあ。長屋の知り合いとカード遊びの最中口論に殺された、ってという辺りが無難よね。その手の遊びが好きなようだし……。でも、どうして杖なんかで……)
と黙考していた。
「お客様」
美しいメゾ・ソプラノが彼女の耳に響き、大いに驚かされた。誰?と思って振り返るとあの女給である。少し足を引きずっている。
「何なの?」
「こちら、お下げしてよろしいでしょうか?」
巡察官は染めた髪の房をもてあそびながら苦笑した。
「あたしは麦粥も黒パンも頼んでないわよ」
女給は羞恥心からか、顔を赤らめてバレリアのテーブルから去る。
彼女は、向こう側のテーブルに座る赤毛の大柄な女の姿を認めた。印象は、自分と少し似ている。
そして、フィアはまたもサザランドに怒鳴られる。
バレリアが日の沈むのを待っていると、夫が宿に帰って来た。くたびれた様子だ。
「ハモの日干し頼むよ」
彼はじっくりとハモを味わい、最後の一切れを子犬のカルロに与えた。子犬はよほど腹を空かしていたらしく、ろくにかみもせずに飲み込む。
ユーリは周囲を見回す。
「ここじゃあなんだな」
司祭は眉をひそめて、ポツリとつぶやいた。
妻は問う。
「じゃ、どこが?」
ユーリは静かに口を開く。
「部屋だよ。余りやかましくない、ね」
2人は同時に立ち上がり、バレリアが店の主人に1枚の金貨を投げてよこした。
サザランドはそれを左手の親指と人差し指だけで受け止める。
「大将、てえしたもんだぜ」
ニーズが相も変わらずニタニタ笑いを浮かべたまま、心にも無いことを言う。
「おほめにあずかり恐悦至極って騎士なら言うんだろうなあ」
さて、巡察官夫婦は2階の部屋に入り、バレリアは用心のため鍵−貧弱なものだが−をかける。
「君もさすがに用心深いね。ま、それはよしとするか。念には念を入れてゲールの方言で話すのはどうだい?」
女は頷いた。そして、大剣を鞘から抜いて手入れを始める。
「これなんだ、バレリア。あくまで写本の写しだけどね」
彼は一巻きの羊皮紙を取り出す。「昇天録」の一部を乱雑に筆写している。
「相変わらず下手な字ね」
「それは言ってくれるなよ」
巡察官はクスリと笑う。短気な巡察官なら大剣で惨殺して、
「治安の守護者を侮辱したため、やむなく手にかけた」
と開き直る所だろう。
「『グレリードなる初老の男。貧民長屋にて。折れた杖と共に埋葬』、ふうん。でも、これが殺された大男とどう関係があるの?」
「君はどう思う?」
妻の問いかけが耳に入らなかったのか、逆にバレリアに尋ねる。もっとも、それは同意を求めるための問いであり、返事は予測していたようである。
「あなたの流儀からすれば……グレリードって人をギルバートが殺した……そういうことでしょ?」
ユーリは肩をすくめる。
「でも、正しく埋葬された死人には人を殺す力はないわよ」
それに対して司祭は、
「問題はどちらの場合も杖が折れていたってことだ。バレリア、1階に降りて例の女給が何をしているか聞いて来てくれ」
「?」
巡察官には事情が分からなかったのだが、夫の発想は下手な占星術師よりも頼りになることはこれまでの経験で実証済みである。
1階の酒場では、亭主のサザランドが不機嫌な様子で割れた木製の皿を直そうとしていた。女給の姿は見当たらない。
「女給のフィアとかいう人に用があるんだけど?」
「フィアなら馬小屋の隣で本でも読んでるんだろうさ」
さすがにここでバレリアも気付いた。
(道理で転んだ訳ね)
彼女はそのまま、ユーリのもとに戻った。
「大した頭脳ね、ユーリ。彼女、呼んだ方がいいんじゃないの?」
男は難しい顔をしていた。「穏やかな表情が最も似合っている」と言われる彼のそんな様子を妻は余り見たくなかったのである。
「確かに」
ユーリは悔しそうに唇をかんだ。
巡察官夫婦の前に現れたフィアは蒼白になっていた。
「何のために僕らと対面しているかお分かりですね、エルシーさん?」
女給は力なくうなずいた。
「あなたは数年前まで魔導師のグレリードの弟子でした。しかし、彼はギルバートらに殺害されてしまいました。証拠はありませんがね。動機も不明です」
女はポツリと言った。
「カード遊びです……」
バレリアは黙りこくったままで、言葉が見つからなかった。この時ほど彼女は自分の赤い髪の一房を恨めしく思ったことは無い。
「そして、彼らはあなたの師を魔導師の杖で殴り殺し、その衝撃で杖は真っ二つに折れてしまった。だからこそ、あなたは杖を凶器にして復讐したのですね?」
「それだけじゃない、ユーリ」
司祭の妻はやりきれない表情で口をはさむ。両眼はどことなく潤んでいるようにも見受けられた。
「『きちんと埋葬された人は化けて出ることは無い』。それを覆すためにあなたは魔導師の杖でわざわざあの悪漢を殴り殺し……打撃で折れた杖を少し探せば見つかる場所に『捨てた』。これで合ってますね、エルシーさん?」
「でも、あたしの腕力でどうやってあのギルバートを……」
エルシーは当然と言えば当然の問いを発した。
ユーリは肩をすくめる。そして、むごく静かに語る。
「魔導師の魔法の一つに術者自身が落ちる速さを制御するものがあるそうですね。あなたはあの貧乏長屋に彼を呼び出して−方法までは分かりませんが−酒で酔わせて注意力がそがれた瞬間を狙って4階か5階辺りから杖を握りしめて飛び降りて殴り殺した。ただ、足をくじいたのは失敗だと思います。少し落下が速すぎたと解釈すべきですか?」
エルシーは黙って肯いた。肩を震わせている。
今度は、バレリアが気の進まない様子で口を開く。
「宿の亭主から聞いたわ、『本でも読んでるんじゃねえか』って。でも、あたしとさして似てない女性と勘違いしたり、何でもない所で転倒したりする人が『眼鏡』無しで本を読める訳ないもの」
巡察官はスウッと息を吸い込んで、言葉を継いだ。
「つまり、エルシーさんは『眼鏡』をかけていると正体がばれる危険性のある人物に接近する必要があった……」
女給−の振りをしていた女−は椅子から立ち上がり、絶望の表情を浮かべて薄汚れた客室内を歩いた。
「そうです、その通りです。あたしは地方巡察官に捕らえられるべき女なんです」
そこには、外見のみ貧相な1つの品格の存在が感じられた。
「最終的にはそうなるとしても……」
美しき司祭は妻を指差す。
「彼女が、あなたの師を殺害した犯人全員を裁きの場に立たせるまでは重要な証人です。そもそも、わざわざ魔導師の杖でギルバートの頭を叩き割った上で、凶器がすぐ見つかる場所に捨てたのは師匠が蘇生して復讐に乗り出したと残りの殺人者に思い込ませるためですよね?」
エルシーは目を窓の外にちらとやってから、ユーリとバレリアの推理が完全に正しいことを認めた。実に、辛そうな顔をして……。
「司祭様」
彼女は残った力を振り絞るように尋ねた。
「いつから、疑い始めたんですか?」
「あなたは、今は亡き悪漢に身体を触られた時に何ら声を上げなかった。そこから全てが始まったんですよ」
巡察官は形式通り宣言する。
「証人には証言を拒否する権利があります。そこから生じる、法的な意味での証人の……」
この40年で何度も聞いた言葉だ。司祭は、
(明日こそ快晴になってくれ)
と思わざるをえなかった。