『弄ばれた独裁者、サダム・フセイン』

「サダムが国境を越えてくるなら、来させようではないか。 アメリカがつまみ出してくれるだろうから」

イラクのクウェート侵攻直前に述べられた
クウェートの外務大臣シェイクフ・サバーフの言葉

「アメリカの会社がクウェートで戦争の恩恵を受けてはいけないという理由でもあるというのかね?」

アメリカ随一の天然ガス・パイプライン建設会社で知られる
エンロンのある幹部の弁
(当時の国務長官ジェームズ・ベーカーはエンロンの元代表者)

 1998年12月末、私はテレビに映し出されたある映像を見て、 自分がまるで8年前にタイムトリップされられる感覚に襲われた。 そこに映るのは、あの時と何ら変わっていない光景、、、 暗い夜の闇、その中を飛び交う緑色を帯びた無数の光、 それを伝えようとする米国ジャーナリストの絶叫に近い声、、、 テレビは二度目の本格的なアメリカ軍のイラク空爆を報道したのであった。 4日に及ぶ米軍の苛烈で一方的な攻撃が終わると、戦いは鎮静化していったが、 99年1月現在に至っても度重なる小規模のこぜり合いの中、緊張状態が続いている。
 それにしても、湾岸戦争から8年たった今になって、どうして再びこのようなことが起こったのか? イラク側が国連による核査察を拒否し続けていることに、たまりかねたアメリカが『正義の鉄槌』を下したというのが最も主張されている理由だが、 クリントン米大統領が自分に対するスキャンダルもみ消し疑惑の弾劾裁判を先延ばしにする目的でイラクを攻撃したという疑いも大いに知られるところである。 だが、『たかが大統領一人の政治生命』のために、ホワイトハウス及び軍がこうも従順に行動するものだろうか? この出来事の背後には、もっと陰湿で一般の人では量ることのできない思惑が働いているのではないかと思うのは、考え過ぎであろうか? そうかも知れない。
 今回の攻撃についての考察は、まだ十分な情報が揃っていないこともあり、 控えさせていただく。 とりあえず、研究家たちの調査を待つことにしよう。 そのかわりとして、8年前の湾岸戦争について考えてみることにする。
 湾岸戦争は、1990年8月2日、イラク軍が燐国のクウェートへ侵攻し、 クウェート全土を制圧したことを発端として引き起こされた。 米・英を主とした多国籍軍は、クウェート領のイラク軍とイラク本土に対して攻撃を展開し、 91年2月26日に、イラクはクウェート撤退に追い込まれた。 そして、3月3日に多国籍軍とイラク軍司令官の間で停戦協議がなされ、湾岸戦争は終結したのだった。
 まさにこの戦いは『中東周辺の平和を、それを脅かす悪の独裁者サダム・フセインから救う聖戦』といったものであったろう。 しかし、それとは異なり、「ホワイトハウスが自己の利的行為によって、フセインをそそのかして戦争を引き起こさせた」という陰謀論が存在する。 その中身は次のとおりだ。
 湾岸戦争以前のイラクは、イラン・イラク戦争での後遺症による経済不安や、 湾岸諸国の増産政策による石油価格の引き下げが原因のイラクの年間石油収入の減少 (それによって、140億ドルの損失をイラクは被ったとされる)で窮地にあり、 フセイン自身の地位も危ぶまれていた。 そんな時に、当時のアメリカ大統領ジョージ・ブッシュは、 フセイン政権のトップの一人に密使を送り、「イラクはみじめな経済状況から抜け出すため、 石油価格を高めに操作すべきだ」と告げたという。 これは、いわゆる『イラクのクウェートへの侵攻を容認するゴーサイン』であった。
 イラクがクウェートの国境まで移動した後、アメリカの駐バグダッド大使であるエイプリル・グラスピーは、 フセインに「例えば、貴国とクウェートとの国境紛争のようなアラブ諸国間の国境紛争に関しては我々は意見を述べる立場にない」と言った。
 さらに、『ロサンゼルス・タイムズ』によれば、1989年秋、 イラクのクウェート侵攻わずか9カ月前、ブッシュ大統領は、イラクへの1億ドルの援助を指示する極秘の国家安全保証部門の命令書にサインしたということだ。 この援助金が、武器購入資金にあてられることは想像するに容易である。
 CIAは陰で、クウェートにイラクを挑発するように指示した。 クウェート侵攻は、90年7月の和平会議において、 クウェートがイラクに対してイラン・イラク戦争でかかった費用を補う100億ドルの借款要求に応じていれば回避できていた可能性があった。 だが、クウェート皇太子は、1割足りない『90億ドル』の借款に応じたためにフセインの怒りを買うことになった。 しかも、残りの10億ドルを肩代りしようとサウジアラビアが提案して、 問題が解決に向かおうとすると、今度は「両国の国境をはっきりと確定する必要がある」と皇太子がイラク側に言ったということだ。 こうした挑戦的なクウェート側の行為は、CIAがクウェートに促したことによるものだという。
 ここで疑問になるのが、「どうしてブッシュはイラクにクウェートに侵攻するように仕向けたのか?」ということだ。 それについては、以下のことが考えられる。
 大統領ジョージ・ブッシュと、国務長官ジェームズ・ベーカーは、石油業界に太いパイプを持つ人物であった。 ブッシュは政治家になる前は、テキサスで石油会社を率いていた。 アメリカ石油業界は、1980年代後半の石油価格の急落で厳しい状況にあった。 イラクと同様に、アメリカも苦しんでいたのだ。 よって、石油価格の高騰は望ましいことであり、 石油長者であるブッシュもそうなるよう「手を打つ」のは必然のことであろう。 とにかく、クウェート侵攻によって石油の価格は上昇したのだった。
 サダム・フセインは、アメリカのごく少数権力者の欲望を満たすために、思いのままに操られた道化者だったのであろうか? 彼は、今もなおイラクの支配権を握っている、、、
 ところで、陰謀論に触れる上で、ジョージ・ブッシュは特に注目するに値する人物である。 これから紹介されていく陰謀論の中で、彼の名が度々出てくることがあると思う。 一見、地味で家庭人的な風貌の持ち主である彼であるが、 彼は元CIA長官として数々の陰謀で暗躍した人物であり、 支配階級エリートの集う外交関係評議会(CFR)や日米欧三極委員会のメンバーであり、 イエール大学出身者によって構成される秘密結社スカル・アンド・ボーンズの会員であり、 レーガン大統領暗殺未遂犯の兄弟を友人に持つ人物だ。 陰謀論者にとって、彼は多くの研究材料を提供してくれる恰好の相手なのだ。 そして、ジョージ・ブッシュの血を引く息子ジョージ・W・ブッシュは、次期アメリカ大統領選挙に出馬する予定である。

参考文献:
超陰謀 ジョナサン・バンキン 徳間書店
「超陰謀」60の真実 ジョナサン・バンキン&ジョン・ウェイン 徳間書店
フセインの挑戦 小山茂樹 日本放送出版協会
砂漠の聖戦 読売新聞外報部