内面への道1
東の空に迫り出している夕佳山は、風に翻る葉裏の1つ1つが分かるほどにも、わたくしにとって親しい山でした。造られてもう20年が近い山頂付近の観音像も(当時は町長が亡母の供養のために勝手に建立したと非難轟々でしたけれど)、今ではその風光に溶け込んでいます。山頂には国旗掲揚台があり、かつては祝祭日にのみ揚がっていた日の丸が、最近は年がら年じゅう揚がるようになりましたが、誰も訝る者がいません。
──それはそうでしょう、と光福寺さんは当然だと言わんばかりの表情です。国を愛して何が悪いんですか?.戦後の日本人は金、金、金で、余りに名誉とか精神とかが蔑ろにされてきましたからね。
山城の跡だという夕佳山の平らな山頂を眺めつつ、
──精神と日の丸と、何か関係があるんですか?.とわたくしは問いました。名誉ならまだ分かりますが……。
──名誉を重んずるというのも、一種の精神作用ですよ。
──まあ、そうですけどね。
──伝統仏教が立ち枯れしつつある状況も、戦後の風潮と無関係ではないはずです。
──そうでしょうか?.とわたくしは、穏やかながらも確たる口調で異を唱えました。そもそも伝統仏教なんて、檀家制度が確立した江戸時代から、立ち枯れといえば立ち枯れてたんじゃありません?
──そこまで風呂敷を広げたんじゃあ、収拾が付かなくなる、と光福寺さんは勢いよくタバコを吸い込みました。
──ただ、宗教の最終形態としては、立ち枯れ状態の方がむしろ好ましいとボクは考えますけどね。
──ほう!.と、タバコの煙を吐き出した光福寺さんは、わたくしを見つめました。そりゃまた、どういう意味ですか?
──たとえば地球上にはイスラム原理主義のように、極めて過激な教義に走るグループもいるわけでしょう。オウムというのは、そうした奇形の最たるものですよね。純粋な宗教形態を追究すると(オウムの是非は別として)、そこまで行かざるを得ないんじゃないですか?.日本の伝統仏教にしたって、中世には一向一揆などを経験してるわけだし。でも、それは社会的矛盾を宗教によって糊塗しようという側面も見逃せませんよね。それは経済的繁栄によって消えていく部分であり、したがって、経済が繁栄した結果消えていくのであれば、それも仕方がないでしょう。そして、宗教というものが万が一、消滅する運命にあるならば、それもまた仕方ないと思うな。
──それはまた宗教家としてはふさわしからざる意見ですなあ、と光福寺さんはさも愉快そうな表情をして、吐き出した煙が窓の外に流れていく淡い渦巻き模様を眺めてから、タバコの先の火を灰皿に押し付けました。
──人間あっての宗教であって、その逆じゃありませんから。
──と言うことは、浄玄寺さんは、人間には最終的には宗教は不必要だと仰るんですか?.そんな考えで寺の住職が務まりますか?
──繰り返しになりますが、江戸時代以降の仏教の立ち枯れ状態を、ボクは不都合だとは思いませんよ。現在のように習俗化した仏教の方が、少なくとも近代社会とは折り合いがいいと思うんです。どんな宗教であれ、その共通目標は死の意味を説くところでしょうし、そういう点では、葬式仏教というのも悪いスタンスじゃありませんから。
──もちろん、葬儀の上に寺の経営は成り立っているわけだけど、そこに居直っていいものなんですか?.と言う光福寺さんの口調は、先ほどまでとは異なる、いささか苦いニュアンスを帯びていました。
──居直ってるわけじゃありません、とわたくしは言いました。宗教を求める度合いは人それぞれでしょうが、少なくとも万人が葬儀を求めている。これは決してなくならないとボクは思います。なぜなら、死の意味を問うことこそ、人が人たる所以であり、文明が築かれた根本の衝動でしょうから。だからこそ、「葬式仏教」は強いんですよ。ところが、テロリズムが恐いのは、その根本のところに、いわば心臓部に匕首を突き付けるからでしょう。だって、自らの死を賭けて人を殺す、つまり、「死」が政治手段化してるわけだから。それはさておき、近代社会においてはその最低限のところを「葬式」という形で宗教がまず確保して、そこから先は人の求めに応じて満足を(今風に言えば「癒し」を)与えるのが理想的じゃないでしょうか?
──浄玄寺さんの理屈に即して言えば、その最低限のことしかやらない寺が多すぎるんだよな。
──そして一般の人々もまた、それ以上のことを寺に期待していない。
──だから困るんだ、と光福寺さんは笑いました。
──逆に、だから助かってる面もありますよね、とわたくしも笑いました。お経を唱えるだけで坊主は務まる。「乞食と坊主は三日やったら止められない」というのは、そういうことでしょう。
──違いない!.と光福寺さんは高笑いし、鋭い目つきで改めてわたくしを見つめました。見かけによらず、浄玄寺さんは急進的ですなあ。いや、超保守的なのかも知れん。いずれにしても、人は何を考えているのか分からんということが、改めてよく分かりましたよ。
わたくしはフッと吐息しただけでそれには答えず、窓の外に広がる銀杏の大木を仰ぎました。記録的な猛暑に痛んだ銀杏は、不思議なことに北側の枝々が茶枯れ、褐色の葉のはためく枝が幾つも裸の状態です。庫裏の2階にあるこの座敷からだとちょうど正面に見えるその様子も、下から仰いだだけでは分かりにくいに違いありません。いつの間にか立ち枯れていて、気づいた時にはもう手遅れになっている……それは何も銀杏に限らない、伝統仏教に限らない、わが身もまた同様なのだと、ふとわたくしはセンチメンタルな思いに囚われました。
──「はかない」という言葉が、最近、実感できるようになりましてねえ、とわたくしがしみじみと言うと、
──浄玄寺さんはお幾つですか?.と光福寺さんが問いました。
──もう50才です。
──まだ50才だと言うべきでしょうな、少なくても僕の前では。
──年齢とは関係のない気持ちも知れません。
──いやいや、何だかんだ言っても、若さが最大の宝ですよ。そして僕の年になると、はかないという感慨を催さないほど、身も心も枯渇してくる。
──それもいいかも知れませんね。
──コロッと往生できればね、と光福寺さんはまた笑い、どうも失礼しました、と口調を改めて言って、立ち上がりました。
──今日はありがとうございました、とわたくしも立ち上がり、座敷から階段を下りていく光福寺さんに続いて下りて、玄関先まで見送りました。秋の彼岸法要の参拝客は既になく、西向きの本堂の正面は夕光に明るんでいます。濡れ縁の端に溜まった松ヤニの、蜜のような濃密な滴れにも、その深い色彩を露わにさせた日の光が滞っていました。松葉1つ1つの緑の針がクリアに縁や屋根や空に刻み込まれているのも、その日の光のせいに違いありません。そして、本堂の棟瓦の向こうには、銀杏の大木がゆったりとした風を孕んで揺れています。
西の彼方、夕陽の沈む先に浄土があるならば、今はまだ空の青さが地に照り返す時刻です。ナムアミダブツと称えるには、いささか早い時刻かも知れませんが、しかし、もう盛りの過ぎた百日紅の赤紫の花弁の中で、無数の仏たちが無数の光を放ち、わたくしたちの瞳の奥に柔らかい、また、温かい救いの虹を架けているのかも知れません。見つめる心……知りたいという願い……その想いの絶えざる連鎖のキラキラと輝く結晶が、今、靴底に踏みしめている砂の1粒1粒でないとも限らないのです。
百日紅の下に広がっている墓地は本堂を巡って裏手に続き、振り返って見れば、鐘楼と山門の上の琥珀色の空に太陽がまだ静止していて、揺れるような光条を放ちつづけています。わたくしが本堂の前で合掌・礼拝するのは、もちろん、1つの習慣に過ぎません。そんな習慣の1つ1つにもきっと、仏の願いが宿っているのだと(それもまた理屈によって)確信したわたくしは、静かに庫裏に引き返していきました。