桐畑
 
 和恵さんの実家は海に向かって広がった郊外の一角の医院です。近くにコンビナートが進出するまでは水田があるばかりでしたから、したがって患者も少なく、和恵さんの父親は平日でも「本日休診」の札を掛けて、好きな骨董を求めて日本各地に赴くことが少なくなかったといいます。父親がその地に開業したのは、母親の実家の土地を譲り受けたからで、母親の母親、つまり和恵さんにとって祖母になるウメさんは95才の長寿を全うした人です。その最晩年には自転車が転倒して骨折したのが元で、次々と骨折を繰り返し、長らく和恵さんの母親の家で養生していました。ウメさんが半ば痴呆状態だったことは疑いのないところでしたが、それでも、──本当は精一郎がここで開業したかったのに、泰典さんが安く土地を買い取り、先に開業したから、精一郎は隣町で開業しなけりゃならなくなった、と繰り返すのは、和恵さん姉妹にとって気持ちのいい態度ではありませんでした。
 ──お母さん、ホント?.と、1週間に1度は実家に行く和恵さんが真剣な眼差しで尋ねると、
 ──そんなことはない、と母親は余裕ある笑顔で応えます。ちゃんと当時の時価で買ったんよ。
 ──お祖母ちゃんはそのこと、知ってるんでしょ?
 ──もちろんじゃが。お祖母ちゃんから買ったんだから。
 ──お祖母ちゃん、誰彼の見境なく言い触らしてるらしいよ。
 ──もう年じゃから。
 ──だけど、知らん人は信じる。
 ──知ってる人は聞き流してくれる。知らん人には、何を言っても通じない。
 ──だから、お祖母ちゃんに変な噂を立てないように口止めするべきよ。人の噂はバカに出来ないよ。
 ──お祖母ちゃん、もう90才なのよ。自分で歩くのも、ままならない身なんだから。
 ──それとこれとは別でしょう、などと幾ら主張しても、母親は聞き入れる風がありません。相変わらず3度々々の食事の世話を自宅でし、歩いて10分ほどの実家の管理もし、医者の所には和恵さんの妹の夏子さんが車で送り迎えしていました(和恵さんは3人姉妹の次女で、長女が父親の医院を継ぎ、母親と三女の夏子さんがその手伝いをしていたのです)。
 ──お祖母ちゃんは性格が悪い、惣領娘でわがままに育ったんだ、と夏子さんが批判すると、
 ──わたしもそう思う、と和恵さんも同調しました。
 ──だいたい、精一郎叔父ちゃんが面倒を見るべきでしょ。それなのに今でずっと、父さんが生きてた時からずっと、うちが実質的な世話係だったじゃない。叔父ちゃん、いったいどういう気なのかしら?
 ──保子叔母ちゃんが恐いのね、きっと。
 ──だけど、それって言い訳にならない。
 ──そりゃそうだけど……、と頷きつつも、家庭に入った経験のない妹には分からないだろうな、と和恵さんは思うのでした。
 ウメさんの愚痴をご主人に報告すると、
 ──そりゃあ、お祖母さんにしてみれば、わが子に近くで開業してもらいたかっただろうさ、とご主人は一定の理解を示すのでした。
 ──すれば、よかったじゃないの!.と、ご主人の意外な反応に、和恵さんはいささかムッとしました。何もうちに遠慮する必要はないし、うちのお父さんはそんなこと気にするタイプじゃないってこと、叔父さんは知ってたはずよ。
 ──そうは行かん。当時あそこに2つも医院が、しかも同じ内科が出来たら、どちらかが立ち行かなくなってただろうさ。
 ──でも、今はうちの近くに内科も小児科も出来てるのよ。
 ──今は人が増えてるじゃないか。川口近郊で一番変わった地域だしさ。当時と同じ条件じゃない。ま、お祖母さんとしては、ずっと鬱積してたものが、呆けてスラスラ口から出るようになったんじゃないの?.楽しい話じゃないけど、仕方ないとも思うし、逆に、老いるってことは、心の中に溜めてたものが表面に出るから恐ろしいとも言えるよね。
 ──どういう意味?
 ──つまりさ、その人がどんな人生を送ったか、どんな人間だったかが、自然と内から滲み出てくるってこと。だから、ただ表面を装ってエゴイズムを肥え太らすような生き方を選ぶと、いずれバレルと思うんだ。だけど、なかなかエゴイズムを捨てられないが、これまた人間の性でね。
 しかし、そんなご主人の言葉は和恵さんの胸には迂遠なものに、したがって空虚に響くばかりです。
 ──でも、言いたい放題に言われたんじゃ、お母さんが可哀想だわ、と言う和恵さんの声色は既に涙を含んでいました。
 ウメさんの最期は結局(当然ながら)、長男たる精一郎さんが看取り、3億円にも上ったという遺産の大半もまた、彼の元に残りました。ウメさんが生前中から最愛の長男に徐々に譲渡していたためで、長女たる和恵さんの母親は実家の宅地を(庭の部分は長男が既に相続していたのです)、次女と三女は傍の桐畑を相続し、2人は遠くに嫁いでいるため、和恵さんの母親が2000万円でその桐畑を買い取ったのでした。
 ──意外に安いんで驚いた、と和恵さんは言いました。いくらバブルがはじけたと言っても、100坪はあるのよ。何か寂しい気がするな。
 ──畑地だからだろ、とご主人は言いました。ほら、東京辺りで税金対策で栗畑にして維持してる土地持ちの話が、以前あったじゃないか。
 ──じゃあ、宅地にすると、もっと高く売れるんだ。
 ──その時にはまた新たに取得税がかかると思うけどな。
 ──役所も賢いのね。
 ──当たり前さ。でなきゃ、みんな畑で持ってて、いざ売る段になると、宅地に変更するじゃないか。
 ──そうよね、と和恵さんは頷くのでしたが、母親がなぜ自分には不必要な畑地を貯蓄すべては費やしてまで購入したのか、ハッキリとしません。あるいは、生まれ育った土地を赤の他人に渡したくなかったのかも知れませんけれど、いずれにせよ、その管理はもっぱら夏子さんの役回りとなり、地味を肥やすためにしばしば和恵さんの家に落ち葉拾いに来るようになりました(田舎家の和恵さんの家の裏には、雑木林があったのです)。
 和恵さんの家は数年前に新築し、その際、荒れ放題の笹地と化していた畑を、20万円出費してシャベルカーを頼んで、2メートルほども土を掘り起こして新たに正土を入れ、和恵さんは家事の合間に畑仕事に精出すようになっていたのです。1年目は砂漠に作物を栽培するようなものでしたが、2年目、3年目と経つに従って、青々と育った野菜が50坪ほどの畑を次第に覆うようになりました。
 ──姉ちゃんにはこれからいろいろと聞かんといけんな、と夏子さんが言うと、
 ──姉のありがたみが分かった?.と和恵さんが言いました。
 ──まだ、分からん、と夏子さんは少し甘えたような甲高い声で応じます。私の方がすぐに上達して追い越すかもしれんし。
 ──その時には教えてね。
 ──分かった。
 ──まあ、大した自信!.と、和恵さんは夏子さんと笑いました。でも、畑を作るには桐が邪魔なんじゃない?.伐らないの?
 ──迷ってるんだ。
 ──どうして?.お嫁入りの家具にするつもり?
 ──この年で?
 ──そう、その年で!
 ──まさか!.と夏子さんは甲高い声をさらに高くしました。そうじゃなくて、伐っても、きっと畑の下に張っている根はもうどうしようもないと思うんだ。
 ──なるほど、ナッちゃん、賢い!
 ──姉ちゃんの頭はそこまで働かないでしょ。
 ──あっ、言ったな。もう何も教えてあげないし、落ち葉もあげないから。
 ──ごめん、ごめん。
 ──いいや、許さない、と和恵さんは笑いながら言いました。
 そして畑の端に寝そべっている飼い猫のタマを抱き上げて頬ずりしながら、
 ──ねえ、絶対に許さないよね!.と楽しそうに繰り返しました。
 夜が来て食事が終わって、子供たちは自分の部屋に籠もり、洗濯物の取り込みをすませた和恵さんが、ウトウトしながらアイロンをかけていると、
 ──こりゃあ、大変だ!.と、リビングに寝ころんでテレビを見ていたご主人が叫びました。おい、ちょっと来て見ろよ。大変だよ。
 ──私はいま忙しいの、と急に目覚めた和恵さんは、アイロンをかける手に力を入れました。
 ──テロだよ、テロ、テロ!
 ──テロ?
 ──そう、アメリカの世界貿易センタービルに飛行機がぶつかった。しかも2機も!.1機がぶつかった生放送の最中に、2機目がぶつかったんだ。こりゃもう、テロに違いないや。
 テレビ画面の中でモウモウと煙を吐き出している2棟の高層建造物を眺めながら、
 ──タマがまだ帰らない、とふと和恵さんは思い出しました。どうしたんだろ?.夜には必ず帰ってたのに……。
 ──ええ?.とご主人は不快そうに振り返りました。タマとテロと、どっちが重要なんだよ?
 ──テロも恐いけど、タマがどうしたのか、同じくらい心配なのよ、と和恵さんはご主人の語調に対抗すべく、キッパリと応じるのでした。