時は流れる
小さな谷の狭い道を通過して、新しい住宅街のある丘を登って下り始めると、白いK市街が望めました。そして、街を見下ろすように、丘の先の木立の上にS高校の校舎が聳えていました。6階建ての真新しい校舎の中ほどの、破風造りの屋根の下に大きな丸時計があり、それは5年前、J氏が勤めていた頃にはなかった校舎でした。
いったん中腹まで丘を下って池を巡るように再び登っていく坂道を辿ると、高校の正門に至り、J氏は事務室で非常勤講師の手続きをしました。
──おお、お久しぶり!.と隣の校長室から出てきた江川氏が声をかけました。
──先生は今年からここの教頭になられたんですね、とJ氏は言いました。──数年ぶりに新聞の人事異動に目を通してたら、先生の名前があったのでビックリしました。
──ここに来て職員録にJさんの名前を見つけて、ボクもビックリした。何か深い因縁があるんだろうなあ。
──よろしくお願いします。
──こちらこそよろしく。
事務長に差し出された書類に捺印しているJ氏の肩を叩く人がいて、振り仰ぐと、和泉氏でした。
──お久しぶりです、とJ氏はいささか緊張しました。──失礼ですが、先生はまだこちらでしたか?
──もうとっくに定年だよ、と和泉氏も心持ち緊張した面持ちでした。──異動する先生のために餞別を持って来たんだ。
──なるほど。
──元気にしてるのか?
──生きてますよ。
──そりゃあ、良かった。
そして書類を事務長に手渡して廊下に出たJ氏は、かつて進路指導室のあった玄関脇の部屋に行くと、そこは教頭室になっていました。教頭2人制が導入されたためらしく、トイレの奥の、かつての進路資料室が進路指導室になり、進路資料室にはその奥の、かつての組合会議室が当てられていました。組合用の部屋がいったいどこに移ったのか、風の便りにもJ氏は聞き及んでいません。そもそも、勤務時間内の組合会議は禁止され、組合活動そのものがいわば生徒のサークル活動のような閑散たるものに化している、とのことです。いったん一つの方向に流れ出すと、その流れを押しとどめることは容易でない1つの証しなのかも知れません。
新たな進路指導室を覗くと、かつてと同様、廊下側に衝立風の仕切りに囲まれた接客用の空間があり、窓側にコンピュータのある机が4つありました。
──おお!.と言う声にJ氏が振り向くと、相変わらず鼻髭を蓄えた小田氏が、これまた相変わらず、数学の担当にも関わらず理科の教師のような白衣姿で入ってきました。
──調子はどうだ?
──まあまあ、とJ氏は応えました。──しかし、ずいぶん人事異動が激しいなあ。さっき名簿を見せてもらったら、残っている人は10人前後だった。
──今年の異動は小規模だったが、去年が多かった。三上校長が30人近く入れ替えたから、離任式や就任式の時に舞台の上に並び切らなかったくらいだ。
──大変革の時代だね。
──おかげで校風が一変したなあ。グウタラ連中がみんな一掃されたよ。
──体育科の教員は全員替わってたね。
──癌が除去されたのさ。
──学校だけが無風地帯でいるわけには行かないからね。
──まあ、どうぞ、と小田氏が差し出すコーヒーを口にしながら、
──今年の進路状況はどうだったんだ?.とJ氏が尋ねました。
──国公立大に65人。内訳は京大1人、阪大2人、岡大11人。現役だけに絞るともう少し減るが、京大や阪大は現役だ。
──東大は?
──東大は公立高校じゃムリだ。
──まあまあだけど、思ったほど伸びてないなあ。
──そりゃ集まる生徒のレベルが限られてるからな。ま、再来年から学区制が撤廃されるから、そうなるともっと良くなるはずだ。
──でも、私立並みにはならないと思うよ。
──そりゃ分かり切ってる、と小田氏はグイとコーヒーを飲み干しました。──中高6年一貫教育の私立に公立が対抗できるわけがない。ま、近隣の公立に散らばっている生徒を掻き集めて、国公立進学者を100人以上にするのが目標さ。
──O高校のように。
──そう、O高校のように。
小田氏と別れて廊下に出たJ氏は、今度は青山氏に会いました。
──これは、これは!.と深々と頭を青山氏は、──小田さんもいるはずだよ、と言いました。
──さっき会った。今日はみんなとよく会う日だなあ。
ちょうど始業日の午後でしたから、会うのも当然だと思い至ったJ氏は、そのことに今まで気づかなかった5年の歳月の重みを改めて感じました。
一段丘を降りたところにある講堂へと続く、かつての南館の代わりに、先ほど登校途中に見えていた6階建ての新館が出来ていて、その新館と本館とを結んでいる建物は、1階全体が生徒用の出入り口、2階が資料室、3階に会議室のある同窓会館でした。新館の3階にある英語科研究室に行くと、かつての同僚の佐伯氏がいました。
──先生はこちらだったんですか、とJ氏が言葉をかけると、
──去年からお世話になってるんです、と佐伯氏。
──髪が白くなられましたねえ!.とJ氏は感嘆しましたが、10数年ぶりに見る佐伯氏は、実に見事な銀髪の紳士でした。
──年には勝てません。
──ボクも白髪が増えました、とJ氏は、毎朝、鏡に向かうたびに目に付く側頭部あたりの白髪に手をやりました。
入り口にすぐの机がJ氏、その向かいが中国語担当の呉氏の机とのことで、世話役の渡辺氏が仏和辞典と教科書を持って来てくれました。
──教科書があったんですか?.とJ氏はいささか驚きました。──そういう話は聞いていませんでした。
10課で構成された教科書の既に7課まで2年次に進んでいるとのことです。しかし、それ以上にJ氏が驚いたことには、2年でフランス語を選択した生徒と3年で新たに選択した生徒とが一緒のクラスだというのです。
「要するにいい加減なんだ」とJ氏が皮肉混じりの感想を述べても、渡辺氏はニヤニヤと表情を崩すだけでした。それは、「ゆとりのある教育」の一貫として無理やり作ったフランス語や中国語の授業など、学校が余り注意を払っていない表われなのでしょう。
──この春、フランス語を担当してた英語の先生が急に転任されて、われわれもほとほと困っていたところなんです、と渡辺氏は言いました。──先生が大学時代にフランス語を専攻していたのを思い出した人がいて、それで先生にお願いしたところ、快く引き受けていただいて、われわれもホッとしてるんです。
──「快く」と言われると、いささか語弊がありますけどね、とJ氏は言いました。──ずっと迷ったんですけど、いつまで経っても迷いつづけたから、迷ったまま断わるよりは引き受けた方がいいだろうと判断したまでです。
──その気持ちは分かりますなあ。
時間割と生徒の名簿、それにチョークやボールペンを受け取って、用意してきたプリントを印刷室で印刷して、J氏が階段を昇っていると、2校に渡って10数年間、同僚だった笹本氏に会いました。
──いやあ、今日は本当にいろんな人に会う日だなあ!.と思わずJ氏は叫びました。──まるで時の経過を思い知れと言わんばかりですよ。
──ボクもあと1年なんだ、と氏は皺の寄った穏和な丸顔に微笑を湛えました。──校内で最年長になったよ。
──学校が変わったのは風の便りに聞いてましたが、聞きしに勝る変わりようですね。
──管理体制が猛烈に強化されてきた。先生はいい時期に辞められたなあ。
小田氏や青山氏には「これから学校もいい方向に変わっていくのに、惜しい時期に辞めたなあ」と言われたばかりのJ氏は、
──幸不幸はあざなえる縄の如しと言いますから、どちらが良かったか分かりませんよ。だから、自ら下した決断は後悔しないことしかないでしょう。それと、心の中で迷っているなら、実際に行動すること。いったん行動に移したらもう後悔しないこと。それしかないですよ。
──ボクも来年、否応なく決断しなくちゃならない、どんな老後を送るか、をね。
──それも考えよう次第で1つの楽しみになりますよ。
──いやあ、そういう風には悟り切れんだろうなあ、と笑いながら、笹本氏は背中を向けて、独り階段を下りていきました。