桜の街
もうすぐ素敵な春です。猛烈に寒い冬は長続きせず、瞬く間に春を通り過ぎてまるで初夏を思わせる日の光の強さが訪れたかと思うと、また仕舞いかけたストーブを焚かなくてはならない寒さに逆戻りし、氷雨が降り、すると今度は春一番が吹いて、文字通り三寒四温の日々が繰り返されています。それゆえ、家族揃って長女のいる京都に行く日の天候が前々から気がかりでしたけれど、4月4〜5日の日程を変えるわけには行きません。3月31日には寺の大きな行事があり、4月6日から子供たちの新学期が始まるからです。
最近の天気予報は実に正確で、しかもインターネットで調べると、市町村単位の予報まで得られましたから、向こう1週間の天気が確実に分かり、予報通り、4月4日は好天に恵まれました。白っぽく霞んだ大空を東に向かって突っ切っていく高速道路の前に次々と立ち現われてくるなだらかな山々は赤みがかった木立がこんもりと重なり合い、それが桜の木々でした。若葉というよりまだ新芽という方が適切な芽吹いたばかりの葉々は、生まれたての赤子のような赤です。そして淡いピンクの花々が、山にも野にも、高速道路の高い防音壁越しに見える街並みにも、至るところに咲き誇っていました。
サービスエリアの店の前の、カラータイルが敷き詰められた、その周りの土だけ露出した木々にも桜があって、全く以て桜の花には、チューリップとかヒヤシンスとかの西洋の花のような派手さがありません。幾らこんもりと大量に咲き乱れていても、いつ風に散るとも知れない桜のそこはかとない風情に、日本人は古来、心惹かれてきたのだと、自販機で買った紙コップ入りのコーヒーを、広い駐車場の見渡せるサービスエリアの日だまりに並んだテーブルの1つに着いて飲みながら、わたくしは改めて実感しました。
山陽道が中国道と合流する辺りから車の量が俄かに増えて、関西圏もまた、春の真っ盛りです。万博記念公園はレンギョウとユキヤナギと桜が黄、白、ピンクの鮮やか花の垣根をどこまでも連ねていて、そのすがしい色調は日本風の情緒にも思われ、また3層の花の列は、その整然たる華やぎで以て、西洋化のシンボルとも映りました。そこは今から30年前、歴史や伝統などカケラもない新興住宅街の一大イベントとして、高度成長の絶頂期に計画され、成功したものの名残りです。それゆえ、ひたすら便利と物と快楽とを追い求めた当時の空気は、幾ら時間が経過しようとも、この公園から払拭されることは到底ないでしょう。
モノレールやら高層ビルやら、万博公園の大観覧車やジェットコースターやらの傍を疾走して通過すると、目前を緑の丘陵地帯が塞ぎ、そのトンネルを抜けたところが京都だと考えていたところ、トンネルの向こうにまた山が控えていて、明るい竹林の揺れるその山の先だったと、わたくしは思い至りました。そう思った通りに、山を抜けた先に盆地の空が広がっていましたし、桂のパーキングエリアは大きくはありませんでしたけれど、市内に入る前の格好の休憩所でした。わたくしは車を降りて、さっき携帯電話にかかってきて、トンネルの入ったために途切れた門徒のお宅に、公衆電話から電話しました。
──どうも先ほどはすみませんでした、とわたくしは謝りました。ちょうどトンネルに入って切れてしまったんです。
──今はよろしいんですか?.と門徒の奥さんは丁寧な口調でした。お出かけになっているのは存じていたんですが、大奥さんがいるから大丈夫だろうと主人が言うものですから、お電話を差し上げたのですが……。
──はい、今はいいですよ。で、ご用件は何でしょうか?
──先日はいろいろとありがとうございました。
──いいえ、お寂しゅうございましょう。
──ところで、お礼の方はいかがすればよろしいんでしょうか?
そういう用件だろうとわたくしは予想していました。だから、こちらから掛けるまでもない、寺に帰ってから、また掛かってくるまで待っていればよいと、幾らわたくしが主張しても、妻が承知しません。それでは相手に気の毒だ、あなたがイヤなら自分が掛けると言って聞かないものですから、わたくしは渋々電話したのです。そして、電話が終わると、気持ちの隅の引っかかりが解けてスッとしましたが、もちろん、そんな正直な告白は妻には致しませんでした。
京都南の2つのインターチェインジはどちらとも出口の遥か手前から渋滞していました。今日がたぶん今年の春一番の人出だろうと改めて思い当たり、予定通り、わたくしたちが京都東のインターチェインジを降りると、果たして、山科に出るそのインターチェインジはさほど混雑していません。山科の街は30年前にわたくしが初めて訪れた頃に比べると、ずいぶんと瀟洒に都市化しています。中心街を貫く道路を西に走って、かつて路面電車が走っていた峠を越えると、ちょうど疎水端に桜が満開に咲いている南禅寺の前でした。信号待ちする交差点の向こうに光る疎水の水を囲むように桜が咲き乱れ、動物園の奥に平安神宮が見えます。
なるほど確かに、いったん京都の街に入ると、塀ひとつ、庭ひとつまでも、いわば観光を意識した趣向が凝らされています。それもその場しのぎのように行政や住民が考案した町おこしのネタではない、1000年以上の歴史と伝統に裏打ちされた趣向に違いありません。それは長女の下宿している学生マンションまでも、なにがしかの影響を蒙っているはずなのです。しかし安普請には違いなく、隣の部屋の話し声が筒抜けだと常々長女がこぼしていたものですから、わたくしは知人の店で防音シートを買って車に積み込んできていました。防音シートばかりではありません。布団や枕や毛布も積み込んで、6畳ほどの長女の下宿で親子5人が寝るつもりで来たのです。
北白川の旧道に残るお堂と向かい合った四つ角にその学生マンションがあり、その前で車を横付けすると(京都は至る所で車が路上駐車していて、片道2車線の道が実際には1車線しか使えないところも少なくありませんでした)、まず腹拵えのために、民家の1階を改装しただけの万国料理店に行きました。長女がこだわった店でしたけれど、入り口の広い板の間に丸太のテーブルと(しかも脚なしでしたから、客は座布団に座らなければなりません!)調理場を囲むカウンターとがあり、そこにはすでに若い男性客が1人いました。わたくしたちは奥の畳の間の、これまた脚のない丸太のテーブルを囲んで、家族5人、座布団に座りました。南の小さな庭にはサンシュユの木が枝の先々に黄色い花を付け、その根元の手水鉢の傍に牡丹が若葉を広げています。遠い空に光る春の風に誘われたようにヒヨドリがやって来て、牡丹の葉を揺らして飛び去っていきました。
背後から若い2人の女と男性客との会話が響き、顔見知りらしく、「私は弥生系なの」とか、「私の眉と鼻は縄文だけど、目が細いのはやっぱり弥生かな」などと、ちょっと郷里の町では聞かれそうもない、いささか知的な話題に興じていました。彼女たちのくつろいだ態度からも、営利を二の次にした趣味の万国料理を提供する店であることは明らかです。だから、昼食時にも関わらず、れっきとした客はわたくしたちだけだったのでしょう。そして出て来た料理も、インド風のパンの上に、筒型のアルミの食器に入った幾つかのおかずを掛けて食べるという、決して珍しい物ではありませんでした。そして、白菜の芯とキュウリの塩漬けがさっぱりとしていちばんおいしく感じたことなど、妻とわたくしと珍しく意見が一致しました。
静かな路地を引き返す道すがら、学校の塀越しに、来た時と同じにソメイヨシノが白い花を空に広げ、民家の玄関先のちょっとした空間にも、桜の老樹の太い切り株が、それでも若い枝を伸ばし、いっぱい花を付けたりしています。
──やっぱり桜を植えたいなあ、とわたくしは言いました。
──私は前からそう頼んでいるのに、あなたがなかなか賛成してくれないから、と妻が言いました。
──(植木屋の)松本さんが桜は庭に植えるものじゃないと反対するんだよ。大きくなるから、庭には合わないって。
──でも、京都ではあちこちで見かけるじゃない。
──そうだなあ、とわたくしも認めざるを得ませんでした。
さて、長女の下宿に引き返すと、隣の部屋との境の壁に防音シートを張るのに半日かかり、終わってお茶を飲んで休む頃は、すでに4時半でした。八坂神社の南にある湯豆腐の専門店『豆水楼』まで歩いて行くためには、もう出発しなければなりません。銀閣寺道から哲学の小径に沿って水の流れる疎水端は桜が満開で、行き交う人も一杯で、低く太い枝を張り出した桜の花々の下を、わたくしたちは砂利道を踏み締めて歩きました。30年前、わたくしの散歩道だったコースが今は娘の散歩道となり、桜の木々はそれだけ年老いているはずでしたが、花盛りに咲く花の白さは往時と少しも変わりません。丘の中腹にあったわたくしの下宿の2階の窓のすぐ前に山桜の大きな幹が傾いでいて、荒い樹皮から枝が出、葉が芽吹き、白い花が咲く彼方に、とりわけ夕陽に赤く染まった、紫色の空気の棚引く街を眺めるひと時は、今でもわたくしの心に鮮明な映像を結んでくれるのです。
──ねえねえ、美人が多いねえ、と高校1年の次女が言い、
──うん、ホント、多い!.と中学2年の三女が頷きました。
──若い子が多いから、そう見えるんじゃないのか、とわたくしが言うと、
──違う、違う、と2人は声を合わせました。ホントに美人が多いんだよ。
──ホントか?.とわたくしが長女に尋ねると、
──私じゃないってことだけは確かだけどね、と長女は冗談とも本気とも付かない口調でした。
哲学の小径を抜けて、南禅寺の前から平安神宮の南を歩く頃にはすでに日が暮れかかり、かなり足も疲れていましたが、もう6時近くです。6時の予約でしたから、余り遅れるわけには行かないわたくしたちは、『瓢亭』のある路地を黙々と歩いて、三条通りを渡って、青蓮院の猛烈に巨大な楠の前で(急ぎながらも妻子ともその巨大さに驚き、また喜んだものですから)、写真を撮って、知恩院の山門に来ると、その巨大さにまた、妻子とも驚きました。確かに夕陽を浴びて明るんだ、東山を背にした山門の威風堂々たる構えや、柱の太さや、屋根瓦の重厚さは、わたくしにとっても圧倒的な迫力でした。若い頃、知恩院によ、南禅寺にせよ、あるいは本願寺にせよ、今ほど巨大に見えなかったのは、都会に居並ぶ高層ビルと比較していたからに違いありません。そこには外観の比較があるだけで、材質の違いなど念頭になかったし、あるいはむしろ、セメントや鉄筋の方が優れていると信じて疑ってもいなかったのです。
6時過ぎにやっと、朱の楼門の鮮やかな八坂神社に辿り着いて、そこから携帯で少し遅れると店に電話してから、車の行き来の激しい東大路通りを歩いて、ようやく目的の『豆水楼』に到着しました。わたくしを筆頭にみんな疲れ切っていましたが、しかし、誰にも後悔はありません。この春一番の桜日和の街を歩いてきたのですから……。
おしぼりを手にしてくつろいだ後、仲居さんが包丁で切り分けてテーブルの上の湯坪の中に落としてくれた、自家製だという薄灰色の湯豆腐を、わたくしたちは2時間かけてゆっくりと賞味しました。そして、店を出ると、円山公園の夜桜を見に行きました。夜店と人がごった返していて、桜の花の下で酔っ払った人の喚声が飛び交うのは、これはもう、日本全国共通の、仕方のない、むしろほほえましい光景でしょう。
公園のあちこちに篝火が焚かれていて、その火の明るさと暖かさがとても懐かしく感じられました。また、公園中央の有名な枝垂れ桜は、なるほど確かに物凄く巨大で、なぜか幹や枝が白く塗り込められていましたから、花の白さともども、スポットライトを浴びてくっきりと夜空に浮き出ていました。
──なんだか年増の女が厚化粧してるみたいだな、とわたくしが言うと、
──自然のままがいいのにね、と妻も頷きました。
──何か理由があるんだろうけどね。
──そりゃ、きっとそうよ。
──スポットライトを当ててるから、虫除けかも知れない。
──そうね。そうかも知れないわね。
こうして、子供たちがたこ焼きやらイカ焼きやらトチの実焼きなど買って食べるのを楽しむ間、わたくしたち夫婦は桜の街の夜を心和やかに楽しんだのでした。