汐見崎
 
 陸路を難行道に喩え、水路を易行道に喩えて、もっぱら易行道を勧めたのは大乗仏教の祖、龍樹でした。とりわけ、急峻な山々に被われた島国である日本では、海あるいは山間を縫っていく川が、陸地にもまして重要な交通ルートだったことは想像に難くありません。中国文明の文物もまた、朝鮮半島を経由してその地での変形を蒙りつつ、対馬海峡を渡って、北九州の沿岸伝いに関門海峡、周防灘から瀬戸内海を経て、大和にもたらされたことでしょう。
 汐見崎も、そんな瀬戸内沿岸に点在する交通の要衝の地の1つでした。空高く聳えた山の袂の、凪いだ入り江を囲むように密集した民家の上に多くの神社仏閣の屋根が並び、古来、西から東に向かう舟が停泊する港町だったのです。しかし、鎌倉時代に至ると、逆に幕府が西に勢力を伸ばしていく拠点ともなりました。守護職に命じられた坂東武士ともども、関東の地で勢いを得た新仏教の寺院も移転してきて、平安時代に建立された天台寺院が次々と転派していきました。内陸の穴浦と共に、むしろそれ以上に、汐見崎は中世まで、政治と経済と文化の中心地だったのです。
 また、汐見崎には、神話時代の神武天皇が東征の際に舟を繋留したというモヤイ石が、今は青々と田んぼが延びている、海に臨んだ神社のある丘の麓にありました。1抱えほどのありふれた石でしたが、その脇にそう古くない石碑までちゃんと建てられていました。
 石段を登って神社の境内にある休息所のベンチに腰かけて、波のきらめく海に帆を孕ませて行く舟を眺めたり、鋭い角度で海面に聳え立つ仙人島を仰いだりするのが、典子は好きでした。また、青葉の陰を吹き抜けてくる風に肌を曝すのが好きでした。誰もいない丘の高みを行く太陽と、遠く霞んだ四国の地まで広がる海とを独り占めした気分になれるのが好きだったのです。
 細い指で革のバッグの留め金をひねって、タバコを出して口にくわえると、典子は風を防いだ手の陰でライターの火を点けました。フッと唇から吐いた薄紫の煙が、たちまち風に巻かれて空に消えるさまを眺めていると、
 ──ああ、やっぱりここだ、と石段の下で声がして、妹の幸子が登ってきました。
 ──何?.と空を仰いだまま典子が言いました。
 ──父さんが呼んでる。
 ──また、あの話でしょ。
 ──中谷さんが来てるの。
 溜め息を残して立ち上がった典子は、
 ──中谷さんだけ?.と問いました。
 ──ええ、今度は安心よ。前触れなく相手を連れてくるのは逆効果だってことが、父さんにも中谷さんにも分かったみたいだから。
 ──どちらにしても同じことだけどね、と言いながら、幸子と共に、典子は神社の石段を降りていきました。そして、松林の幹や枝が幾重も交錯した、昼でも薄暗い参道を抜け出て、石造りの鳥居の下まで引き返した時、
 ──幸子、と呼び止めました。
 ──なあに?.と幸子は振り向きました。
 ──あんた、私がいるの、迷惑?
 ──どうして?
 ──出戻りがいると、あんたの結婚にも差し支えるでしょう。
 ──どうしてよ!.とまだ20才前の幸子は、本気で語気を荒らげました。出戻りと言ったって、たった3カ月で戦死してしまった人なんだから、仕方がないわ。それに、姉ちゃんに財産を譲るのが惜しくなった向こうの親が、いびり出したようなものじゃない。
 ──それとこれとは別問題なのよ。
 ──別問題じゃないわ。
 ──別問題なのよ、と典子は繰り返しました。少なくても日本だと!
 ──じゃあ、姉ちゃん自身はどう考えてるの?.別問題だと割り切っていられる?
 ──割り切らずに、一体私にどうしろと言うの?
 そう問い詰められれば、幸子に何か妙案がある訳ではありません。
 ──女は損ね、と言って、稲穂の向こうに青く光る海を眺めるばかりでした。
 汐見崎の網元の1つである荒木家にとって、典子1人の食い扶持に困窮したわけではありません。しかし、夫の戦死が通知されるとすぐに帰された典子は、父親の目には親不孝の典型に映ったのです。「帰って来たんじゃない。帰されたのよ」といくら典子が訴えても、「そこを我慢するんが女の務めじゃ」の一点張りでした。「近所に体裁が悪うて、外にも出られん」とも言いました。「幸子の結婚にも響こうが」とも言いました。その度に悔やし涙を流した典子は、涙が尽きたのか、やがて泣かなくなり、川口市の旧練兵場に駐屯していた進駐軍の通訳の仕事を見つけて、平日の大半を留守にするようになりました。けれど、それにもまた、「GHQなど敵軍じゃが。戦死した夫の仇の面倒を見とるようなもんじゃ」と父は不平を洩らすのでした。
 海辺に掛け渡されて広げられた網がことさら強く潮の香を運ぶ砂利道沿いに、黒い鬼瓦を反り返らせた典子の実家がありました。丸瓦を載せた白塗りの塀に囲まれた敷地は300坪はあり、門を入った右手で菜園を造り、左手にある母屋の、開け放された座敷から父と中谷さんの談笑の声がしました。
 ──失礼します、と典子が挨拶に出ると、
 ──おお、元気になさっとられるですか?.と中谷さんは大げさな表情を作りました。
 ──おかげさまで。
 ──進駐軍で働いとられるという噂があるが、ホントですか?
 ──はい。
 ──なあに、ヒマつぶしですが、と父は慌てて付け足しました。早う落ち着いてもらわんと、わしらも困る。
 ──そこで早速なんですが、と、中谷さんは風呂敷包みを解いて、2枚折りの固紙に挟み込まれた1葉の写真と釣書を取り出しました。こちらは、帝大を出て今は官庁に仕えとりなさる、前途有望な好青年なんですらあ。これ以上の縁談は、ありませんぜ。
 ──ほう!.と感嘆した父は、しかし、うちのような出戻りでええんじゃろうか?.と、かえって不安そうでした。それに、年も典子の方が1つ上になるじゃありませんか。
 ──そりゃあ、典子さんの器量好しが幸いしたんでしょうなあ、と中谷さんは笑いました。女はやっぱり、器量がええに限る。家がようて、器量がよけりゃあ、すぐ見初められますわい。男が立身出世しようと思えば、それこそ、身を削るような努力をせんと行けませんけえのう。
 ──努力だけじゃ、どうにもならんことも多いしのう、と父が言うと、
 ──そうですのうや、と中谷さんも大いに頷き、2人していかにも楽しげに笑いました。
 写真と釣書を膝の上に広げて眺めた典子は、それを座卓に返して、
 ──お断りしてください、と言いました。私はもう2度と結婚するつもりはありませんから、中谷さんも今後はお気遣いなさらないようお願いいたします。
 中谷さんは不意に外国語でも耳にしたような素っ頓狂な顔をして、マジマジと典子を見つめたまま、
 ──結婚されんのですかいな?.と言いました。
 ──バ、バ、バカなことを言うな!.と父は顔を真っ赤にして怒鳴りました。おまえの面倒を一生見るつもりは、わしはない。嫁に行かんのなら、尼寺へでも行け!
 ──どうしても行けと言うのなら、尼寺でも構いません、と典子は静かな声で応えました。でも、わたしには行きたいところがあります。
 ──そりゃあ、どこですりゃあ?.と中谷さんは好奇心に満ちた顔つきで身を乗り出しました。
 ──アメリカです。
 ──アメリカ?.この間、日本が負けた、あのアメリカですか?
 ──はい。
 ──進駐軍かぶれしおって!.と父は苦虫を噛み潰したような顔になりました。おまえが離縁された原因は何じゃったのか、よう考えてみい。アメリカじゃろうが!
 ──いいえ、日本です、と典子はキッパリと断言しました。この国は私を自由にさせてくれません。古いしがらみに縛られて生きるのは、もうたくさん!.私の人生は私のためにあるんで、何もお父さんたちのためじゃありません。見栄も風体も家柄も、その人自身の幸福に繋がらなくちゃあ、何にもならないじゃありませんか。たとえ自由に生きて、アメリカで独り野垂れ死にする羽目になっても、私は決して後悔しません。日本でうわべだけ取り繕った一生を送るより、はるかにマシですから。