遠雷
片尾山の頂に登ると、梅雨の頃には空を映した水田が広がり、夏は稲穂を風が渡り、秋が来ると刈り入れ用のコンバインがあちこちで蠢く、それでもまだ田畑の残っている穴浦平野が見渡せました。その東に突出した夕佳山の麓に穴浦町の家並みが集まり、北に中国山脈の峰々がうねり、西に千田川が蛇行していました。また、南の丘陵地帯の上に険しく立った薬上山が望まれ、その麓を巡っている道路を走れば、川口市の郊外に至れるのでした。
また、片尾山の頂は禅光寺の境内にもなっていて、小さな本堂と庫裏があり、本堂には身の丈1メートルほどの十一観音菩薩像が祀られていました。木目を生かした優美な菩薩像で、頭髪を群青色、唇を淡紅色、そして豊かに露出した右の乳房を白く塗り、さらに赤い乳首を添えたなまめかしさは、暗い堂内で一層引き立ちました。「片尾山の観音さん」と呼ばれて近隣の信仰を集め、昭和30年代までは大柄で色白の尼さんが管理していましたが、生活が成り立たなくなったのか、あるいは男が出来たのか、所説紛々ですけれど、いずれにせよ、十一面観音ともども出奔してしまいました。
それ以来、禅光寺を参拝する人は滅多にありません。南の山麓を囲むように居を構えた地の人々が、荒神川の土手から登っていく参道まわりの雑草を手分けして刈っていたものの、それが年に2度から1度となり、2〜3年に1度の予定がやがて沙汰止みとなって、雑草に混じって雑木まで生え出すと、もう地の人々も顧みなくなってしまいました。
──昔は柴を刈りに山に入っていましたが!.と石嶺の奥さんが言いました。それが今じゃどこの家もガス風呂でしょう。炊事はシステムキッチンですから、柴など要りませんが!
──そりゃそうですよね、とわたくしは頷きました。松茸も生えなくなるわけだ。
──そうそう、と、肉付きのいい奥さんは、細い目をさらに細めて笑いました。ですが、ご院さん、ここの山は昔から松茸は出てませなんだ。
──そうでしたか。じゃあ、他のどこかと僕の頭の中でごっちゃになったんだ。
──門徒が多いから、ご院さんも大変ですね。
──片尾山には石嶺家の他に何と言う名の家があるんですか?
──羽原と佐藤しかありません。
──エッ、これだけ並んでいて、たった3つしかないんですか?.とわたくしはちょっぴり驚きました。20軒はあるでしょうに。
──22軒です。ご院さん、惜しかったわ。
──と言うと、同姓の家が7軒平均あるわけだ。
──分家また分家で、ネズミみたいに増えたんです。
──ネズミに譬えちゃ、失礼かも知れませんけどね、とわたくしは笑いました。
──人間もネズミも、そんなに変わりゃしません、と、奥さんは屈託のない笑顔を作りました。子供を作って、死んでいく。それだけのことですが。
──いやいや。
──そりゃあ、楽しいこともありますが、辛いことも多いですもの。
──「善因善果、悪因悪果」ですからね、とわたくしは言いました。
──そりゃどういう意味ですか?.わたしにゃ、難しくてよう分からなんだ。
──要するに、「身から出た錆」と言うことでしょう。
──今度はよう分かった、と奥さんは笑いました。でも、ご院さん、そんなことは本人の前じゃ言えませんよ。
──事に依りけりでしょうけどね、と言って、わたくしはふと、ある家が念頭に浮かびました。すると、木坂のお婆ちゃんはどうなるんですか?.石嶺家と何か関係があるんですか?
──わたしの母ですが。
──エッ?.と、余りに意外な答に、わたくしはいささか面食らいました。じゃあ、奥さんは木坂家からここにお嫁入りされたんですか?
──いえいえ、石嶺から来ました。わたしたちは又従兄弟の夫婦なんです。
──そうですよね。確かそういう風にお聞きしてます、とわたくしは頷きましたが、そうなると、奥さんと木坂家との関係がいよいよ分かりません。奥さんの話によれば、実家はもともと荒神川が千田川と合流する辺りにあったそうです。ところが、戦後まもなく、荒神川の拡張工事のために片尾山の西に引っ越して来たところ、今度はそこが道路拡張のために立ち退きを余儀なくされて、怒った実家の父親は川口市に出て行ってしまったそうです。その時、母親は残って、片尾山の北の麓の、ちょうど墓地に上がる入口のところに今の居宅を構えたとのことですが、それでは「木坂」と名乗る経緯を説明したことにはなりません。
──ご院さん、いろいろあるんです、と奥さんに言われて、わたくしは黙ってお茶を飲みました。家庭の内情に深く立ち入らないことも、住職たる者のたしなみでしたから。
石嶺家を出ると、稲刈りの終わった、黄色い切り株の並ぶ田が道路を隔てて広がり、道路に沿った用水路の前に「区画整理、断固反対!」と赤いペンキで書いてある立て看板が、風雨に曝されて色褪せ、斜めに立っていました。いくら反対しても、いずれこの辺りもマイホームで埋まるだろうと考えながら、わたくしはいったん車に乗って、少し走ってすぐまた下りて、次の石嶺家を訪れました。
玄関のドアホンを押すや否や、
──お待ちしてました、と離れの戸が開いて、お婆さんが庭に出て来て、
──どうぞ、こちらからお上がり下さい、と座敷の廊下のガラス戸を開けました。
──失礼します、とわたくしは庭石を踏んで庭から直接、座敷に上がって、金仏壇に向かって読経しました。そして、漢詩の讃の添えられた水墨画の軸の掛かっている床の間の前に坐ると、お婆さんがお盆の上にお茶と茶菓子とお布施を載せて入って来ました。
──お忙しいところをようお参り下さいました。何もありませんが、ひとつ召し上がって下さい。
──すみません、と、わたくしは座卓の上に差し出されたお茶を啜りました。秋にしては暖かい日が続きますねえ。
──ホント、ホント、とお婆さんは甲高い声で頷きました。年寄りには暖かいんが一番ですが。
──みなさん、お元気ですか?
──ありがとうございます。おかげで達者に暮らしとります。
──それは何よりですね。元気で長生きするのが一番です。
──ホント、ホント。いくらお金があっても、寝たきりになっちゃあ、おしまいです。
──その点、お婆ちゃんはお元気そうで、何よりです。
──おかげでなあ、この年になっても風邪ひとつ引きません。
──それが何よりです。風邪は万病の元と言いますから。
──ホント、ホント。
皺の寄った、丸顔の、声の高いお婆さんから、わたくしは家族や孫や親戚等々、どこの家を訪ねた際にも聞く一通りの近況を聞きました。寺の住職が町の過去に精通していくのは、そんな茶飲み話を通してのことでしょう。1軒々々の門徒の歴史が住職の胸に刻み込まれ、それが次の世代に語り継がれていくのが、檀家制度の在りようです。それを封建時代の遺物だなどと切り捨てたところで、何ら得るものはありません。そもそも、明治維新から150年近い歳月を経たにもかかわらず維持されているからには、「遺物」などと十把一絡げには出来ない何かが、そこにはあるはずなのです。
──ああ、そうそう!.とお婆さんは俄かに声を上げました。来年はお爺ちゃんの25回忌が来ますから、よろしくお願いします。
──日取りはもう決められてるんですか?
──いや、これから息子と相談せんといけません。
──決まったら、電話で結構ですから、早めにお知らせ下さい。
──元気のいい人じゃったが、25年も経つと、懐かしゅうなりますなあや。
──お元気と言っても、確か早く亡くなられましたよね?
──その元気じゃありませんが!.とお婆さんは笑顔を顰めて、蝿でも追い払うように手を振りました。背が高いくせにひどく痩せてて、若い頃からフラフラと病気がちじゃったが、カラ元気いうんか、愛執いうんか、いつまでも色恋沙汰が収まりませなんだなあ。おかげで、わたしはよう泣かされましたが。
──ははあ……、とわたくしはまたお茶を啜りました。
──身内の人間と出来た時には、さすがのわたしもカッと頭に血が上って、それから高血圧の悩まされるようになりました!
──ふーん……、とわたくしは唸ったなり、立ち入った内容に首を突っ込まないように、小皿の饅頭を口にしました。こりゃ、なかなかおいしいですね。
──もう木坂さんのお宅にお参りですか?.と、お婆さんは既に過去の出来事から抜けられなくなっていました。
──いや、これからです。
──あの人は若い頃はひどく色気がありましてなあ。
わたくしが曖昧に頷いて、ちょっと顔を上げると、座敷の長押の角に祀られた神棚の上の天井に、「雲」と書いた紙が貼ってありました。わたくしの脳裏に鮮やかに遠雷がイメージされ、曇天の山の彼方に光る稲妻を見た思いでした。
──一時期、2人して狂ったように食っ付き合って、怒ったあちらのご主人が、奥さんの籍を抜いたんですが。
──それで木坂と名乗られてるんですか?
──そうですが。
──順吉さんの奥さんが、木坂さんの娘さんらしいですね。
──そうですが。ようご存じですなあ。
──たった今、聞いたばかりですから。
──色情狂の母親を持ったばっかりに、あの子も苦労しましたが!
何とも返答しかねたわたくしは、グイとお茶を飲み干して、
──ごちそうになりました、と腰を浮かせました。法事の日取りが決まったら、早めにご連絡下さい。
──つまらんことを申しました、とお婆さんは口を手で隠して、甲高い声で笑いました。最近は考えんようになったんですがなあ。おかげで血圧も下がって、元気になったのに、またカッとしちゃあ、つまりません。
──健康が第一ですからね。
──ホント、ホント。
外に出ると、日暮れが近く、遠い西空に連なった山々の際を流れる千田川から吹き付けてくる風が冷たく頬を刺しました。暖かいとは言え、秋は秋だったのです。
また車に乗って、山麓を東回りに北に走って、八幡社の前を通過すると、ツバキの濃い葉が茂り、ツガやカヤの木が枝を張った、日当たりの悪い道に出ました。雨の日には渓流となる、傾斜の急な山道のここ彼処に灰色の墓が散在する山麓で車を降りて、わたくしは平屋の一軒家のサッシ戸を開けました。そして、
──ごめん下さい、と言うと、
──いらっしゃいませ、と部屋の中で正座して待っていたらしい木坂のお婆さんが、愛想のいい、むっちりと白い顔を出しました。お待ちしてました。狭いところですが、どうぞお上がり下さい。