雪と炎の日
 
 J氏が目覚めると、障子窓が白く明るんでいました。雪だったのです。白く降り積もった雪は、庭景色を一変させていて、J氏が慌てて起きて、外に出てみると、七色の光の断片が小粒の星のようにキラキラと軽やかに纏い付く新雪が、踏み締める靴裏にキュッキュッと衣ずれの音を作りました。道路も白く凍結して、雪を被った車が、タイヤに嵌めたチェーンをチャカチャカ鳴らしながら、ゆっくりと目の前を通過していきました。家の中に戻ったJ氏は、
 ──大変だ!.と言いました。車が使えないかも知れないや。
 ──あなた、神戸が大変みたい、と、テレビに釘付けになったJ夫人が言いました。明け方、地震があったでしょう。あれって、神戸を直撃したみたいよ。
 ──ああ、と生返事して、歯を磨いて顔を洗ったJ氏は、電車で行くしかないかも知れない、と言いました。
 ──O市まででしょ?
 ──うん。
 ──きっと新幹線は不通よ。
 ──在来線でもいいや、とJ氏が穴浦駅に問い合わせると、雪のために大幅に遅れているとのことです。
 ──ちぇっ、車しかないか!.とJ氏。
 ──でも、あなた、こんな雪の日に大丈夫?.と、事故の経験のあるJ夫人は不安そうでした。
 ──オレが遅れるわけには行かないからな。早く飯にしてくれ、とJ氏は言って、スーツを着てネクタイをまず軽く締めて、食卓のサンドウィッチとコーヒーとオレンジジュースを素早く口にしました。
 テレビ画面のニュースキャスターが、神戸から淡路にかけてマグニチュード7・2の直下型地震に襲われたと繰り返し報道していましたが、J氏はそれどころではなかったのです。車のトランクにチェーンを積んでいましたが、もう10年以上、使ったことがありません。それに、エンジンや排気ガスの熱によって路面の凍結が溶け始めていたために、チェーンを装着しないまま、J氏は車に乗り込みました。午後1時の開始でしたから、少々遅れたところで、まさか式自体に間に合わないことはなかろうと、その時はまだ、J氏も楽観していたのです。
 ところが、家を出て10メートルも動かないうちに、渋滞した車の列に遭遇して、駅前の交差点にある信号まで、1時間経ってもまだ到着できませんでした。後ろを振り返ると、数珠繋ぎにつながった車たちが、色とりどりの甲殻類の行列のようにゾロゾロとひしめいています。3分ごとに赤から緑に変わる信号の前で、いつまで経っても、1台の車も進めません。国道でも車が立ち往生して、脇道の車が割り込む余地がなかったのです。
 やがて雪曇りの空が晴れて、冷たい青空が広がって、雪に被われた田の面にも燦々と冬の光が降り注ぎました。銀色に輝く北の山々の一隅に、普段ならボンヤリとしか眺められないI村の集落が、今朝はひどく明晰に輝いて、白く煌めく畑に斜めに黒く傾いでいる電信柱の列まで分かりました。そして、穴浦町を通るために平野を大きく迂回して南に向かう御領線を、やっと電車が走り出したのです。
 いつまで経ってもノロノロ運転を繰り返す車の窓越しに、次々と川口市に向かって走り過ぎていく電車を見送ったJ氏は、意を決してハンドルを切って、横道に入って、いったん帰宅しました。
 ──どうしたのよ?.とJ夫人が驚きました。何か忘れ物?
 ──渋滞が解消されないんだ。電車で行く。
 ──ええ!.まだ行ってなかったの?
 ──ああ、と不快げに返事をしたJ氏は、今度はコートを羽織って表に飛び出して、日陰に堆く残った雪に足元をすくわれないように気を付けながら、穴浦駅まで歩いて、青空の下に白く波打ちつつ延びている山々の麓からやって来た電車に乗り込みました。ゴトゴトと揺れる電車の窓から眺める国道はまだ相変わらず渋滞した車が隙間なく連なっていて、穏やかに晴れ渡った冬景色との対照が鮮やかでした。
 川口駅に着くと、まだ新幹線は動いてなく、在来線に乗ってO市に到着したのは、12時過ぎでした。タクシーを拾って、ようやく**県少年少女文芸コンクールの表彰式会場である県の文化会館に到着したのは、式の始まる15分前でした。
 息を切らせて駆け込んできたJ氏に気づいたU氏とS女史が、ロビーのソファを立ってやって来ました。
 ──遅れて、ごめん。
 ──もう来ないのかと思ってましたよ、と、ずんぐりとした体躯のU氏が、長身のJ氏を見上げて言いました。
 ──司会が来なくて、ビビってたんじゃないの?
 ──代役はボクしかいませんからね。
 ──私は断固、拒否ですから、とS女史が2人の間で交わされたやり取りを彷彿とさせる頑なさで言いました。
 ソファに坐ってテレビを見ていた会長のF氏のもとに行って、
 ──遅くなりました、とJ氏は言いました。雪による渋滞にかかって、ひどい目に遭いました。
 ──そうだろう、と鷹揚に頷いたF氏は、神戸がひどいことになってる。知ってるか?.と言いました。
 ──そうらしいですね、とJ氏がテレビ画面を覗くと、上空から映された神戸市街のあちこちから筋を引くように幾つも黒い煙が上がり、その間をヘリコプターがパタパタパタと飛行しています。その黒煙の下に見え隠れしている炎も含めて、それはまるでハリウッド映画の1シーンのような、非日常的な光景でした。
 ──これは凄いや。
 ──今朝、かなり揺れただろう。
 ──はい。
 ──あれらしい。まるで空襲を受けた街みたいだよ。
 ──ええ、と画面を見ていたJ氏は、しかし、すぐに式の準備に取りかからなければなりませんでした。もう受賞者が会場に集まっていて、その大半は学生服姿で椅子に腰かけて、「第*回**県少年少女文芸コンクール授賞式」という横断幕の掛かった舞台を仰いでいたのです。
 県知事の祝辞の代読、県教育長の祝辞、文芸連盟会長F氏の挨拶の後、小説、随筆、詩、短歌、俳句それぞれの最優秀賞、優秀賞、佳作の受賞者に賞状と盾が授与され、記念講演がありました。小説部門の選者のT氏が演壇に立って、
 ──今から10年前、ソ連のゴルバチョフがペレストロイカを提唱した時、世界がこれほど激変しようとは、誰にも予測できませんでした、と大きな前置きから切り出しました。
 ──しかし、まるで蟻の穴から漏れた水が堤を壊すように、ペレストロイカの結果、東西の冷戦構造が瓦解したことは、みなさんもご存じの通りです。しかし、これでようやく地球にも恒久的な平和がもたらされるに違いないという楽観主義は、民族紛争、とくにイラクのクウェート侵攻に端を発する湾岸戦争によって、脆くも崩れ去ってしまいました。
 ──21世紀は決してバラ色のものではなく、どこに向かうか分からない不安を、今、多くの人々が感じています。そのことが小説にも反映して、リアリティーの乏しい、観念的で遊戯的な作品が横行しているのです。それは今回の応募作品にも如実に表われていました。
 ──みなさんは若い。これから21世紀の日本文学を背負っていかなければならない貴重な人材です。どうか、真の「自分」に目覚め、切磋琢磨して、文学の新たな地平を切り開いてください。
 そんなT氏の滔々たる大弁舌を聞きながら、はたして今、襟を正し背筋を伸ばし顔を上げて聞いている少年少女たちの胸にその熱いメッセージが届いているのか、J氏には疑問でした。
 ──文学とは、それほど絶対的なものだろうか?.と、文芸コンクールの発足とその維持発展に尽力しながらも、J氏は自問自答するのでした。それは所詮、西洋の近代自我が生み出した散文芸術の1つに過ぎないんじゃなかろうか?.「自我」を核とする限り、どうしても一種の独善主義に陥ってしまう。近代文学の王道だという心理小説は、結局、作者自身の姑息な心理を投影しているだけかも知れない。トルストイやドストエフスキーが最後に宗教に向かったのも、近代小説の本質と限界を示唆しているんじゃなかろうか?
 帰りの電車の中でそう語ると、
 ──事務局長がそんなことじゃ、コンクールの意味がありませんよ、とU氏が言いました。
 ──あなたが代わりにやればいい。
 ──ああ、やっぱり!.とU氏は大袈裟に驚きの表情を作りました。そんなことじゃないかと、疑ってたんですが、やっぱりそうだった!
 ──ボクがいつまでもやるわけにもいかんだろう。
 ──いえいえ、とU氏は半ばからかうような口調でした。始めたからには、最後まで責任を全うしてもらわなくちゃ、困りますよ。