ドラキュラ伯爵
30年前までの穴浦町は、紡績の町として栄え、かつて豊田織機を興した豊田佐吉が見学に訪れたほどにも、先進的な地域でした。わたくしの少年時代にはまだ至る所で糸を紡ぐ音が響き渡り、寺の境内の裏を流れる小川の向こうにも紡績工場があって、深夜になってもまだ、ガッタン、ゴットンと織機が動き、工場の窓を漏れる明かりが墓場の墓石を黒く浮き立たせていました。
町を縦横に巡っている用水路はどれも染色に使われて青く濁り、中学校まで歩いて10分ほどの距離を、わたくしとトシちゃんは毎朝、その青い流れに沿って逆方向に通っていました。
──走ろうよ、と、鞄を持つ手と肩に力を入れて、わたくしは言いました。先生が校門のところに出てるかもしれないよ。
──大丈夫だよ、とトシちゃんは言いました。キョウちゃんは、気が小さいんだなあ。
そう言われても、道行く中学生たちが次々とわたくしたちを追い越してゆき、校門が見える頃、もう誰もが走り出していました。
──トシちゃん、走るよ、とわたくしは返事も待たずに走り出し、
──待てよ!.と、すぐ追い付いてきたトシちゃんは、たちまちわたくしを追い抜いて、校門の中に駆け込みました。
続いてわたくしも駆け込むと、校舎の正面玄関に紺のスーツを着た、スマートでダンディーな横溝先生が現われました。その姿を見た生徒たちは、蜘蛛の子を散らすように校舎の中に走り込みました。トシちゃんとわたくしも素速く校舎の陰に回り、
──ちょっと待てよ、とトシちゃんがわたくしの袖を引っ張りました。遅れた奴がおる。見ていこうや。
──ぼくらも遅れるよ。
──(担任の)ガマは来るのが遅いだろ。まだ間に合うよ、とトシちゃんは余裕たっぷりに言いました。
そこで校舎の陰から顔を出すと、チャイムの鳴ったあと校門に駆け込んできた生徒が2人、横溝先生に捕まっていました。2人は両手をズボンに押し付けて直立不動の姿勢を保ち、ガチガチと奥歯が震えるほどに緊張した面持ちです。
──バカ野郎!.と朝のグラウンドいっぱい先生のキンキンとした声が響き、バチン!.バチン!.と平手打ちの音が轟き、2人の生徒は45度ほど斜めに倒れても、足が地に固着したゴム人形のようにまた元の姿勢に戻りました。
──たるんどる!.と今度は反対の方向に殴られ、倒れかかった2人の生徒は、また元の姿勢に戻りました。
陰から見ていたわたくしたちも背筋が震え、
──早く入ろうよ、とわたくしは言いました。
──ああ、とトシちゃんの表情もこわばっていました。ドラキュラに見つかったら、マズイしなあ。
当時、漫画の週刊誌に夢中だったわたくしとトシちゃんとタッちゃんは、放課後が待ち切れず、休憩時間が来ると裏門の近くにあった文房具店に走って、別々の漫画を買って、互いに貸し合っていました。音楽の時間の前に買って帰ると、わたくしは、
──ドラキュラの時間は読めないよ、と机の引出しに入れて音楽教室に行こうとしました。
──じゃあ、先に読ましてくれよ、とタッちゃんが言いました。
──やめとけよ、とトシちゃんが言いました。今日のドラキュラは血に飢えてるぜ。
──意気地なしだなあ。分かるもんか、と音楽のノートと教科書の下に3冊の漫画を重ねて、タッちゃんは言いました。
──おれは知らないよ、とトシちゃんが言い、
──あっ、チャイムが鳴る!.とわたくしが言うと、わたくしたちは脱兎の如く古い木造校舎の階段を駆け下り、簀板を敷いた渡り廊下を走って、白壁の眩しい、新しい校舎の2階にある音楽教室に駆け上がりました。
もうクラスメイトはみんな着席していて、級長のわたくしの顔を見て、ホッとする生徒もいました。実際のところ、わたくしがいないとなると、横溝先生が来た時、号令をかける者がいません。そうなった時の先生の激昂を、誰もが恐れていたのです。
情け容赦なく生徒を殴る横溝先生の噂は、「ドラキュラ」というあだ名と共に、中学校に入学したばかりのわたくしの耳にもたちまち届き、違う先生が担当になることを切に願ったものです。2年生になって、最初の音楽の時間に青白い面長な顔の横溝先生が現われた時、わたくしはサッと血の気が引きました。号令をかけるからには、一番に顔と名前を覚えられるに違いないと思うと、それだけでもう不安だったのです。
先生は実に静かな声で授業しました。しかし、生徒たちはもっと静かです。ピンと張りつめた空気が教室を重苦しくし、白い長い指でピアノの鍵盤を叩いていた先生が、
──違う!.と額に青筋を立ててキンキン声で怒鳴り、みんな自分独りが叱られた気がして、ギョッとしました。何回教えたら分かるんか!.きさまら、もっとしっかりと聞んか!
怒鳴られて急に上手になるものでは、もちろん、ありませんでしたが、静かな空気がさらに静まり返ったのは確かです。先生は不快そうに眉間に深い皺を寄せて、鍵盤を叩き、わたくしたちは楽譜を見ながら歌いました。そのちょっとした沈黙の隙間に、「プフッ!」と笑う声が漏れ、教室の視線が一斉にその方角を向きました。顔を真っ赤にして自分の失態にオロオロしたのは、後方の席に坐っていたタッちゃんだったのです。オールバックに髪を固め油の匂いをプンと散らして、教室の空気を突っ切って近寄った先生は、嫌がるタッちゃんの手を振りほどき、机の引出しの中から3冊の漫画を取り出しました。
──これは何か?
──……。
──これは何かと聞いとるんじゃ!
──漫画です。
──授業中に読むもんか?
──違います。
──学校へ持ってくるもんか?
──違います。
バシッ!.とその本で思い切り頬を張られ、バランスを崩したタッちゃんは、椅子から床に倒れ込みました。
──立て!
立つと、バシッと平手で打たれ、よろめきかかったタッちゃんは、しかし今度は歯を食いしばって頑張りました。バシッとまた叩かれ、胸を突かれて後ろによろめき、また叩かれ、また胸を突かれ、その繰り返しで教室から後ろ向きの姿勢のまま追い出されたタッちゃんに続いて、先生の姿も見えなくなり、ドタドタドタッ!.というけたたましい音が校舎全体に響き渡りました。叩かれて足を踏み外したタッちゃんが、階段から転がり落ちたのです。踊り場に倒れ込んだタッちゃんの胸ぐらを掴んで立ち上がらせると、先生はさらに平手打ちを繰り返し、その執念深さに、2階から見下ろすわたくしたちは息を呑み込みました。
タッちゃんは1階まで殴られながら転げ落ちました。さらに叩かれ、胸ぐらを掴まれて何度も押し付けられたために、下駄箱の脇に積み重ねられている、昼食時に配る牛乳を詰めた木箱の中の牛乳瓶が、ガチャン、ガチャンと割れんばかりに揺れました。
その日の放課後、
──早く忘れた方がいいよ、とわたくしが言い、
──もう学校で漫画を読めないなあ、とトシちゃんが言っても、
タッちゃんは目を据えて床を見つめていました。そして暫くして、
──母ちゃんに言い付けてやる、と低い声で言いました。
──何を?.と、ある予感に打たれてわたくしが尋ねても、
──母ちゃんに言い付けてやる、とタッちゃんは繰り返すばかりでした。
詳しい経緯は分かりませんが、横溝先生の暴力行為が町の教育委員会に訴えられたことだけは明らかです。そしてそれから、もうわたくしたちは先生が生徒を殴る場面に遭遇することはありませんでした。しかしそれから先生が恐くなくなったわけでは、決してありません。もともと甲高い声が、何か気に障ると1オクターブ上がり、白い額に青筋を立てて鋭い目でにらまれると、わたくしたちはやっぱり震え上がったものです。
実は先生は、穴浦町の旧道の東口にある、実相寺という真言系の古刹の住職だったのです。宗派が違いますから、わたくしが住職を継いだ後も滅多に会う機会はありませんでしたが、それでも何度か葬儀の場で同席しました。お茶を飲みながら談笑する先生の額や頬にはすでに人生の下り坂を歩む人の深い皺が幾筋も刻み込まれ、「もう教職を退いて何年にもなるんですよ」と語る目元は穏やかでしたが、「中学時代にはお世話になりました」と頭を下げる気には、わたくしはとてもなれません。同じ僧侶として、当たり障りのない言葉を交わしたばかりです。
先生には2人の娘さんがいて、その1人に養子をもらって寺を継がせたけれど、養子は寺を出て行ったそうです。先生に追い出されたのだという説もあり、その養子を愛していた娘さんは自殺したとか気が狂ったとか噂が立ちましたが、定かなことは分かりません。その後、寺を継がせるつもりで取り子・取り嫁をしたけれども、その2人も寺を出て行き、依然、先生独りが寺に残っているとのことです。
そうしてみると、先生はやはり、ドラキュラ伯爵と呼ばれても致し方のない人物だったようです。