夏の訪問者
「お盆」の由来は、盂蘭盆経という経典にあるとされています。その中で、死んだ母親が餓鬼道で苦しんでいるのを知った目連が、釈尊に相談したところ、安居の終わる7月15日に僧侶を供養すれば、その功徳によって救われるだろうと教えられているのです。
それは表面上のことで、根っこは死者は山上に赴き、ときどき子孫のもとに還ってくるという民間信仰にある、と説く民俗学者もいます。だから、丁重に先祖を迎えた後、また丁重に送り返しているのだというのです。
いずれにしても、今もって日本人の多くがお盆に墓参りをする事実に変わりはなく、寺でも様々な行事が行われています。わたくしの寺でも8月16日に毎年、盆法座を設け、その準備のために観音谷にある馬屋原の本家の広務さんと分家の勝太郎さんがやって来ました。
──よろしくお願いします、と本堂の広縁からわたくしが挨拶すると、
──ご院さん、これを持って来やんしたぜ、と広務さんが先端に2股の木切れが縛り付けられた、腕の長さほどある竹を取り出しました。あんなに長くて先を切り込んだだけのもんじゃあ、使い物になりゃんせんわ。
それは、本堂と山門に幕を張り渡すための竹竿のことでした。今まで20年近く寺の行事の世話役だった渡部さんと吉田さんは、2メートル近い細いものを使っていたのです。
──不便なものはどんどん改良していってください、とわたくしは笑いました。いくら寺でも、少しは変化せんといけんでしょうから。
──ボチボチとなあや、と広務さんも笑い、紫の地に下がり藤を白く染め抜いた、大小2張りの幕を後ろ堂から運び出してきました。そして、勝太郎さんと共に広げて、新しい竹竿を使って幕の上部に付いた赤白緑の三色縄を引っ張り上げて、本堂の正面の柱に打ち付けられているL字型の釘に掛けていきました。
──ほんとじゃ。こりゃあ、前のよりよっぽど扱いやすいで、と勝太郎さんが言いました。
──当たり前よう、と広務さん。ちょっとした工夫ですぐ楽になることじゃがな。
──そうは言うても、何か変えるんは大変ですけえなあや、と勝太郎さんはわたくしの方を見て笑い、
──それじゃあいけん、と仰向いて柱の釘に幕の縄を掛けながら、広務さんが言いました。
同じように山門にも幕を張りに行った勝太郎さんが、しばらくして、
──ご院さん、ご院さん、と引き返して来ました。
──何ですか?.と玄関に出て行くと、
──変な外人が来とりゃんすぜ、と勝太郎さん。
──どこに?
──ここですらあ、と勝太郎さんが一歩退き、代わりに、
──コンニチハ、と茶褐色の顔が覗きました。少シ、オ願イガアリマス。イイデスカ?
──どうぞ、とわたくしが言うと、
──わしはあっちへ行っとりゃんす、と勝太郎さんはそそくさと山門の方に戻っていきました。
それは背丈が1メートル80センチはあって、肩幅が広くて胸の厚い、南洋系の顔立ちに黒縁メガネをかけて、サリーのような黄色い衣服をまとった青年でした。柄の長い黄色い日傘をしぼめて玄関戸に立てかけてから、その青年は、底の厚いサンダルを履いた、足指の太い、大きな足で入り込んできたのです。
──どういうご用ですか?
──ワタシ、すりらんかノ僧侶デス。
──はあ。
──ゴ存ジノ通リ、今、すりらんか、トテモ内戦中デス。
──ええ。
──すりらんか、仏教国デス。デモ、内戦中、ワタシ、悲シイ。
──ふん、ふん。
──家ガ壊レ、道ガ壊レ、学校ガ壊レマシタ。子供タチ、勉強デキマセン。
──はあ、はあ。
──ワタシタチ、家ヲ造リ、道ヲ造リ、学校ヲ造リタイデス。
「?」とわたくしの頭の中にクェッションマークが浮かびました。というのも、年に何度も物乞いがやって来て、その大半が作り話で何か得ようとしていたからです。もっとも、もしそうだとすると、今回はまたずいぶんと手の込んだ物乞いです。
わたくしの気配を察知した自称スリランカの僧侶は、肩に掛けていた古い布鞄から1冊の大学ノートを取り出して、わたくしの目の前で広げました。
──今マデニ協力シテクレタオ寺デス。
見ると、筆やマジックペンで大きな字で寺号が記帳されて押印され、住所が添えられたものまであります。近郊の寺も何カ寺もあり、いずれも1万円を寄付していました。
──沢山の寺が寄付されてますねえ。いつから始められてるんですか?
──今年ノ2月デス。
──もう半年もされてるんですね。
──ハイ。
──よく集まってますね。
──マダマダ足リマセン、と自称スリランカの僧侶は首を振りました。ぐるーぷデ手分ケシテ、日本中ノオ寺ヲ歩イテ回ッテイマス。びざガ切レルト、イッタン帰国シテ、マタ来ナケレバナリマセン。
──そりゃあ大変だ。
──日本ノオ寺ハ、ドウシテ山ノ上ニアルノデスカ?.と自称スリランカの僧侶は辟易とした表情で聞きました。歩クノ、大変デス。日本人、大変デナイデスカ?
──それも修行の1つなんです。
──修行?
──ええ。
──ワタシ、分カリマセン。
──山は神聖な場所ですから。「神聖」、分かりますか?
──シンセイ……、と自称スリランカの僧侶は首をひねり、Holyトイウ意味デスカ?.HollywoodのHolyです、とわたくしの顔を覗き込みました。
──そう!.とわたくしは頷きました。英語も日本語もお上手ですね。いつ覚えたんですか?
──少シズツ、少シズツネ、と自称スリランカの僧侶は嬉しそうでした。日本語、トテモ難シイデス。
──でも、それだけ喋れりゃ十分ですよ。
いったん会話が弾んでしまうと、もうそのまま「お引き取りください」と言うわけにも行きません。お金と印鑑を取りに廊下を引き返していくと、柱の陰から長女と次女と三女の、興味津々たる3つの顔が並んでいました。
──どこの人なの?.と長女が聞き、
──スリランカらしい、とわたくしが言うと、
──ほんと!.と次女が感極まった声を出しました。
──ねえ、それ、どこ?.と三女もいかにも知りたげな顔をして、姉たちを見上げました。
わたくしが1万円を差し出して、領収書を受け取り、大学ノートにサインし捺印すると、自称スリランカの僧侶は布袋から1枚の地図帖を取り出して、玄関の畳の上に広げました。それは穴浦町一帯の詳細な地図で、卍マークのところが赤いボールペンでチェックされていました。
──ワタシ、コレカラドコニ行ケバイイデスカ?
──歩いていくんですよね?
──ハイ。
そこで、わたくしが地図上の幾つかの寺を指し示し、手振りを交えながらその場所を教えました。
──ソレ、山ノ中デハアリマセンカ?.と自称スリランカの僧侶はうんざりとした表情で問いました。
町中にも何カ寺かありましたが、穴浦平野を囲むように連なっている山々に真言系の寺が多く、
──たぶん、歩いても1時間もかからないと思いますよ、とわたくしは励ましました。
──分カリマシタ、と自称スリランカの僧侶は苦笑しました。ワタシ、頑張リマス。
そして、立ち上がって、何やら静かに唱え出し、合掌礼拝した後、夏の日射しの中に出て行きました。その姿が見えなくなるや否や、3人の娘たちがドッと玄関に駆けてきて、さらにドッと本堂の広縁に駆けてゆき、黄色い日傘を高く掲げ、ゆったりとまとった黄色い衣服の裾を軽やかに翻して立ち去っていく青年の後ろ姿を見送ったのでした。
……
夏が去って秋が来て、ある日のコンピュータに、次のようなEメールが届いていました。
「スリランカの僧侶の名を騙り、自国に福祉施設や学校を設立するので寄付をお願いしたい、などと要求する不審人物がいるという噂が広まっています。不審人物の中にスリランカ人が含まれているようですが、それ以上のことはまだ判明していません。
また、要求された寺はどこも被害届を出していないとのことです。つまり、寄付した人は全く信じて切っていて、被害届を出す気など毛頭ないので、被害の範囲もよく判らないらしいのです。これが事実ならば、まことに狡猾な詐欺行為という他ありません。
このような不審人物に関わる情報が何かあれば、お知らせください」